"ヤクザが凍りついた夜" 第2話
午11半をし過ぎた頃だった。
の向こうから、複数の音がづいてきた。
革靴が畳を打つい音だった。
「おい、本当にこんな奥になんかあるのか?」
い男の声が聞こえた。
続いて、きな笑い声が響く。
田がビール缶を持ったまま入へ目を向けた。佐藤夫妻も会話を止め、初はおでん鍋のでわずかに眉を寄せた。
この辺りでまれ育ち、40以夜の商売を続けてきた初には分かった。
普通の酔客の音ではなかった。
方、誠は徳利を持ったまま、を見ようともしなかった。
ただ度だけ、箸を置いた。
そして誰にも気づかれないほどさく、背筋を伸ばした。
音は分だった。
はく、残りのはそれにし遅れて歩いている。誠は入を見ないまま、その隔だけを聞いていた。
昔からの癖だった。
閉じ込めていた習慣という方が正しいかもしれない。
「ここだな」
簾の向こうで声がした。
次の瞬、たいとともにの男がへ入ってきた。
先の男は52歳の黒田正雄だった。黒いスーツの胸元からのネックレスを覗かせ、頬には古い傷が何本も残っている。
辺では名をる者もいる男だった。
きな組織の幹部というほどではないが、数の仲を従え、やさな商売を相に威圧な振るいを繰り返しているという噂があった。
広告
ろのは、38歳の相馬剛と31歳の浜直だった。
相馬は185センチほどある柄な男で、昔ボクシングをしていたという話がある。浜は細だったが、周囲を見回す目つきに慮がなく、怯えているを探すような笑みを浮かべていた。
「おばあさん、酒ある?」
黒田が声で言った。
初は瞬だけ黙ったが、すぐ商売の顔に戻った。
「本酒とビールならございます」
「じゃあ酒。分」
男たちは客が席を空けるのを待たず、子をきな音で引いた。相馬は隣の子に片腕を置き、浜は周囲を見ながら元を歪めた。
「随分おとなしい町だな」
田の肩がわずかに張った。
「昔はもうちょっと活気があったんじゃねえの?」
誰も答えない。
黒田はそれを楽しむように笑った。
「ばあさん。この辺じゃいんだろ?」
「40ほどになります」
「じゃあ顔も広いわけだ」
初のが止まった。
黒田は差しされた本酒をんでから、ありげに続けた。
「俺たちもこれからこの辺で商売することになってな。まあ、仲良くやろうや」
その言葉が何をするのか、説されなくても分かった。
佐藤の妻が夫の袖をつかんだ。田はスマートフォンへ度を伸ばしたが、浜の線がこちらへ向いたため、そのままポケットに戻した。
初は、何も聞かなかったことにしてやり過ごすしかないとった。
広告
正面から言い返して、常連客まで巻き込むわけにはいかない。
そんな苦しい空気ので、だけ普段と何も変わらない男がいた。
誠だった。
彼は奴をさく切り、へ運んでいた。
「おっと」
浜が気づいた。
「爺さん、ずいぶん余裕じゃないか」
誠は顔をげなかった。
「聞こえてないのか?」
それでも返事はない。
浜は面くなさそうに舌打ちした。
「寄りはく寝た方がいいんじゃないですかね、親分」
相馬が笑う。
黒田も振り返った。
「族が配するだろう。こんなまでにいたら」
その瞬だけ、誠の箸が止まった。
族。
その言葉から浮かんだのは、美代子の顔だった。
けれど誠は何も言わず、再び箸をかした。
その態度が、には自分たちを無しているように見えた。
「爺さん」
浜がちがった。
誠のろを通り過ぎる際、わざと肩へ肘を当てる。
「悪い悪い。見えなかった」
誠の体がわずかに揺れた。
しかし彼は振り向かなかった。
「丈夫です」
それだけだった。
らない。
怯えない。
言い返しもしない。
それが浜には、かえって気に入らなかった。
「何だ、その言い方」
初がたまらずを挟んだ。
「お客様、誠さんは何も——」
「ばあさんは黙ってろよ」
黒田の声がんだ。
初はを閉じた。
悔しさでが震えた。
戦の混乱がまだ残る町で育った初は、威圧する男たちを何度も見てきた。
若い頃ならってかかったかもしれないが、72歳の今は、自分が倒れればも客も守れないことを分かっていた。
広告
おすすめ作品
-
完結第34話
妻の葬儀の夜、義母が外した指輪と娘の写真
