"昭和40年、15歳で東京へ出た少年" 第3話
噛みしめると、舌のに広がったのは、いつもの、慣れ親しんだ故郷のでした。酸っぱさと塩辛さの向こうから、米の甘みがじわりと滲みてきます。 ミノルは窓のをじっと見つめたまま、誰にも気づかれないよう、奥歯を噛みしめて涙をこらえ続けました。
客のは、異様な空気に満たされていました。 通を挟んで並ぶ対面式のボックスシートは、どこもかしこもミノルと同じような恰好の女で埋め尽くされていました。 誰もが、背丈にわないきすぎるボストンバッグや、唐模様の呂敷包みを膝のにしっかりと抱え込み、を縮めるようにしてを見つめていました。
学の卒業式を終えてから、わずか数。 昨まで子どもとして扱われ、学の庭をり回っていたはずの、歳のたちが、今やの期待と活の糧を双肩に担ぎ、見らぬへと運ばれていくのです。 内に歓声や嬌声はありませんでした。はしゃぎ回る者も、きな声で談笑する者もひとりもおらず、聞こえてくるのは輪がレールを刻む単調なジョイント音と、折をすする誰かの掠れた音だけでした。
度経済成期。 「の卵」という華やかな言葉で聞やラジオが囃してていた方の卒労働者たち。彼らを乗せて全国の主都へとる臨列――いわゆる「集団就職列」
広告
が、この季節、の本線や奥羽本線、常磐線を何本もり抜けていました。
内には独特の匂いがち込めていました。 湿ったウールの学の匂い、ニスが塗られた製座席の匂い、炭の煙と蒸気が窓の隙から忍び込んでくる煤けた匂い、そして、それぞれの庭から持ち寄られた握り飯や漬物の匂い。それらの混ざりった匂いは、どこか切なく、どこか厳粛な、故郷の活そのものの匂いでした。
ミノルの隣に座ったのは、同じ郡内ではあるものの、向こうの別のから乗ってきたという女でした。 ミノルがおずおずと「どこから乗ったの?」と声をかけると、女は伏せていた目をしだけげ、消え入りそうな声での名を教えてくれました。 にはい角巾を畳んでカバンに結びつけ、モンペではなく既製の紺のスカートを穿いていました。
「……京の、紡績にくの」 女は膝のの呂敷包みを両で抱きしめ直しながら言いました。 「うちの姉ちゃんが、から区のにっとるから。……配はしとらん。姉ちゃんがおるから」
そうにする女の声は、しかし細かく震えていました。 呂敷の結び目を握りしめる指先はく張っており、そこに母親が縫い付けてくれたのであろう、赤いお守り袋の端がさく覗いていました。
広告
がりを言わなければ、今にも堰を切って泣きしてしまいそうなを、彼女もまた必で支えているのでした。
列は主な駅にまるたびに、プラットホームからたな女を呑み込んでいきました。 仙台、、福島、郡。 する駅ごとに、拡声器から響く駅員のがなり声と、見送りの族たちの叫ぶような声がなりいました。 「体に気をつけるんだぞ!」 「、くんだよ!」 「親方に迷惑かけるなよ!」 ホームでを振る母親たちの割烹着のさが、ガラス窓を隔ててざかっていく。ホームに残された父親が、々とをげて列を見送る。どの駅でも、まったく同じと惜別の景が繰り返されていました。
陽がく昇る頃、内のあちこちで、聞やの皮を広げるさな音がち始めました。 誰もが黙り込んだまま、母親が握ってくれた最の弁当をへと運びました。 隣の席のは、アルミの弁当箱にぎっしりと詰められた麦飯と塩鮭を、を向いたままずつ噛みしめていました。その肩が折、微かに震えるのをミノルは見ましたが、決して顔を覗き込もうとはしませんでした。それは、ここにいる全員が等しく呑み込まなければならない、最初の杯の苦杯だったからです。
