みかん小説
本棚

"ヤクザが凍りついた夜" 第7話

けれど誰も追及もしなかった。

初には分かった。

過を暴けば、このが切にしている平凡さまで壊してしまう。

「そうですね」

初は涙を拭って笑った。

「ここでは、いつもの誠さんです」

その言葉を聞いた。

誠の顔から初めて、ほんのしだけ緊張が消えた。

その夜、をるまでの、誠は自分から昔の話をほとんどしなかった。

ただ、常連たちが無理に尋ねなかったことで、しだけが軽くなった。

「若い頃、自隊にいたのは本当です」

それだけは認めた。

訓練を受け、を制圧する技術をにつけたこともある。危険を定して周囲を見る習慣も、定の呼吸で拍をえる癖も、その頃についたものだった。

だが所属していた所や、どんな任務に携わったのかについては話さない。

「言えないんですか?」

田が慮がちに尋ねる。

誠は首を横に振った。

「言えないこともあります。でも、それより、今さら話す必がないんです」

その声には秘密を誇る響きがまったくなかった。

むしろ、過と距を置きたいの静かな疲れがあった。

退職してからしばらく、誠は環境をきく変えた。

制もない。

命令もない。

緊張をいられる所でもない。

最初は、その活に慣れる方が難しかったという。

町で働き始めた頃、械の突然の音に反射に振り返ることがあった。

広告

誰かが背を急いで通れば、無識に位置を確認してしまう。

そんな自分を美代子は笑わなかった。

「しずつでいいじゃない」

夕飯を作りながら、それだけ言った。

美代子は商ので働いていた。

華やかな女性ではなかったが、誠が黙っていても無理に会話を埋めようとはしないだった。沈黙が苦にならない相に会ったのは、誠にとって初めてだった。

結婚、は古い軒を買った。

広くはない。

それでもさな庭があり、美代子はになると鉢植えを並べた。

誠は休になると棚を作り、壊れた戸を直し、妻に頼まれれば商まで醤油を買いにった。

昔の仲から連絡が来ることもあった。

けれど、美代子との夕を理由に断るが増えていった。

それを悔したことはなかった。

「あなたはもう、戦わなくていいのよ」

美代子は度だけそう言った。

「守ることと戦うことは、同じじゃないでしょう」

その言葉がく胸に残った。

だから今夜も、誠は最まで自分から殴らなかった。

黒田たちへ腹がたなかったわけではない。

初が震える姿を見た。

佐藤夫妻が怯えているのを見た。

浜が活者を馬鹿にした。

りはあった。

それでも、りに任せて相を傷つければ、昔の自分へ戻ってしまう気がした。

「誠さん」

広告

初が煮物の鉢を置いた。

「今夜はこれ、私からです」

「いただけませんよ」

「いいんです」

「商売でしょう」

「今夜くらい言うことを聞いてください」

初は珍しくい調で言った。

誠はし迷い、それからをげた。

「ありがとうございます」

鉢をへ運ぶ。

根と参。

し甘い付けだった。

「美代子もこういうが好きでした」

誠が呟く。

初の表が柔らかくなる。

「奥さん、きっと今夜も見てましたよ」

誠は返事をしなかった。

ただ膝ののハンカチへを置いた。

端に、さなの刺繍がある。

美代子が昔縫ったものだった。

誠が今夜、相馬へを伸ばす直。

そのハンカチを畳み直していたのは、偶然ではなかった。

を落ち着かせるためでもある。

同に。

もう帰ることのできない常へ、自分をつなぎ留めるためでもあった。

黒田たちは警察署で事を聞かれた。

内での威圧な言や器物の損壊、複数の客への脅迫な振るいについて確認され、そのも関係者への聞き取りが続いた。

翌には帰されたものの、を待っていたのは以と同じ常ではなかった。

噂が広がるのはかった。

「黒田たち、老に止められたらしい」

「がかりだったって?」

「しかも相は78歳だってよ」

話はごとにきくなった。

実際には誠はを「叩きのめした」

わけではない。

ほとんど怪をさせず、襲ってきたきを止めただけだ。

だが噂というものは正確には広がらない。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: