"八百万円の泥棒とされた妹、九年目の審判" 第4話
『川務 川健』
綾乃はタクシーを拾うこともせず、乾いたのを、駅へ向かって歩きした。
川務の作業は、町の境界にいバイパス沿いにあった。
トタン根のには、使い古された板や塩ビパイプが無造作に積まれ、奥からグラインダーで鉄筋を削るけたたましいと属の匂いがち込めている。
綾乃が敷に入ると、作業着の背を丸めて型枠の材を選別していた初老の男が、審そうに顔をげた。
「……誰だい」
に焼けてく刻まれた皺、軍をはめた節くれだった太い指。川健だった。歳になるはずだが、職の頑丈な体躯は衰えていない。
「篠原建築の、綾乃です。篠原栄治の娘です」
健のが、ぴたりと止まった。
持っていたバールを材のに静かに置き、軍をしながら、綾乃の顔をじっと見つめた。その濁った瞳に、かすかな警戒と、それ以の居の悪さが浮かぶのを綾乃は見逃さなかった。
「……栄治さんの。そうか。お父さんは、くなったって聞いたよ」
「ええ、です。母も昨末に逝きました」
「そうかい」
健はそれ以何も言わず、作業用の折りたたみ子をで引き寄せ、自分だけが腰をろした。綾乃に座る所を勧める気配はない。
「何の用だ。うちとおのところの付きいは、とうの昔に切れてるはずだが」
広告
「神さんのの池のことです」
綾乃は置きを置かずに言った。
「今朝、改修事で底のコンクリートを割りました。砕の層から、提げ庫がてきました。に妹の奈央が盗んだとされていた、あの百万円が入った庫です」
健の眉がわずかにいた。だが、驚いたではなかった。むしろ、いあいだ押し入れの奥にしまい込んでいた古傷に、ようやく誰かのが触れたときのような、い沈黙が落ちた。
「……庫が、コンクリのから?」
「そうです。割栗のに埋め込まれ、そのにコンが流し込まれていました。業者のは、コンを打つにあらかじめ埋めておかなければ、あの所に入るわけがないと言っていました」
綾乃は歩、健にづいた。
「あの池の底にコンクリートを打ったのは、川さん、あなたですね」
健は作業ズボンのポケットから煙を取りし、百円ライターでをつけた。く吸い込み、青い煙をトタン根の隙へ吐きす。煙を持つ指が、わずかに震えていた。
「……警察は、何て言ってる」
「妹のガラケーも見つかりました。奈央が神静恵さんに送ろうとしていた、未送信のメールが残っていました。『百万円はお返しします。内密に婚約を解消してください。お腹の子を堕ろせなんて言わないで』といてありました」
広告
健が、く息を呑んだ。煙のが、ポロリとのセメントのに落ちた。
「っていたんですね」
綾乃の声は、く、たかった。
「川さん。父はあの事件の、町の仕事を失いました。神静恵さんが『棒の父親にを建てさせるな』と言いふらしたからです。父は毎晩、仏壇のでを抱えて酒をんで、胃を全部切って、それでもぬまで奈央に謝り続けていました。『俺の育て方が悪かったから、あの子は逃げたんだ』って」
健は煙を皿代わりにしていた空き缶に押し込み、顔を覆った。
「栄治さんには……すまないことをしたとってるよ。だがな、俺は何もらなかったんだ。本当に、らなかったんだよ」
「何をらなかったんですか」
「あの庫のことだよ!」
健が顔をげ、声を荒らげた。
「俺が現にったときには、もう穴は掘られて、砕が敷き詰められてたんだ! 俺はただ、頼まれた通りにコンクリを練って、流し込んだだけだ!」
「誰に頼まれたんですか。何に?」
綾乃は帳とペンを取りし、健の目のに構えた。切のを排した、械のような仕だった。
健は唾をみ込み、線を泳がせた。だが、綾乃の瞳に宿る異様なまでの静けさに圧されたのか、やがていをいた。