夕刻がづくにつれ、窓の景は急速にいを変えていきました。
線脇に残っていた残はいつのにか完全に姿を消し、まだ芽吹かぬ茶い関平野の乾いたが、平線の彼方まで広がり始めました。
広告
おすすめ作品
-
完結第14話
「死産」と告げた院長と20年目の出生記録
20年前、出産した娘を「死産でした」と告げられた私・佐藤しず子。しかし私は、麻酔の中で確かに聞いた産声を一度も忘れられなかった。 真実を確かめるため、私は清英産婦人科医院の清掃員として20年間働き続け、誰にも気づかれず院内の秘密を探ってきた。そんなある夜、若い看護師から「まだ間に合います。あなたの娘さん生きています」と書かれた紙を渡される。 やがて地下の保管庫へ忍び込んだ私は、自分の出産記録の隣に「佐藤女児――転送」と記された手帳を発見する。 さらにそこには複数の新生児と金銭の記録まで残されていた。娘を奪ったのは誰なのか。そして病院は20年間、何を隠してきたのか。見下され続けた“掃除婦”は、集めた証拠を手に院長・安藤剛と対峙する――。真相|修羅場2.1万字5 407 -
完結第15話
全盲の義母が言い当てた味噌汁の色
「お味噌、白味噌に変えたでしょう?」。11年前の事故で全盲になったはずの義母・かず子が、漆塗りの椀を抱えて微笑んだ。亡き実母への後悔から、365日欠かさず介護と手料理を捧げてきた嫁の私。だが翌朝、ゴミ袋の底から現れたのは、手つかずのまま無残に捨てられた私の料理と、1万8千円の銀座高級寿司やフレンチのデリバリーレシート30枚だった。夫は「お前の味付けが悪い」と冷笑し取り合わない。孤立無援の中、弁護士の助言を得た私はある罠を仕掛ける。そして勝手口の前で義母が放った「ある一言」で、11年間の嘘が音を立てて崩れ去る――。嫁姑|真相2.3万字5 3039 -
完結第25話
底辺受付嬢を見下す役員たちの誤算
父の会社は、最も信頼していた人間の裏切りによって無惨に食い物にされた。巨額の負債を背負い、絶望の中で病に倒れた父。私はその冷酷な真相を暴くため、ハーバード大の博士号を隠し、ただの「受付嬢」として敵の中枢である星空グループに潜入した。 誰からも見下され、理不尽な侮辱に耐え忍ぶこと3年。息を潜めて集めた証拠が示したのは、あまりにも残酷な真実だった。父を破産に追い込み、私から全てを奪った黒幕の正体は、父が家族のように慕っていた古参役員だったのだ。 「黒幕は役員会の中にいる」――私を守るため、父が命懸けで残してくれた最期のメッセージを知った時、胸の奥の悲しみは絶対的な冷酷さを持つ復讐の炎へと変わった。私の素性を知る新社長のハルトや、父の旧友たちと共に、私は決して逃れられない完璧な包囲網を密かに築き上げていく。 そして迎えた運命の役員会。全てを掌握したと信じ、私の前で勝ち誇る黒幕。だが彼はまだ知らない。無力な受付嬢だと思っていた私が、彼を社会的死の淵へと突き落とす致命的な罠を仕掛けていたことを。仮面を脱ぎ捨てた時、強欲な悪魔を地獄の底へと引きずり下ろす、容赦なき反撃が幕を開ける――。因果応報|真相|修羅場3.8万字5 1809 -
完結第21話
母がナイフで砕いた自分の名前
母の七十歳の祝いで、私は家族に尽くし続けた母に自分の人生を取り戻してほしい一心から、ケーキのプレートに書かれた夫の姓を削り落とし、母の旧姓を書き直した。これで母は喜んでくれるはずだった。しかし母は青ざめ、「誰が戻りたいなんて言ったの」と私を睨みつけると、ナイフを掴んで自分の名前を何度も突き刺し粉々に叩き割った。家族全員から責め立てられた私は、母の部屋で底面を無残に削り取られた大量の人形を見つける。怒り|兄弟姉妹|真相|親子関係|修羅場3.1万字5 137 -
