"名前のない弁当箱" 第9話
正がを読みげる、源郎は目を閉じていた。聞こえているのか分からず、正が顔をづけると、父はかすかな声で言った。
「俺が始めたんじゃない」
「では、誰が始めたんだ」
「俺も昔、腹を空かせていた」
源郎は初めて、誰にも話さなかった幼期のことを語った。
関震災の、と父親を失った源郎は、母とともに避難所で暮らした。べるものがなく、倒れそうになっていた、見らぬ女性が自分の握り飯を半分に割ってくれた。
名も聞かなかった。女性も名乗らなかった。ただ、「きくなったら、誰かに半分あげなさい」と言った。
「あのの顔は、もういせん。俺がの連へ米を分けたのも、派なだったからじゃない。昔もらった半分を、やっと渡しただけだ」
正は胸の奥がくなるのをじた。
つの握り飯から始まったものが、源郎へ渡り、戦の若者たちへ渡り、その族や次の世代へ広がっていた。最初の名もない女性は、自分の事を半分失っただけだとっていたかもしれない。だがその半分は、何も消えずに残っていた。
源郎は弁当からさなおにぎりをつに取った。震える指で半分に割り、片方を正へ差しした。
「え」
「父さんの分だろう」
「半分でいい。残りはおが持っていけ」
正は受け取り、父と並んでべた。
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苔はし湿っていたが、米にはまだ温かさが残っていた。
その夜、源郎は澄と正に見守られながら静かに息を引き取った。枕元には空になった弁当箱と、昭21から使い続けた帳面が置かれていた。
葬儀には、の社員だけでなく、正のらない々が各から集まった。かつての職、その妻、子ども、孫。源郎に直接助けられた者だけではなく、その誰かから助けられた者もいた。
誰も源郎を偉とは呼ばなかった。ただ、「あのには帰っていける所があった」と語った。
正はその言葉を聞き、帳面の最のページをいた。そこには父の跡で、だけ記されていた。
『は、助けられたことより、助けてもらえる所があったことを覚えている』
源郎がくなったも、毎15の弁当は本鉄所へ届き続けた。だが正は、以のように社員だけでべることをやめた。
の入にさなの棚を設け、「必な方は、つお持ちください」といたを貼った。弁当の部を所の独り暮らしの老や、仕事を探して歩く若者へ渡すためだった。
最初は誰もを伸ばさなかった。困っているとわれるのが恥ずかしく、棚のを通り過ぎる者ばかりだった。
そこで正は「余ったので、べてください」とき直した。すると夕方にはつ、またつと弁当がなくなった。
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あるの、制姿のが棚のでち止まっていた。弁当を取ろうとしてはを引っ込め、何度も周囲を見回している。正がからると、は逃げようとした。
「持っていっていい」
「でも、おがありません」
「売り物じゃない」
「どうして、ただでくれるんですか」
正はし考え、父の言葉をそのまま伝えた。
「いつか余裕ができたら、別の誰かへ渡してくれ。それでいい」
は弁当を胸に抱え、くをげた。それから毎15に姿を見せるようになったが、半ほどたつと来なくなった。
正は消息を捜さなかった。父なら、きっとそうしただろうとったからだ。助けた相のそのを自分の功績のように確かめる必はない。どこかでき延びていれば、それでよかった。
代が昭から平成へ変わる頃、本鉄所を取り巻く町並みもきく変わった。はマンションへ建て替えられ、くの町が郊へ移転するか廃業した。
本鉄所も経営の転換を迫られた。正の息子・隆は、古いを閉め、設備のった業団へ移ることを提案した。
「この所では型械も入れられない。トラックも通れない。残すことにこだわっていたら、会社そのものがなくなる」
かつて父と同じ争いをした正は、今度は古い側にっていた。
漏りをした根、源郎の机、弁当を置いた入。そのつつを失うことが、父との約束を捨てるようにじられた。