"何番まで落ちたら離婚するの" 第7話
爪がのひらにい込むほど、拳をく握りしめた。 私ののすべてを捧げてきたこの庭を。翔太の輝かしい未来を。 雅の勝な裏切りで壊されてたまるものか。
に帰り着いた私は、靴を脱ぎ散らかすようにして廊を駆け抜け、階の奥にある雅の斎のドアノブにをかけた。 普段は「入るな」と厳しく言われている部だ。 ガチャリ、とい音をててドアがく。
部のは、暗く、埃と煙の残りが混ざったような沈鬱な匂いが充満していた。 本棚には、雅が若い頃に読んだらしい経済関係の専や、古い文庫本がぎっしりと並んでいる。デスクのには、ノートパソコンが台と、几帳面に並べられたペンて。
私は息を荒げながら、デスクの引きしをから順にけていった。 段目。予備の文具や領収の束。 段目。宅ローンの細や、命保険の証。怪しいものは何もない。
が震えて、引きしの鍵穴に爪が引っかかる。 焦りが募る。 どこだ。どこかに必ず、隠しているはずだ。携帯の利用細か、クレジットカードの請求か、弁護士の名刺か。
番の、さのある引きしをけた。 そこには、数の古いアルバムや、仕事関係のファイルが詰め込まれていた。 類の束を乱暴に掻き分ける。の擦れる乾いた音が部に響く。
広告
指先が、引きしの最奥、プラスチック製の仕切り板の裏側に押し込まれていた、際古びた茶封筒に触れた。
角が折れ曲がり、茶く変したクラフト封筒。 表には何もかれていない。だが、ずっしりとした異様なみがあった。
私は唾をみ込み、封筒のからを引きした。
から現れたのは、折り目のついた緑の公類だった。 部に印刷された太い活字が、目にび込んでくる。
『 婚 届』
息が止まった。 やはり。雅は、婚するつもりだったのだ。私に黙って、この用を取り寄せていた。
だが、類を広げた瞬、私の線は点に釘付けになった。
夫の署名欄。 そこには、見慣れた雅の跡で、すでに名と、本籍が几帳面に記入されていた。 そしてその横には、鮮やかな朱肉の跡。森の認印が、狂いもなく真っ直ぐに押されていた。
雅は、もうサインを終えていた。 あとは、私がサインをして役所に提するだけの状態になっている。
「……っ」 目眩がして、デスクの角を掴んだ。 裏切られていた。いつ突きつけられてもおかしくない凶器を、この男はずっとこの部に隠し持っていたのだ。
りと屈辱で界が赤く染まりかけた、そのだった。 私の目は、署名欄のにかれた『届』の欄に吸い寄せられた。
。 そこには、震えるような数字が並んでいた。
広告
『令元 』
「……え?」
声が漏れた。 令元。 今から――ちょうど。
最用したものではない? ? なぜ、の付がかれているの?
記憶の糸を必に繰り寄せる。 。の。 その付に、私は烈な既を覚えていた。私のので、最も幸福で、最も誇らしかったのひとつ。
そうだ。 あのだ。 翔太が学の、初めて全県模試で『全県位』を叩きした。 成績表が届き、リビングで翔太を抱きしめて泣いてんだ、あのだ。
あの夜、雅は珍しくく帰ってきた。 私は興奮めやらぬまま、翔太の成績表を雅のに突きつけ、「この子は才かもしれない、もっと良い環境をえてあげなきゃ」と何も弁した。 雅はあの、どんな顔をしていただろうか。 曖昧に笑い、ほとんど何も喋らず、ただ静かに頷いていただけだったはずだ。
あのの夜に? 翔太が初めて頂点にった、あの記すべきに、雅はこの婚届に署名し、印鑑を押していたというの?