完結第20話
偽りの仕送りと緑の通帳
専業主婦の佐藤真美は、長年にわたり傲慢な義母・君代から「無収入の居候」と見下され続けてきた。夫の減給により進学を断念し、誇りを持って介護職に就いた二十歳の娘・奈々までも、義母は「高卒の無能な孫」と親戚の前で嘲笑する。さらに君代は「長男の嫁・恭子を見習い、毎月十五万円を仕送りしろ」と理不尽な要求を突きつけてきた。耐えかねた真美が恭子に相談すると、長男一家の仕送りに隠された信じがたい事実が判明する。義母の言う通り「見習う」ことを決意した真美は、夫の浩一を巻き込み、スマートフォンに収めたATMの振込画面の写真と、タンスの上の空の茶封筒を使ったある計画を仕掛ける。だが、疑念を深めた義母が「緑の銀行通帳」を差し出し、記帳を命じたことで事態は急転する――。嫁姑|真相3.0万字5 721 -
完結第30話
一万八千円の伝票
病を克服し、身なりを隠して自らのホテルへ宿泊客として訪れたオーナー・佐藤かず子。亡き夫と四十年にわたり心血を注いできた老舗ホテルは、かつての温もりを失い、強欲な支配人・中村の私欲に侵されていた。 きっかけは、わずか千八百円の粗末な昼定食に突きつけられた「一万八千円」の法外な伝票。中村たちは気の弱そうな高齢客を狙って組織的なぼったくりを繰り返し、さらにはホテルそのものを外資系ファンドへ売り飛ばそうと目論んでいた。 無力な老婆と侮られ、嘲笑と脅迫を受けるかず子。だが彼女の手には、亡き夫の誇りである一本の「蒔絵万年筆」と、深夜に掴んだ決定的な「裏帳簿」の証拠があった。誇りを泥靴で踏みにじられた元女将の、静かなる大反撃が今、幕を開ける――。職場逆転|真相4.6万字5 6317 -
完結第19話
三十二人目の卒業写真
教職を退いた夜、三十年前に送り出した最初の教え子たちが開いてくれた送別会で、私は三十一人分の感謝の手紙を受け取った。だが自宅で数え直すと、名簿にない三十二通目の白い封筒が混ざっていた。便箋には「全員が卒業しました。私一人を残して」とだけ記されていた。翌日、私が困惑して生徒たちに当時の記憶を尋ねると、誰もが存在を否定し、深夜の受話器の向こうから「あの子のこと、墓場まで隠し通すつもりですか」昭和|ミステリー|因果応報|真相2.8万字5 176 -
完結第25話
一度も抱かれなかった娘
出産翌日に姿を消した妻の代わりに、私は男手一つで娘を育ててきた。「母親は抱っこも拒んで逃げた」と言い聞かせ続けて五年。カルテの保管期限が切れ、産院に呼び出された私の前に置かれたのは、妻が失踪直前に提出した母子同室申請書と一枚のガーゼだった。申請書の最下段には私の拒否印が押されており、持ち帰った鞄からこぼれ落ちた布を拾い上げた五歳の娘は、ピンクの刺繍を指でなぞりながら私を見上げた。夫婦|真相|行方不明|親子関係3.8万字5 142 -
完結第19話
全員が揃えた同じ嘘
小学五年の秋、担任の女性教諭が突然退職し、学校は精神の病気だと説明した。だがその日の放課後、私を含めたクラス二十三人の児童は、それぞれの家庭で「先生は午後三時に帰りました」と全く同じ嘘を親に答えた。口裏を合わせた覚えはない。半年後、唯一何も言わずに転校していった無口な少女が、私の机の引き出しに一枚のメモを残した。そこには『先生は三時のとき、まだ地下室にいました』と記されていた。ミステリー|裡の顔|真相|行方不明2.8万字5 95