「皇后の月経に重ならないよう注意」昭和天皇の「母」と「妻」に対する認識の落差があまりにも大きかった理由
2024/01/01

初代宮内庁長官の田島道治が昭和天皇とのやりとりを記録した「拝謁記」が、岩波書店から『昭和天皇拝謁記』として刊行された。この史料は天皇の肉声が生々しく記録されており、天皇研究者の間で注目を集めている。特に、昭和天皇が母である皇太后節子と妻である皇后良子をどう見ていたかについての言葉からは、天皇の等身大の姿を垣間見ることができる。田島道治は皇太后を「おたゝ様」ないし「大宮様」、皇后を「良宮」と呼んでいた。注目すべきは、天皇が戦争末期の米軍の空襲について語ったことである。その言葉からは、大宮御所と沼津本邸が標的とされたのは、皇太后を狙って天皇を戦争終結に動かすためだったという風説があったことが分かる。また、天皇は皇太后の敬神の念についても言及しており、神罰を受けたと考えていることもわかる。天皇自身も戦勝祈願を行っていたため、皇太后の影響を受けていたと言える。さらに、天皇は皇太后を恐れていたことが伺える。例えば、宮廷服を着続けることに反対していたが、皇太后の意見を尊重していた。一方で、皇后についての天皇の言及は少ない。その中で、月経について触れるなど、女性の身体に関する話題が公然と語られている。天皇は皇后を一人の人間としてではなく、生物学者の視点で見ていたと思われる。天皇にとって、「母」と「妻」に対する認識の落差は非常に大きかった。

広告

AD
記事
画像集
動画
速報