みかん小説
本棚

"昭和41年、集団就職の少年が一年ぶりに帰った故郷" 第4話

父も母も黙っている。

その瞬、正はようやく気づいた。

族が自分に隠していたのは、父の怪だけではなかった。

「健、お、就職するのか」

正が尋ねると、弟はを奪い取ろうとした。

「まだ決めたわけじゃない」

「来、学卒業だろ。くって言ってたじゃないか」

「かなくてもいい」

「なんでだよ」

「兄ちゃんだってってないだろ」

その言で、正は黙った。

自分は学を卒業してすぐ京へた。当、には正をへ通わせる余裕などなかったし、正自もくを稼いで族を楽にしたいとっていた。

だが健は違う。

学の頃から勉が好きで、とりわけ数学だけは町の先から褒められていた。正が故郷をる、健は「俺、へったら械の勉をしたい」と何度も話していた。

「お、きたいんじゃなかったのか」

「別に」

「嘘つくなよ」

「嘘じゃない」

「だったらその顔は何だ」

健が唇を噛んだ。

父がい声で言った。

「正。もういい」

「よくないよ」

正は父へ向き直った。

「俺には京で働けって言って、健は働かせるのか」

「まだ何も決めてない」

「いてるじゃねえか」

源蔵の顔が険しくなった。

「のことにをすなら、もうし落ち着いて話せ」

「のことだから言ってるんだよ!」

ぶりに帰ってきたの夜、正は父に向かって初めて声を荒らげた。

広告

子が怯えた顔をしたため、母が妹を別の部へ連れていく。

健もちがった。

「俺が決めたんだ」

「何を」

「働くって」

「なんで」

「父ちゃんのがこうなったからだよ!」

部が静まり返った。

健は度言葉を止めたが、もう引き返せないように続けた。

「仕事もできない。畑だってみたいにできない。母ちゃんじゃ無理だろ。兄ちゃんのだって使ってないなら、なおさらだよ」

「だからって、おが……」

「兄ちゃんにできたんだから俺にもできる」

その言葉は、正がっていた以にかった。

健は自分を見ている。

歳で京へき、働き、料をに送り、腕計を買って帰ってきた兄。その姿が、弟にとってつのになっている。

正は本来なら、しくらい誇らしくってもよかったのかもしれない。

だが実際には、胸の奥にたいものが落ちた。

自分は健に、このの半分も話していない。

毎朝、のベルが鳴るから胃が痛かった最初のか。

作業を失敗して職に鳴られた。

同じ集団就職で来た仲が、半も経たず「もう無理だ」と故郷へ帰ったこと。

寮の布団ので母から届いたを何度も読み、涙がないように歯をいしばった夜。

それを何つらない弟が、「兄ちゃんにできたから」と言っている。

「簡単じゃないぞ」

正が言った。

広告

「分かってる」

「分かってねえよ」

「兄ちゃんにだけ言われたくない」

健の声もきくなった。

「にけなかった兄ちゃんが、俺にはけって言うのかよ」

正は返す言葉を失った。

父が静かにちがった。

杖が畳を打つ。

「今はやめろ」

「父ちゃん」

「正は今帰ってきたばかりだ」

「でも――」

「やめろ」

父の声には、以と変わらないさがあった。

その夜、正は自分の部へ入った。

机も、本棚も、学の教科もそのままだった。引きしの奥には使いかけの鉛が残っており、まるで自分だけがこの所から抜け落ちていたように見える。

布団へ横になっても眠れなかった。

隣の部から弟と妹の寝息がする。

くでは犬が鳴いている。

柱計がを刻む。

、何度もに見た故郷の音だった。

それなのに、正ののでは京ののベルが鳴っていた。

父の怪。

使われていなかった仕送り。

そして弟の就職希望調査票。

ようやく帰ってきた故郷で、正は初めてった。

自分がをたことで終わったとっていた問題が、には弟の番になっていた。

翌の午、正は学代の友である佐々隆夫のを訪ねた。

隆夫は正と同じに学を卒業したが、町の県へ学している。にはほとんど同じ背丈だったのに、久しぶりに会うと隆夫の方がしくなっていた。

「本当に京から帰ってきたんだな」

「幽霊じゃねえよ」

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: