"八百万円の泥棒とされた妹、九年目の審判" 第1話
「この、あんたの妹が腹いせにのに投げ捨てて逃げたんだよ。ものの庭の底にヘドロまみれで眠ってたんだ。ふざけないでよ」
神静恵は、ブルーシートのに置かれた黒い提げ庫を顎で指しながら、吐き捨てるように言った。
の初め、湿った温かいが神の広い本庭園を吹き抜けていた。敷の片隅では、型の油圧ショベルがアームを休め、えぐり取られた池の底からは、ドブ川のような腐敗臭が漂っている。
篠原綾乃は、にまみれたその角い鉄の塊を見つめていた。
角の塗装が剥げ落ち、真鍮のダイヤル錠には赤錆がびっしりとこびりついている。だが、歪みはない。破壊された形跡もなかった。
「……鍵は、かかったままでした」
ち会っていた元警察の若い巡査が、元のメモを見ながら恐縮そうにを挟んだ。
「ダイヤル番号も、にお母様から被害届がされていた通りの数字で致しました。も確認しましたが……幣の束はすべてそのままです。湿気で固まってはいますが、帯封のついた百万円の束がつ。欠落はありません」
「だから何だって言うのよ」
静恵は腕を組み、眉にい皺を刻んだ。代半ばを過ぎても背筋は異様なほどまっすぐに伸びており、仕てのいい藤のカーディガンには埃つついていない。
広告
「あの女はね、俊との結婚が嫌になったからって、うちが用した居のをわざわざ持ちして、池ののに叩き込んで消えたのよ。当てつけよ。私の顔にを塗るためにやったの。おかげでうちは、親戚に笑いものにされて、俊の見い話だっていくつ潰れたか分かりゃしない!」
静恵の背で、息子の俊が所なさげにっていた。役所の課に勤める彼は、今で歳になる。昔から母のに隠れるようにきてきた男だった。今も作業着の袖を握りしめたまま、度も綾乃と目をわせようとしない。
綾乃は、荒れ果てた庫の底に目を落とした。
百万円。
、方の封筒からされ、神の仏壇のに積まれていた現。それを「奈央が盗んで夜逃げした」と静恵が鳴り込んできたのは、〇の未だった。
あのから、篠原のは止まった。
町内には「結婚詐欺の妹」「棒」という噂が瞬くに広まり、実の務は取引先をすべて失った。胃潰瘍を患っていた父は、所の目を逃れるようにして酒をあおり、に胃がんで逝った。母は認症を患い、娘の名すら忘れたまま、昨のに施設で静かに息を引き取った。
妹が消えたあのから、綾乃の族はずつ削り取られるようにしてんでいったのだ。
広告
その元凶とされた百万円が、今、神の庭の底から、付かずのままてきた。
「……投げ捨てた?」
綾乃は、自分の声が乾いてくなっているのに気づいた。
「何よ。文句があるなら言いなさいよ」
「投げ捨てたが、わざわざダイヤルを回して鍵をかけ直すんですか」
静恵の眉がぴくりとねた。
「そんなの、あの女ののなんて私に分かるわけないでしょ! 性格がねじ曲がってたのよ。盗んだとわせて私たちを苦しめるために、鍵をかけて放り込んだに決まってるじゃない!」
「それに、もうつあります」
巡査が、のついた庫の内蓋を慎に持ちげた。
底の湿ったフェルトの隙に、ビニール袋に包まれた方形のい物体が挟まっていた。
「庫の底板の隙から、この携帯話が見つかりました」
かつて普及していた、docomoの濃いピンクのガラケーだった。充のゴムキャップは劣化して千切れていたが、ジッパー付きの保袋にに入れられていたため、の直接の侵入は免れていたようだった。
「これ、奈央の……」
綾乃の指先がわずかにいた。見覚えがある。角に貼られたさな桜のシールは、を卒業したときに綾乃が妹に買ってやったものだった。
「鑑識でバッテリーをに定化させて、内部データを吸いげました」
巡査はタブレット端末を取りし、画面を綾乃と静恵のに向けた。
「通話履歴や保されていたメールのほとんどは基板の腐で破損していましたが、件だけ、未送信のままきフォルダに残っていたテキストデータが復元できました。
広告
おすすめ作品
-
完結第21話
十年前に死んでいた夫
病に倒れた夫を十三年間看取り、質素な火葬を終えた私は、医療記録の精算のため大久保総合病院の窓口へ向かった。だが職員から告げられたのは、データベースに夫の名はなく、提示した診察券は十年前に死亡した二十代の別人の番号だという宣告だった。半乱心で戻ったアパートを捜索するも、夫名義の保険証も免許証も通帳すら一枚も見当たらない。十三年間私の隣で息をしていた男の痕跡が、この世のどこにも存在しない現実に立ち尽くした。ミステリー|夫婦|介護|修羅場3.1万字5 73 -
完結第18話
退職金と三百万円の借金
三十二年間勤めた会社を定年退職する日、人事に呼び止められた私は、一枚の紙を突き出された。それは私の名義と私印で作成された、三百万円の福祉貸付金の借用証書だった。返済が済むまで退職金は支払えないと告げられるが、私に借金の覚えなど一切ない。震える手で書類の日付を確認すると、そこには十一年前、夫が急逝して告別式を行っていた日の数字が並んでいた。私は退職の合意書へのサインを拒み、人事の机に手をついた。怒り|退職金|金銭問題|修羅場2.6万字5 0 -
完結第19話
席次表から消された姉
披露宴の席次表を確認していた時、婚約者は親族席にある私の姉の名前を赤ペンで乱暴に塗りつぶした。介護士の姉を親戚に見せるのは家の格に関わると吐き捨てる彼に、私は必死で抗議した。だが、両親のいない私を育ててくれた姉は、侮辱されても取り乱すことすらしなかった。ただ、赤線の引かれた名前を静かに見つめ、「彼のお父さんが去年入院した時、毎晩誰が付き添っていたか聞いてごらん」と私に告げた。裡切られた|兄弟姉妹|親不孝|介護|修羅場2.9万字5 2 -
完結第19話
レジ打ちの妻は恥ずかしい
結婚式まであと一か月。婚約者から突然、私の名前が印刷された『退職届』を差し出された。「うちの嫁がスーパーでレジ打ちなんて困る」と義母と決めたという。冗談だと笑おうとした私に、彼は真顔で「取引先に見られたら恥ずかしい」と言い放った。この三年間、一生懸命働く私の姿が好きだと言ってくれたのは嘘だったのかと問うと、彼は静かに言った。「恋愛と結婚は、違うんだよ」。私は差し出されたペンを机に押し返した。裡切られた|怒り|金銭問題|修羅場2.9万字5 0 -
完結第17話
何番まで落ちたら離婚するの
三年連続で学年一位を取り続ける十二歳の息子。深夜まで勉強に付き添う私と、追い詰めるなと制する夫は、外食先でも教育方針を巡って激しく口論していた。沈黙していた息子は突然、「僕が何番まで落ちたら二人は離婚するの」と冷たく言い放ち、鞄から直近三回分のテスト用紙を取り出した。そこに並んでいたのは、最難関の応用問題だけが解かれ、一番簡単な基礎計算だけを全て意図的に間違えた、信じがたい異様な答案だった。夫婦|真実|親子関係|修羅場2.6万字5 0 -
完結第23話
父の逝った夜の車
父が亡くなって十八年、独身の伯父は私達三兄妹を支え続け、兄の就職も姉の結婚資金も工面してくれた。家族全員が恩人と慕う中、末っ子の私だけが幼い頃から伯父と二人きりを拒み、性格のせいだと呆れられていた。二十八歳のある日、会食の席で伯父が私の椅子を引いてくれた瞬間、鍵のかかっていた記憶が甦る。十八年前の嵐の深夜、泥まみれの母が一度だけ家に戻った時、街灯もない門前の暗闇で消灯したまま待っていたのは、伯父の車だった。兄弟姉妹|真実|親子関係|修羅場3.4万字5 0