妻・美保の葬儀が終わった夜、修二の結婚指輪を外したのは、亡き妻の母・麗子だった。「もう美保に隠す必要はないでしょう」と唇を寄せたその瞬間、娘・咲から1枚の写真が届く。そこには半年前の病院で抱き合う修二と麗子、そしてガラス越しに2人を見つめる病衣姿の美保が写っていた。 闘病中の妻を支える献身的な夫を演じながら、修二はいつしか自分の弱さを理解してくれる義母へ逃げ込み、越えてはならない境界を越えていた。しかも麗子は「美保も知っていた」「私がいなくなったら修二さんを1人にしないでと頼まれた」と主張し、その証拠となる録音まであるという。 だが翌朝、咲が告げたのは「お母さんの声を最後まで聞いて」という一言。 亡き妻が本当に残した言葉を前に、2人が都合よく信じてきた“許し”が崩れ始める――。夫婦|修羅場5.1万字5 609 -
完結第14話
「死産」と告げた院長と20年目の出生記録
20年前、出産した娘を「死産でした」と告げられた私・佐藤しず子。しかし私は、麻酔の中で確かに聞いた産声を一度も忘れられなかった。 真実を確かめるため、私は清英産婦人科医院の清掃員として20年間働き続け、誰にも気づかれず院内の秘密を探ってきた。そんなある夜、若い看護師から「まだ間に合います。あなたの娘さん生きています」と書かれた紙を渡される。 やがて地下の保管庫へ忍び込んだ私は、自分の出産記録の隣に「佐藤女児――転送」と記された手帳を発見する。 さらにそこには複数の新生児と金銭の記録まで残されていた。娘を奪ったのは誰なのか。そして病院は20年間、何を隠してきたのか。見下され続けた“掃除婦”は、集めた証拠を手に院長・安藤剛と対峙する――。真相|修羅場2.1万字5 407 -
完結第16話
四十九日の追放、母の隠し遺言
「十年世話しただけの妹に、実家の取り分はないわ」 母の四十九日、喪服の兄夫婦は親族の前で澄子を指差し、台所の冷えた板の間へ追いやった。信金を辞め10年間、720万円の私財を投じて母を看取った澄子に、兄は「今週中に出て行け」と冷酷に通告する。 母のキャッシュカードは7年前から兄が独占し、消えた年金は1240万円。 家財すべてが二束三文で業者に売り払われようとする中、母が50年愛用した古い足踏みミシンの奥底から、厳重に隠された「ある物」が滑り落ちた。 「その言葉、そっくりそのままお返しします」 あの日からちょうど49日後、審判の幕が上がる――。兄弟姉妹|修羅場2.3万字5 432 -
完結第27話
妻を追い出した翌朝、7枚のブラックカードが止まった
結婚3年目の夜、美桜が帰宅すると、夫・達也は若い愛人と義両親を囲み、離婚届を突きつけてきた。「無能で地味な女」「1円も稼げない寄生虫」と嘲られ、慰謝料もなく豪邸から追い出される。 だが4人は知らなかった。美桜の正体は、世界経済を動かす巨大グループの総帥。倒産寸前だった達也の会社を救い、資金も仕事も与え、彼を“天才社長”に見せていたのは全て美桜だった。 さらに豪邸も別荘も、7枚のブラックカードも、達也自身の資産ではなく美桜の法人名義。 離婚届が受理された瞬間、美桜は静かに全カードを停止し、豪邸の退去手続きと会社への特別監査を開始する。 勝ち誇っていた一家がまだ知らない、本当の“無一文”への転落が始まろうとしていた――。修羅場|熟年離婚4.0万字5 285 -
完結第22話
夜勤の救急外来に運ばれた夫と義姉
深夜2時、救急外来で夜勤中の看護師・佐藤み咲のもとへ、交通事故で重傷を負った男女2人が搬送されてきた。シーツの下にいたのは、夫・拓也と義姉・麗子。しかも2人は、決して「姉弟愛」では説明できない姿で倒れていた。 み咲は5年間、看護師という仕事を見下す夫と、「子供も産めない」と侮辱する麗子、その2人を庇い続ける義母・里子に耐えてきた。 それでも彼女は感情を捨て、看護師として2人の命を救うことを選ぶ。 だが、惨状を目にした義母まで「全部あなたのせい」とみ咲を罵倒した瞬間、最後の迷いは消えた。 何年も残してきた暴言の記録と証拠を武器に、奪われ続けた人生を取り戻す反撃が静かに始まる――。夫婦|修羅場|不倫3.3万字5 2748 -
完結第11話
貧乏老人を嘲笑った行員の末路
