1970年、昭和45年7月、東京高等裁判所は美子の事件で控訴審を開き、懲役3年6ヶ月の判決を言い渡した。これにより、一審の判決が覆され、美子の行動は過剰防衛と認められず、存続殺人に対する厳しい罰則が適用された。この判決により、美子の運命はさらに暗転していく。
その日、朋子は京子に誘われ、笹竹で京子の家族と会うことに。京子は戦後の被害に苦しむ朝鮮や台湾出身の人々を支援するため、活動を始めたことを告白。
一方、梅子は平井から古林大五郎の笑顔が増えたことを聞かされる。道男と梅子は大五郎を迎えに笹竹へ向かうが、桂等一郎の姿がしばらく見えないことが気がかりであった。
朋和は最高裁事務総局で熱心に働いていたが、突然家庭裁判所への移動を命じられる。エリート街道から外れるこの左遷に、朋和は怒りを押し殺しながらも、疑問を抱かざるを得なかった。桂場長官による若手裁判官の左遷は、司法の独立が脅かされているのではないかという陰謀論まで巻き起こす。
朋子は司法の不透明な動きに失望し、カラバ長官に直談判するが、彼からは厳しい返答が返ってくる。「理想を掲げていられるほど、この世界は甘くない」と告げられた朋子は、司法の現実に直面することになる。
友子は少年法改正の議論に参加するため、東京火災の廊下で意外な人物と出会う。
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