「……話があったのは、の、朝の分だ」
「分」
綾乃は帳にき留めた。
「曜の、け方です。普通なら誰も起きていないだ。誰からでしたか」
広告
おすすめ作品
-
完結第21話
十年前に死んでいた夫
病に倒れた夫を十三年間看取り、質素な火葬を終えた私は、医療記録の精算のため大久保総合病院の窓口へ向かった。だが職員から告げられたのは、データベースに夫の名はなく、提示した診察券は十年前に死亡した二十代の別人の番号だという宣告だった。半乱心で戻ったアパートを捜索するも、夫名義の保険証も免許証も通帳すら一枚も見当たらない。十三年間私の隣で息をしていた男の痕跡が、この世のどこにも存在しない現実に立ち尽くした。ミステリー|夫婦|介護|修羅場3.1万字5 73 -
完結第18話
退職金と三百万円の借金
三十二年間勤めた会社を定年退職する日、人事に呼び止められた私は、一枚の紙を突き出された。それは私の名義と私印で作成された、三百万円の福祉貸付金の借用証書だった。返済が済むまで退職金は支払えないと告げられるが、私に借金の覚えなど一切ない。震える手で書類の日付を確認すると、そこには十一年前、夫が急逝して告別式を行っていた日の数字が並んでいた。私は退職の合意書へのサインを拒み、人事の机に手をついた。怒り|退職金|金銭問題|修羅場2.6万字5 0 -
完結第19話
席次表から消された姉
披露宴の席次表を確認していた時、婚約者は親族席にある私の姉の名前を赤ペンで乱暴に塗りつぶした。介護士の姉を親戚に見せるのは家の格に関わると吐き捨てる彼に、私は必死で抗議した。だが、両親のいない私を育ててくれた姉は、侮辱されても取り乱すことすらしなかった。ただ、赤線の引かれた名前を静かに見つめ、「彼のお父さんが去年入院した時、毎晩誰が付き添っていたか聞いてごらん」と私に告げた。裡切られた|兄弟姉妹|親不孝|介護|修羅場2.9万字5 2 -
完結第19話
レジ打ちの妻は恥ずかしい
結婚式まであと一か月。婚約者から突然、私の名前が印刷された『退職届』を差し出された。「うちの嫁がスーパーでレジ打ちなんて困る」と義母と決めたという。冗談だと笑おうとした私に、彼は真顔で「取引先に見られたら恥ずかしい」と言い放った。この三年間、一生懸命働く私の姿が好きだと言ってくれたのは嘘だったのかと問うと、彼は静かに言った。「恋愛と結婚は、違うんだよ」。私は差し出されたペンを机に押し返した。裡切られた|怒り|金銭問題|修羅場2.9万字5 0 -
完結第17話
何番まで落ちたら離婚するの
三年連続で学年一位を取り続ける十二歳の息子。深夜まで勉強に付き添う私と、追い詰めるなと制する夫は、外食先でも教育方針を巡って激しく口論していた。沈黙していた息子は突然、「僕が何番まで落ちたら二人は離婚するの」と冷たく言い放ち、鞄から直近三回分のテスト用紙を取り出した。そこに並んでいたのは、最難関の応用問題だけが解かれ、一番簡単な基礎計算だけを全て意図的に間違えた、信じがたい異様な答案だった。夫婦|真実|親子関係|修羅場2.6万字5 0 -
完結第23話
父の逝った夜の車
父が亡くなって十八年、独身の伯父は私達三兄妹を支え続け、兄の就職も姉の結婚資金も工面してくれた。家族全員が恩人と慕う中、末っ子の私だけが幼い頃から伯父と二人きりを拒み、性格のせいだと呆れられていた。二十八歳のある日、会食の席で伯父が私の椅子を引いてくれた瞬間、鍵のかかっていた記憶が甦る。十八年前の嵐の深夜、泥まみれの母が一度だけ家に戻った時、街灯もない門前の暗闇で消灯したまま待っていたのは、伯父の車だった。兄弟姉妹|真実|親子関係|修羅場3.4万字5 0