"ラジオの涙" 第7話
父の背嚢にも、片方だけの袋が残されていた。正が茂のいた所へ戻ったに拾ったものだった。
、健は父の遺品から取りした袋をへ見せた。2つを並べると、格好な組の袋になった。
はそれを胸に抱きしめた。
「兄は、確かに佐藤さんと緒にいたんですね」
「父は、最までさんがくなったとは決めていませんでした」
「私もです」
その、はもうつの事実をかした。
昭24頃、から差しされた通の葉がのもとへ届いていた。差の名はなく、文字も滲んでいたが、文面には『巻のへ。きている。まだ帰れない』とかれていた。
は兄からだと信じた。しかし消印が鮮で、返事をすことはできなかった。
葉の端には、正のらない名が残っていた。
健とは、茂が終戦直まできていた能性を初めてにした。
健は父の代わりに、葉の消印と茂の取りを調べ始めた。とともにの役所や復員者団体へ連絡し、当の収容施設や病院の記録を探した。
40もの資料のくは失われていた。それでも、さな診療所の廃棄されなかった台帳から、『タカハシ・シゲル』と読める名が見つかった。
昭212、栄養失調と脚の負傷で治療を受けた記録だった。
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は宮県。齢も茂と致していた。
正が別れた、茂は通りかかった別部隊に救助され、治療を受けながらへ移送されたらしい。終戦も脚の状態が悪く、故郷へ戻る旅費もなかったため、の拓作業に加わったと考えられた。
さらに調べると、茂は昭25に炭鉱町で起きた事故でくなっていた。寄りがないとわれ、共同墓へ葬られていた。
へ送った葉は、くなるのものだった。帰れないといた理由は分からなかったが、の障害や貧困、族の消息が分からないことから、自分が戻れば負担になると考えたのかもしれない。
は記録をにして、い何も言わなかった。
40待ち続けた兄が、終戦から5まできていた。自分を忘れたのではなく、葉をしていた。それだけでも、にとってはしみの形を変える真実だった。
「兄は帰ろうとしていたんですね」
「きっと、そうです」
「佐藤さんにも、きていたと伝えたかったでしょうね」
その言葉を聞き、健は父の墓へ報告することを決めた。
と子、健の族が墓へ集まった。健は茂の記録と、片方ずつ残された袋を墓のへ置いた。
「父さん、さんはあの、きていたよ。父さんが置いてきたせいでくなったんじゃなかった」
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の父が最も聞きたかった答えだった。
が墓の々を揺らし、くから正午を告げる鐘が聞こえた。子は墓を撫でながら静かに語りかけた。
「もう、していいのよ。あなたは約束を忘れていなかった。さんも、お兄さんのことを忘れていなかったわ」
は墓でくをげた。
「佐藤さん、兄を40も覚えていてくださって、ありがとうございました。私を捜してくださって、ありがとうございました」
その、同はの共同墓を訪れた。茂のものと断定できる遺骨は残されていなかったが、は碑のへ組になった袋を供えた。
「お兄ちゃん、遅くなってごめんね」
40には言えなかった言葉だった。
健は茂の墓で、父がなぜラジオのに座り続けたのかを改めて考えた。父は過から逃げられなかったのではない。過に残されたを、自分のから消さないために聞き続けていたのだ。
そしてもうつ、父は毎晩8の報を聞くたび、へ帰れた自分のを確かめていた。
妻がいる。子どもの声がする。温かい事がある。の仕事がある。
戦争が終わったに初めてにした「」が、今も続いている。その事実が、父を泣かせていたのである。
正がくなってから数、子はく暮らした借をれ、健ののくへ移ることになった。
荷物を理するで、古いラジオをどうするかが問題になった。
箱には傷が増え、布は茶く変し、源を入れても雑音しかない。