わけが分からなかった。 なぜ、あのタイミングで? 族が番輝いていたはずのその瞬に、なぜこの男は、族を捨てる準備を完させていたのか。
「何してるんだ」
背から、氷のようにたい声がってきた。
びがるほど驚いて振り返ると、斎の入りに雅がっていた。
いつのに帰ってきたのか、スーツの着をに持ち、ドアの枠に凭れかかっている。
広告
おすすめ作品
-
完結第21話
十年前に死んでいた夫
病に倒れた夫を十三年間看取り、質素な火葬を終えた私は、医療記録の精算のため大久保総合病院の窓口へ向かった。だが職員から告げられたのは、データベースに夫の名はなく、提示した診察券は十年前に死亡した二十代の別人の番号だという宣告だった。半乱心で戻ったアパートを捜索するも、夫名義の保険証も免許証も通帳すら一枚も見当たらない。十三年間私の隣で息をしていた男の痕跡が、この世のどこにも存在しない現実に立ち尽くした。ミステリー|夫婦|介護|修羅場3.1万字5 73 -
完結第18話
退職金と三百万円の借金
三十二年間勤めた会社を定年退職する日、人事に呼び止められた私は、一枚の紙を突き出された。それは私の名義と私印で作成された、三百万円の福祉貸付金の借用証書だった。返済が済むまで退職金は支払えないと告げられるが、私に借金の覚えなど一切ない。震える手で書類の日付を確認すると、そこには十一年前、夫が急逝して告別式を行っていた日の数字が並んでいた。私は退職の合意書へのサインを拒み、人事の机に手をついた。怒り|退職金|金銭問題|修羅場2.6万字5 0 -
完結第19話
席次表から消された姉
披露宴の席次表を確認していた時、婚約者は親族席にある私の姉の名前を赤ペンで乱暴に塗りつぶした。介護士の姉を親戚に見せるのは家の格に関わると吐き捨てる彼に、私は必死で抗議した。だが、両親のいない私を育ててくれた姉は、侮辱されても取り乱すことすらしなかった。ただ、赤線の引かれた名前を静かに見つめ、「彼のお父さんが去年入院した時、毎晩誰が付き添っていたか聞いてごらん」と私に告げた。裡切られた|兄弟姉妹|親不孝|介護|修羅場2.9万字5 2 -
完結第19話
レジ打ちの妻は恥ずかしい
結婚式まであと一か月。婚約者から突然、私の名前が印刷された『退職届』を差し出された。「うちの嫁がスーパーでレジ打ちなんて困る」と義母と決めたという。冗談だと笑おうとした私に、彼は真顔で「取引先に見られたら恥ずかしい」と言い放った。この三年間、一生懸命働く私の姿が好きだと言ってくれたのは嘘だったのかと問うと、彼は静かに言った。「恋愛と結婚は、違うんだよ」。私は差し出されたペンを机に押し返した。裡切られた|怒り|金銭問題|修羅場2.9万字5 0 -
完結第23話
父の逝った夜の車
父が亡くなって十八年、独身の伯父は私達三兄妹を支え続け、兄の就職も姉の結婚資金も工面してくれた。家族全員が恩人と慕う中、末っ子の私だけが幼い頃から伯父と二人きりを拒み、性格のせいだと呆れられていた。二十八歳のある日、会食の席で伯父が私の椅子を引いてくれた瞬間、鍵のかかっていた記憶が甦る。十八年前の嵐の深夜、泥まみれの母が一度だけ家に戻った時、街灯もない門前の暗闇で消灯したまま待っていたのは、伯父の車だった。兄弟姉妹|真実|親子関係|修羅場3.4万字5 0 -
完結第22話
母は死んだと書いた娘
夫の連れ子だった八歳の娘を引き取り、七年間毎朝弁当を作り、熱を出せば夜通し看病を続けてきた。ぎこちなくとも穏やかに暮らしてきたはずの中学三年の秋、担任に呼び出された私は、娘が提出した調査票を見て言葉を失った。家族欄には「実母は七年前に他界、父と二人のみで生活」と書かれ、私の名前は存在すら消されていた。裡切られた|夫婦|孤獨|修羅場3.3万字5 0