"母が残した最後の住所" 第8話
作業が終わった夕方。
祖父の斎へった。
「蔵の荷物、全部見ました」
祖父は黙っていた。
「つだけ受け取ってました。父さんがんだの12」
「ああ」
「俺、覚えてます。あの噌汁」
祖父が顔をげた。
「あの朝、杯みました。母さんに何の噌か聞いたら、気のせいだって言われた」
祖父の目がし揺れた。
「ったのか」
「はい」
「千鶴がけたのか」
「けたんでしょうね」
祖父は両で顔を覆った。
「そうか」
それだけを何度も繰り返した。
そのの。
祖父が倒れた。
夜、斎から廊へたところで識を失ったらしく、偶然敷へ泊まっていた俺が物音を聞いた。救急が来るまでの数分、俺はたくなった祖父のを握っていた。
祖父は俺を見た。
けれど。
「千鶴」
と母の名を呼んだ。
俺は瞬迷った。
それから祖父のを握り直した。
「うん。帰ってきたよ」
祖父の目から涙がこぼれた。
「すまんかった」
俺は、母がよく言っていた言葉をいした。
「貧乏でもね、あんたが笑ってくれたらお母さんは幸せなんだよ」
祖父の元でそう言うと。
老は子どものように泣いた。
祖父は命を取り留めた。脳の血管が詰まりかけていたものの発見がく、に軽い麻痺が残っただけで歩くことも話すこともできた。病へ見いにくと、祖父は夜のことを覚えているのか分からない様子で、「何か変なことを言ったか」
広告
と尋ねた。
「母さんの名を呼びました」
祖父は目を閉じた。
「俺、帰ってきたよって答えました」
今度は目をいた。
しばらく俺を見ていたが、何も言わなかった。
俺は子をベッドの横へ寄せた。
「じいさん。蔵のこと、どうして俺に言わなかったんですか」
「言えるものか」
祖父は井を見た。
「届かなかった239個を見せて、わしはこんなに娘をっていたと言うのか。あれは全部、わしの負けの記録だ」
俺はし笑った。
「個は届いてます」
「そうだな」
「俺の腹にも届いてますよ。杯んだから」
祖父の目尻が赤くなった。
そのだった。
祖父は、母が度だけ敷まで戻ってきた夜のことを話し始めた。
「12だった」
父がくなった。
母がをいた。
「夕方、斎からを見たら、女がっとった。暗かったが、分かった。千鶴だった」
俺は息を止めた。
「わしはった。玄関までった。だが、戸をけられんかった」
「どうして」
「何を言えばいいのか分からんかった」
お帰り。
その言でよかった。
祖父自も分かっていた。
けれど。
20、「度と戻るな」と言ったが、何事もなかったように「お帰り」と言う資格があるのか。
謝れば許されたいだけではないのか。
そんなことを考えているうちに、20分が過ぎた。
「斎へ戻って窓を見たら、もうおらんかった」
翌朝。
郵便受けのに。
母がいた、切のあるが入っていた。
広告
祖父は封筒を引きしへ入れた。
けられなかった。
代わりに沼田へ、今の荷物だけは直接持っていけと命じた。
それが母が唯受け取った箱だった。
「わしはの鍵を20、度もかけんかった」
祖父は続けた。
「自分では待っとるつもりだった。だが違う。玄関の内側で20分ち尽くした男が、“待っていた”なんて言えるものか」
俺は病の窓からを見た。
ずっと答えを求めていた。
なぜ迎えにかなかった。
なぜ話をしなかった。
なぜ謝れなかった。
その答えは。
あまりにもけなかった。
。
悔。
怖さ。
自分からをげれば、これまでの20すべてを否定するようにえた。
「母さんも似たようなもんですよ」
俺が言うと、祖父はし驚いた。
「239回返したくせに、荷物が着いたかだけは毎回聞いてたんでしょう。だって11回もき直して、自分でまで持ってきた。それでもに入れなかった」
祖父がく笑った。
「似とるな」
「本当に面倒くさい親子ですね」
祖父は今度はし声をして笑った。
退院の。
俺は祖父へ言った。
「敷へ戻ってもいいですか」
祖父は何も言えなくなった。
「ずっとじゃないかもしれません。でも、今は戻りたいです」
祖父は唇を震わせた。
やっと言だけ。
「お帰り」
と言った。
俺はをげた。
「ただいま」
祖父が母へ40く言えなかった言葉を。
俺たちは病で、ようやく交わした。
を卒業した俺は学へ学した。
広告
おすすめ作品
-
完結第16話
血染めの写真と三文字のSOS
夕方のコンビニの床に落ちていた一枚の写真。微笑む少女の横には、まだ乾ききっていない赤黒い生血がべっとりと付着していた。 裏返した瞬間、息が止まる。震える筆跡の住所と、指先の血で擦り付けられた『SOS』の三文字。 妻に捨てられ、八歳の息子と写真館を営む私には分かった。この血は付着して数分も経っていない――今すぐ行かなければ手遅れになる。 警察に通報し駆けつけた古い民家の階段下には、右足を骨折し倒れ伏す母親と、自らの手のひらを切り裂いた六歳の少女がいた。 「……だれ?」 母を庇い、血まみれの手で私を睨み据える少女の瞳が訴えていた、あまりに残酷な真相とは。親子関係|金銭問題2.4万字5 200 -
完結第15話
不当解雇された高卒技術者の特許逆転劇
