エックスジャパンは、そのカリスマ性と劇的な歴史で日本の音楽シーンにおいて不動の地位を築いています。一九八二年、幼稚園からの幼馴染であるYOSHIKIとTOSHIを中心に結成されたこのバンドは、インディーズ時代から爆発的な人気を誇り、一九八九年にはメジャーデビューを果たしました。メジャーデビューからわずか二年で武道館公演を成功させ、三年目には東京ドームでの公演も実現し、その勢いは止まることを知りませんでした。
世界的成功と悲劇の連続
エックスジャパンは早くから海外進出を視野に入れ、バンド名を「X」から「エックスジャパン」に改名しました。彼らは日本のロックバンドの頂点に立ち続け、そのカリスマ性は絶大でした。しかし、人気絶頂の一九九七年、突然の解散発表が行われました。解散発表の会場にはTOSHIの姿はなく、リーダーのYOSHIKIは「音楽性の違いで解散する」とコメントしましたが、その裏には深い溝が存在していました。

解散とその裏側
解散発表の八時間後、TOSHIは「今日、会見が開かれることは僕も新聞広告で初めて知りました。正直ショックです。ファンの皆様に自分の思いを伝えることができなかったのが悔しいです」とコメントを出しました。当時のYOSHIKIは「TOSHIがエックスをクビにされたようなポーズを取りたいのかとすら考えた」と述べ、TOSHIに対する不信感を抱いていました。後に判明したことですが、TOSHIは自己啓発セミナーの主催者たちによる洗脳を受けていたのです。
海外進出の壁とバンド内の亀裂
バンド内には、海外進出の壁が原因で亀裂が生じていました。YOSHIKIは「日本ではデビューから東京ドームまで二年も経っていなかったので、同じ感覚で海外制覇も簡単だと思った。しかし現実は厳しく、初めて壁にぶち当たった」と振り返っています。
YOSHIKIの厳しい要求に対し、TOSHIは自信を失い、スタジオには暗く重い雰囲気が漂っていました。

洗脳の影響と自己啓発セミナー
TOSHIは自己啓発セミナー「ホームオブハート」とその主催者に洗脳され、バンドやYOSHIKIと距離を取るよう仕向けられました。
その結果、TOSHIの中でYOSHIKIやバンドに対する不信感が強まり、一九九七年に脱退の申し入れをしました。YOSHIKIは「TOSHIは家族のような存在であり、彼の異変に気づいていたが、何もできなかった」と当時の辛さを語っています。
解散ライブとその後の悲劇
解散ライブでは、TOSHIの発言に対しメンバーやスタッフが警戒していたことも明かされました。解散後、YOSHIKIは失意のどん底に落ち、翌年には良き理解者でありプロデューサー的存在だったHIDEが亡くなりました。YOSHIKIは「ミュージシャンを辞めようと思った」と振り返り、精神的に追い詰められていました。

奇跡の再結成
解散から十年後、エックスジャパンは再結成を果たします。再結成の理由は皮肉にもお金でした。TOSHIが音楽関係者から再結成の話を持ちかけられ、破格のギャラを提示されましたが、セミナー主催者の指示により再結成を受け入れました。
YOSHIKIは「これはチャンスだ。バンド活動を通じてTOSHIが目覚める日が来るのではないか」と考え、再結成を決断しました。
洗脳からの解放
再結成を通じて、TOSHIは徐々に洗脳から解放されていきます。そして、ついにセミナー主催者の不正行為を告発し、洗脳から脱出しました。再結成後、エックスジャパンは国内外で活躍し、ワールドツアーを成功させました。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=8VDROfx8htA,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]