"何番まで落ちたら離婚するの" 第14話
計の針は、午分を指していた。
いつもなら、雅はこういうメッセージに対して返信を寄越さない。 『解』の言すら稀で、夜にのように酔っ払って帰ってくるか、「仕事が引いた」と嘘をついて逃げるのが常だった。 だが、今夜は違った。 わずか分、い返信が届いた。
『半には着く』
私はスマートフォンを伏せ、キッチンの湯沸かし器のスイッチを入れた。 お茶を淹れる準備をしながら、リビングの景を見渡した。 い壁、入れのき届いたフローリング、輸入物のダイニングセット、棚に並ぶ翔太の表彰状や記写真。 すべてが、私ので丹に磨きげられてきた空だった。 この完璧な空を維持することこそが、私の正しさの証であり、私のの価値そのものだった。
けれど、本当はっていたのだ。 いつからか、この部には会話がなかった。 雅が帰ってきても、私が見せるのは翔太のテストの答案だけだった。 雅が何を考え、会社でどんな圧に晒され、何を恐れているのか、私は度も尋ねようとしなかった。 雅もまた、私のや焦燥を、ただ「ヒステリー」「過干渉」とラベリングして、壁の向こうへ押しやり、沈黙という名の暴力で私を無し続けていた。
私たちは、夫婦であることをとうの昔にやめていた。
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ただ、『森翔太の共同経営者』として、あの子の偏差値という実績を介してのみ、辛うじて同じ根のに同居していたに過ぎない。 その歪んだ契約の維持費を、すべて歳の子供に支払わせていたのだ。
玄関のドアノブが回る音がした。 ガチャリ、とい属音が響き、革靴の音が廊にづいてくる。 刻は、分だった。
リビングの引き戸がき、雅が入ってきた。 コートも脱がず、ビジネスバッグを握りしめたまま、雅はドアのにち尽くした。 その線は、テーブルのに広げられた緑のと、冊の学ノートに真っ直ぐ突き刺さっていた。
「……雅」 私が声をかけると、夫はびくりと肩を揺らし、恐る恐る目をげた。 その顔は蒼で、目のには黒い隈が濃く刻まれていた。 いつもの淡な能面のような表は、どこにもなかった。そこにあったのは、逃げを完全に失ったの、剥きしの怯えだった。
「コート、脱いで。そこに座って」 私の声が、自分で驚くほどく、穏やかだった。
雅は何も言わず、吸い殻のようなきでコートを脱ぎ、子の背もたれに掛けた。 そして、恐る恐る、テーブルの端の席に腰をろした。 緑の――に自らので破り捨て、息子によってテープで復元された婚届から、雅は決して線をわせようとしなかった。
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階段から、さな音が聞こえた。 トントン、と慮がちなリズム。 振り返ると、部着のままの翔太が、階段の踊りからこちらを覗き込んでいた。 眠れなかったのだろう。 両親が揃ってリビングにいる気配を察して、りてきてしまったのだ。
「翔太」 私が呼ぶと、翔太はびくっと体を竦ませた。 「おいで。翔太も、ここに座りなさい」
翔太は瞬、逃げそうとするように線を泳がせたが、やがて観したように、うつむいたままトぼトぼと歩いてきた。 私の隣の席。 私、雅、翔太のが、ダイニングテーブルを囲む。 それは、何百回と繰り返されてきたはずの景だったが、今夜のテーブルの央にあるのは、豪華な事でも、満点の答案用でもなかった。
「雅」 私は静かに切りした。 「これ、読んだわ」 私は番のノート『記録 Ⅲ』を、雅のへと滑らせた。
雅は、触れるのを恐れるように、指先をピクピクとかした。 「……何だ、これは」 「翔太がね、からつけていた記録よ。あなたが捨てたあのを、ゴミ箱から拾ったあのから」
雅の喉仏が、激しくした。 夫はおずおずとノートにを伸ばし、かれたページに線を落とした。
『検証2:例テスト 目標52点。 結果:ファミレスでが本気で鳴りって、お互いの顔を見た。 普段は目をわせもしないのに、僕のせいで、はお互いを睨みつけた』
活字ではない、子供のし角ばった鉛の跡。
その文字を追う雅の瞳が、みるみるうちに揺れ始めた。
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