樹木希林さんは1943年1月15日、東京の千代田区に生まれました。本名は内田恵子で、千代田女学園高等学校在学中に演劇部に参加し、その後の人生の方向性を決定づけました。彼女は薬剤師を目指していましたが、数学が得意でなかったため、大学受験にはあまり気乗りしていなかったと言います。受験直前にスキーをしに行った際に事故で足を骨折し、大学進学の道を断念。これが演技の世界へと進むきっかけとなりました。

1961年、樹木さんは文学座の研究生として舞台に立ち、女優活動を本格化させました。初期の頃は「結城千穂」という芸名で活動を始め、1962年には小津安二郎監督の映画『サンマの味』に出演。この頃から彼女の演技力が注目されるようになりました。その後、文学座に正社員として加入し、1965年には俳優座に移籍しました。1964年のテレビドラマ「7人の孫」でレギュラー出演し、一躍人気を獲得しました。
樹木さんの演技は多くの人々に愛され、その名は広まりました。
特に1977年4月1日、テレビ朝日で放送された特別番組「我が家の友達10チャンネル」では、彼女が「結城千穂」という名前をオークションにかけるという一風変わった企画が話題となりました。オークションの収益はチャリティーに寄付され、最終的には2004年に女優の山田和葉さんに無償で譲渡されました。芸名を失った樹木さんは、新たに「樹木希林」という名前を選びました。この名前には「稀な林を作る」との意味が込められており、皆が集まり何かを産み育てるという意味を持っています。
樹木さんのプライベートにも注目が集まります。彼女は1964年に俳優の岸田新さんと結婚しましたが、1968年に離婚。その後、1973年に内田裕也さんと再婚しました。樹木さんは、内田さんに無断で婚姻届を提出し、その後も40年間の別居婚を続けました。内田さんは1981年に離婚届を提出しましたが、樹木さんが離婚を認めず、裁判となり、離婚は成立しませんでした。別居の理由には内田さんからのDVや、樹木さんが娘の内田綾子さんを育てるための生活環境の確保が含まれていたとされています。

樹木さんの娘、内田綾子さんはエッセイストとしても知られています。彼女は19歳で俳優・本木雅弘さんと結婚し、二人の間には長男の歌さん、長女のキャラさん、次男のゲントさんが誕生しました。
長男の歌さんは、身長190cmのバスケットボール選手であり、モデルとしても活動しており、その高身長を活かして注目されています。長女のキャラさんも女優として成功を収めており、2011年には是枝裕和監督の映画『奇跡』に出演し、樹木さんと初共演を果たしました。さらに2015年の映画『ガン』では再度共演し、その演技力を披露しました。
樹木さんの遺産についても語られるべき重要なポイントです。彼女は「不動産女王」とも称されるように、21歳の頃から不動産投資に乗り出し、成功を収めました。最初に購入したのは東京都大田区の戸建てで、その後も順調に資産を増やしました。2004年度の年収は不動産込みで1億1719万円と推定されています。また、相続税対策にも積極的で、孫たちにも生前贈与を行うなど、賢明な資産管理を実践していました。樹木さんは相続人数に応じた控除額を利用し、遺産をスムーズに継承するための計画を立てていたと言われています。

樹木希林さんの人生とその遺産は、芸能界の枠を超えて、多くの人々に深い影響を与えました。彼女のユニークな人生哲学や、病気と闘いながらも数多くの作品に出演し続けた姿勢は、多くの人に感銘を与え続けています。樹木さんの遺産管理における巧妙さと、彼女が築き上げた業績は、今後も語り継がれることでしょう。