精密機械メーカーの技術者・中村誠は、高卒叩き上げであることを理由に、名門大卒のエリート上司・北川部長から「掃除とオイル交換しかできない無能な雑用係」と見下されていた。ある日、大口顧客向けの製品に二百個超の大量不良が発生。北川は自らの設定ミスを隠蔽し、誠を犯人に仕立て上げて責任を押し付ける。深夜に真相を暴くアクセスログのUSBメモリーを確保した誠だったが、直後に車に撥ねられ全治三ヶ月の重傷を負ってしまう。病室から連絡を入れると、北川は「好都合だ、クビにしておく」と嘲笑し電話を切った。だが誠が病室のベッドから特許庁へ出願した一枚の技術書類と、彼が去って完全沈黙した工場の製造ラインが、欺瞞に満ちた組織に前代未聞の崩壊をもたらす――。職場逆転|人生逆転2.5万字5 430 -
完結第14話
高卒エースを掃除係に落とした無能社長
大手玩具メーカーの営業エース・篠田零司は、高卒叩き上げながら十二年間にわたりトップの成績を維持してきた。だが、恩師である先代の矢吹会長が病で倒れ、新社長に就任した倉島哲也から全社報告会で突如「先月の達成率は三十パーセント、部内最下位のお荷物だ」と虚偽の数字で公開処刑される。強烈な学歴コンプレックスと嫉妬を燃やす倉島は、篠田を社長室の雑用係へと追いやったばかりか、彼が一年かけて心血を注いだ総額百億円の大型独占契約を故意に破談へ追い込む暴挙に出る。しかし、篠田の手元には「確定売上高一億四千二百万円」を証明する売上管理ファイルの原本が存在していた。理不尽の極みの中で静かに退職届を差し出した篠田。だが、現場の異変を察知した車椅子の矢吹会長が立ち上がり、握りつぶされた証拠が暴かれたとき、欺瞞に満ちた社長室に前代未聞の鉄槌が下される――。職場逆転|人生逆転2.9万字5 208 -
完結第11話
「子どもを産めない」と捨てられた妻の逆転
結婚前は優しく誠実だった夫・誠。 しかし結婚後、彼の本性は少しずつ姿を現していった。 子どもを望めない妻を「役立たず」と罵り、家では暴言を浴びせながら、自分は若い女性との時間を楽しむ。 かな子は「自分が悪いのだ」と耐え続け、愛した人との生活を守ろうとしていた。 だが、ある夜、夫の裏切りを示す決定的な証拠を見つける。 そして離婚を決意したかな子のもとに、長年知らされていなかった父からの連絡が届く。 そこで明かされたのは、彼女自身も知らなかった巨大な財産と、人生をやり直すための力だった。 すべてを失ったと思っていた妻が、実は何も持たない弱者ではなかったと知った時――。 誠の傲慢な要求と、隠されていた真実が次々と崩れ始める。 愛だと信じた結婚の終わりから、かな子の本当の人生が始まる。夫婦|第二の人生|不倫1.6万字5 397 -
完結第20話
長女にだけ渡された鍵
父の四十九日。「お前が一番しっかりしている」と病床の父から金庫の鍵を託された長女の私は、弟と妹の前で鉄の扉を開けた。だが中にあった私の通帳は残高一万円で、二百八十万円あった預金は弟の名義で全額引き出されていた。問い詰める私に弟は「親父に頼まれた」と父の直筆の手紙を突きつけ、妹も父と交わした別の密約を叫び始める。そこへ男が現れ、父が実家を担保に借りた五百万円の借用書を突きつけてきた。裡切られた|兄弟姉妹|相続|金銭問題|修羅場3.0万字5 92 -
完結第25話
祖父が私に遺した最後の拒否権
亡くなった祖父の果園を三千二百万円で売却するため、東京で働く私は十年ぶりに実家へ呼び戻された。生活苦に喘ぐ父と妹の結婚資金のため、名義を持つ父は契約を急いでいたが、司法書士が出したのは「長孫である私の書面同意がなければ売却は無効」という祖父の遺言だった。早く終わらせようとペンを握った私は、ふと買い手企業がここを何にするつもりなのか尋ねた。山を削り大型トラックの夜間中継所にすると聞かされた瞬間、私は手元のペンを静かに机へと置いた。祖父母と孫|相続|親子関係|金銭問題3.7万字5 111 -
完結第19話
完璧な夫に給料を突き返した朝
毎月二十五日、夫は手取り四十五万円の給料を一円も引かずに私の口座へ振り込み、親戚の前で完璧な夫として称賛されている。だがその裏で、私は息子の塾代を払うために結婚五周年の指輪を買取店へ持ち込んでいた。固定費と夫のカード代だけで毎月赤字が続き、私の独身時代の貯金も底をついた。翌朝、いつも通り振り込まれた四十五万円の通知を見つめた私は、その全額をそのまま夫の口座へ送金し、スマートフォンの画面を伏せた。嫁姑|夫婦|金銭問題|修羅場2.9万字5 7822 -
完結第21話
優しい教室で震える息子
息子が突然学校に行けなくなり、担任は「いじめなどなくクラス全員に愛されている」と胸を張った。不審に思った私が息子のランドセルを調べると、底板の裏から三十七枚の給食費受領書が出てくる。我が家は困窮などしていないのに、三ヶ月間、生徒全員が日替わりで息子の昼食代を立て替えていた。私が学校へ確かめに行こうとした瞬間、息子は「言わないで」と叫んで床に泣き崩れ、その紙片を必死に胸へ抱え込んだ。怒り|裡の顔|親子関係|金銭問題3.2万字5 6057