「あんな貧乏臭い爺い、適当にあしらっとけばいいのに」ボストンバッグを抱えた老人に、新入行員は嘲笑の声を浴びせ、エリート課長代理は別の窓口へ強制的に追い返した。母親の入院費のため百万を引き出しに来ただけの、よれよれのジャケットを着た年寄り――。だが、彼こそが全日本経済の裏を牛耳るクオンホールディングスの会長・久音次郎その人だった。侮辱に耐えかねた新人の篠崎水希が一人で抗議する中、老人が静かに古びたバッグの金具を閉じた瞬間、端末の画面で一千万円、一億円と出金通知の数字が狂ったように跳ね上がり始めた。絶望の淵に立たされた傲慢な行員たちの運命を決定づける、驚愕の審判の行方は――。職場逆転|修羅場1.6万字5 1861 -
完結第19話
深夜2時、隣家の物置で赤ん坊を抱く4歳児
心臓の不整脈で消防士を辞め、故郷の民宿「緑海荘」へ戻った27歳の相馬蒼太。 ある深夜2時、隣家から突然途切れた赤ん坊の泣き声に異変を感じて駆けつけると、物置のような暗い部屋で、全身に青あざを負った4歳のひなが、痩せた妹メイを必死に抱いていた。 「泣いたらまた叩かれるんですか?」――その一言に、蒼太は2人を必ず守ると決意する。民宿へ連れ帰り、常連客の旅行ライター・りんや両親と共に食事と温かな寝床を与え、児童相談所へ連絡。 しかし保護の朝、ひなは「お兄ちゃんと離れたくない」と蒼太の服を握りしめる。初めて見る海の前で、ようやく声を上げて泣いた少女を前に、蒼太とりんは“助ける”だけでは終われない未来を選び始める――。親子関係|修羅場2.8万字5 251 -
完結第10話
洋食屋の絆と、高級寿司屋の逆転
岡田悠斗は、高校生の時に両親を交通事故で亡くし、高卒の自動車整備士として働きながら、三歳下の妹・真央をたった一人で大学の法学部まで育て上げた。真央は猛勉強の末に難関の司法試験を突破し、弁護士として初任給をもらう。悠斗への感謝を込めて予約した高級寿司屋の席で、悠斗の職場の傲慢な上司・西村が偶然居合わせ、「工場で油まみれになって働く底辺の作業員」と悠斗と真央を激しく侮辱する。絶望と怒りが交錯する中、隣の席に座っていた一人の客が立ち上がり、西村を冷徹に一喝する。その男の正体は、かつて両親の営む洋食屋「ひまわり」で無銭の少年時代に助けられた大手IT企業の社長・藤井宗介だった。過去の恩返しと、血を分けた兄妹の絆が奇跡を引き起こす感動のヒューマンドラマ。兄弟姉妹|修羅場1.5万字5 641 -
完結第25話
底辺受付嬢を見下す役員たちの誤算
父の会社は、最も信頼していた人間の裏切りによって無惨に食い物にされた。巨額の負債を背負い、絶望の中で病に倒れた父。私はその冷酷な真相を暴くため、ハーバード大の博士号を隠し、ただの「受付嬢」として敵の中枢である星空グループに潜入した。 誰からも見下され、理不尽な侮辱に耐え忍ぶこと3年。息を潜めて集めた証拠が示したのは、あまりにも残酷な真実だった。父を破産に追い込み、私から全てを奪った黒幕の正体は、父が家族のように慕っていた古参役員だったのだ。 「黒幕は役員会の中にいる」――私を守るため、父が命懸けで残してくれた最期のメッセージを知った時、胸の奥の悲しみは絶対的な冷酷さを持つ復讐の炎へと変わった。私の素性を知る新社長のハルトや、父の旧友たちと共に、私は決して逃れられない完璧な包囲網を密かに築き上げていく。 そして迎えた運命の役員会。全てを掌握したと信じ、私の前で勝ち誇る黒幕。だが彼はまだ知らない。無力な受付嬢だと思っていた私が、彼を社会的死の淵へと突き落とす致命的な罠を仕掛けていたことを。仮面を脱ぎ捨てた時、強欲な悪魔を地獄の底へと引きずり下ろす、容赦なき反撃が幕を開ける――。因果応報|真相|修羅場3.8万字5 1809 -
完結第15話
不当解雇された高卒技術者の特許逆転劇
精密機械メーカーの技術者・中村誠は、高卒叩き上げであることを理由に、名門大卒のエリート上司・北川部長から「掃除とオイル交換しかできない無能な雑用係」と見下されていた。ある日、大口顧客向けの製品に二百個超の大量不良が発生。北川は自らの設定ミスを隠蔽し、誠を犯人に仕立て上げて責任を押し付ける。深夜に真相を暴くアクセスログのUSBメモリーを確保した誠だったが、直後に車に撥ねられ全治三ヶ月の重傷を負ってしまう。病室から連絡を入れると、北川は「好都合だ、クビにしておく」と嘲笑し電話を切った。だが誠が病室のベッドから特許庁へ出願した一枚の技術書類と、彼が去って完全沈黙した工場の製造ラインが、欺瞞に満ちた組織に前代未聞の崩壊をもたらす――。職場逆転|人生逆転2.5万字5 430