"父の逝った夜の車" 第9話
「お邪魔します……」
誰もいないに声をかけ、靴を脱いでがった。 畳は湿気を吸って波打ち、歩くたびに板がきしんだ。
居の奥に、さな押し入れがあった。 母がくなった、兄と姉と緒に遺品を粗ゴミにしたが、どうしても捨てられなかった細々とした活用品が、いくつかの段ボール箱に詰められて残されているはずだった。
私は押し入れの襖をけ、埃を被った段ボールを引きずりした。 ガムテープを剥がすと、から母がに使っていた割烹着や、古い計簿、そして私たち兄妹の学の連絡帳がてきた。
その底に、見覚えのあるものがあった。
デンマークのクッキーが入っていた、青い丸型のブリキ缶だった。 表面の絵柄はすっかり錆びて剥げていたが、母が、裁縫箱として使っていたものだった。
蓋をけると、とりどりの縫い糸、使い古されたピンクッション、錆びた裁ち鋏が、当のまま然と収まっていた。 母の匂いが、微かにちったような気がした。
私は何かに憑かれたように、裁縫箱のを畳のに取りしていった。 番底に敷かれていた、の仕切り。 母は几帳面なだったから、針が底を傷つけないように、を丸く切って敷いていたのだ。
そのの端をつまみ、めくりげた。
――カサリ。
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乾いたの擦れる音がした。
のに、つ折りにされた便箋が枚、隠すように挟み込まれていた。 経劣化で茶く変し、隅が脆く崩れかけている。
私は息を殺し、震える指でその便箋を広げた。
それは、母の丸っこい、見慣れた跡だった。 ボールペンのインクが所々掠れ、何度もき直したような跡があった。宛名には、ただ。
『孝司へ』
は、投函されることのなかったきのようだった。 私は、音をてずに、その文字を追った。
『孝司へ。 今もおが届きました。でも、もう度と振り込まないでください。 健も美咲も、何もりません。千鶴も、あの夜のことは忘れてしまったようです。それでいいのです。 あの子たちには、何もらせてはなりません。
正彦さんは、最に私に言いました。 「子どもたちにだけは、父親が名誉なに方をしたとわせてはならない」と。 あんな形で逝ってしまったけれど、あの子たちにとって、正彦さんは自の、真面目で優しい父親のままでいなければならないのです。
もしあなたが、自分の罪のさに耐えかねて、あの子たちに真実を話すようなことがあれば、私はんでもあなたを許しません。 正彦さんが命を賭して守ろうとしたものを、あなたの勝な罪滅ぼしで壊さないでください。 おは、施設に入るの費用としてをつけずに残してあります。
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どうか、もう私たちに関わらないでください。』
便箋を持つ私の指が、激しく震えた。
文字が滲んで読めなくなった。 何度も瞬きをして、涙を落とさないようにしながら、もう度読んだ。
『子どもたちにだけは、父親が名誉なに方をしたとわせてはならない』 『あんな形で逝ってしまったけれど』 『正彦さんが命を賭して守ろうとしたもの』
……どういうこと?
松田さんの話では、事故の原因はのブレーキ良だったはずだ。 備を怠った伯父の過失で、父は巻き込まれてんだはずだ。 それのどこが、父にとって「名誉なに方」なのか? 被害者であるはずの父が、なぜ「あんな形で逝ってしまった」と母にかれなければならないのか?
そして、何より解なのは。 「正彦さんが命を賭して守ろうとしたもの」という節だった。
父は、ただ事故に遭ったのではなかったのか? 何かを守るために、んだというのか?
「……嘘でしょう、お母さん」
静まり返った廃の居で、私の声だけが虚しく響いた。
に起きた来事は、単なる「備良の事故」でも、単なる「優しい伯父の劇」でもなかった。 父と母と、そして伯父のが、墓まで持っていこうとした、もっと暗く、い秘密がしていたのだ。
そしてその秘密の代償として、母はを病んでくに逝き、伯父は自らを罰するように私たちにを送り続け、私はわけも分からず伯父を恐れ続けてきたのだ。
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