"消えた実印" 第8話
その迷いに気づいたのか、織は自分からを伸ばした。
「お借りします」
文は頷いた。
嫁と姑になって18。
何度も同じ卓を囲み、正や盆を緒に過ごした。それでも、織が自分ので泣くのを見たのは初めてだった。
「達也さんとは、婚するつもりです」
織が涙を拭きながら言った。
文は胸が痛んだ。
息子を捨てないでほしい。
もう度だけ会を与えてほしい。
そんな言葉が喉までかかった。
だが、それを言う権利は自分にあるのかと考えた。
借を隠され、娘の貯を使われ、から追いされたのは織である。夫婦を続けるかどうかを決めるのも織だ。
「そう」
文はそれだけ答えた。
織は驚いたように顔をげた。
「止めないんですか」
「止めてほしい?」
「いいえ」
「なら、止めない」
文はしを置いた。
「でも、美のことは緒に考えさせて。あなたに背負わせたくないから」
織はまた泣いた。
今度は、ハンカチで顔を覆った。
ホテルのへると、のがく吹いていた。
文は自宅へ帰るに、へ寄った。
窓で通帳を記帳する。
数からかしていない定期預。
正雄の命保険。
普通預。
残はある。
だが、見覚えのない引きしがあった。
半から、毎10万円。
計60万円。
引きされたはいずれも、達也が文を病院へ送っただった。
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文は窓の子に座り込んだ。
実印だけではない。
息子はすでに、母親の座からを取っていた。
の防犯記録を確認するには、正式な続きが必だった。
文は織の紹介した弁護士へ相談し、通帳、キャッシュカード、暗証番号に関する状況を説した。
暗証番号は、正雄の誕だった。
達也もっている。
病院へった、文は達也へバッグを預けたことがあった。診察券をすため、財布ごと渡したこともある。
「息子が取ったと、まだ決まったわけではありません」
弁護士は慎に言った。
「ただし、やATMの所を確認する必があります。キャッシュカードは今お持ちですか」
文は財布からカードをした。
紛失したことはない。
達也はカードを持ちしたあと、元へ戻したのだろうか。
「被害届をしますか」
「まだ決められません」
弁護士は急かさなかった。
「まず座を止め、暗証番号を変更しましょう。そのうえで事実を確認してください」
文はで続きを済ませた。
帰宅すると、達也が玄関のにっていた。
「どこへってたんだよ」
「あなたに言う必ある?」
「織と会ったんだろう」
達也の声は荒れていた。
以の文なら、所に聞かれることを恐れてすぐへ入れただろう。だが、そのは玄関をけなかった。
「私の座から、60万円なくなってる」
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達也の表が止まった。
「あなたでしょう」
「らない」
「病院へったばかりなの」
「偶然だろう」
「暗証番号をってるのは、あなたと私だけ」
「由紀だってってるかもしれない」
「由紀には教えてない」
達也は線をそらした。
「借りただけだよ」
しばらくして、さな声で認めた。
「返すつもりだった」
文は息子の顔を見た。
幼い頃から何度も聞いた言葉だった。
あとで片づけるつもりだった。
謝るつもりだった。
返すつもりだった。
やるつもりだった。
達也は、終わらなかったことをすべて「つもり」で説した。
「私に聞いた?」
「聞いたら、貸さないだろう」
「当たりでしょう」
「息子が困ってるんだぞ」
「だから盗っていいの?」
「盗ったんじゃない。族のだろう」
文の胸がたくなった。
族の。
達也は本気でそうっている。
母親の預も、妻の貯も、娘の学費用も、自分が困れば使っていい。いずれ相続するなのだから、売って借を返しても構わない。
「お父さんなら、助けてくれた」
達也が言った。
「お父さんは、あなたに300万円残したでしょう」
「あんなの、すぐなくなるよ」
「誰がなくしたの?」
「俺だけが悪いみたいに言うなよ。会社だって、取引先だって、俺に責任を押しつけた。織も、うまくいってるは何も言わなかったくせに、がなくなったら婚だ。族なんて、結局そういうものだろう」
文は、息子を見ながら正雄の言葉をいした。
達也はさい頃から優しい子だった。
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