"退職金と三百万円の借金" 第4話
いたが塞がらないとは、まさにこのことだった。部の線が、画面に表示されたの慶弔休暇の記録と、テーブルのの借用証のを、何度も何度もき来した。
「そんな……だが、印鑑は本物だ。署名だって、君の字に……」
「印鑑なら、私のデスクの側、番の引きしのペントレーに入れてありました。鍵はかけていましたが、総務の予備キーを使えば誰だってけられます。署名も、私の字を真似て誰かがいたものです!」
りで奥歯がガチガチと震えた。
これは単なる事務ミスではない。
夫を突然奪われ、しみのどん底で泣き崩れていた、あの最も無防備だったに。
誰かが私のを利用し、私の引きしから印鑑を盗みし、私の名を騙って、会社から百万円ものを引きしていたのだ。
そしてその借を、ものに隠し続け、私がすべてを終えて会社をろうとするその瞬に、私の退職から掠め取ろうとしている。
こんな汚らわしい正が、許されていいはずがない。
「林さん……落ち着いてくれ。確かに、この付の矛盾はだ。だが、当の経理処理の記録までは、私では今すぐには……」
「落ち着いていられますか!」
私はちがった。
歳、定を迎えた女の体から、どこにそんな力が残っていたのか自分でもわからなかった。
広告
「浦部。私は今、退職の続き類には切サインいたしません。もちろん、退職からの相殺など絶対に認めません」
「しかし、続きを止めると、退職そのものの支払いが保留になってしまうぞ」
「結構です。私のの名誉と、くなった夫の尊厳がを塗られたまま、百万円を差し引かれた退職など、円たりとも受け取れません!」
私は鞄のから自分のペンを取りし、メモ帳に自分の携帯話番号を殴りきして、机に叩きつけた。
「この借用証の原本は、絶対に破棄したり紛失したりしないでください。法務部にも報告してください。誰がこの類を申請し、誰が決裁し、百万円という現がどこへ消えたのか。それを会社が調査しないというのなら、私は警察へき、印私文偽造と詐欺で被害届をします」
「け、警察だって? 待ちなさい、林さん! ごとにしないでくれ、社内の問題なんだから!」
慌ててちがる浦部を、私は鋭く見据えた。
「ごとにしたのは会社の方です。……だけ待ちます」
「え?」
「休の残数がありますから、私の正式な退職は今末のはずです。週けの曜まで、。そのに、のこの類の経緯を調べてください。私も自分で、調べられる限りのことを調べます」
それだけを気に言い放つと、私は浦部の制止の声を背に浴びながら、面談のドアを押しけた。
広告
廊にた瞬、張り詰めていた緊張がほどけ、膝ががくがくと震えた。
壁にをついて、必に呼吸をえる。
元には、浦部が狼狽して引き止められなかった際に私がひったくってきた、借用証のコピーが握りしめられていた。
の端を握る指先が、くなるほど力が入る。
誰が。
体、誰がこんなことをしたのか。
、男がんだあの。私の周りにいたたちの顔が、馬灯のように脳裏を駆け巡る。
会社の同僚たち、親族、そして――。
「……おや? 静枝さんじゃないか」
突然、方から穏やかな、よく通る声が響いた。
びくりとして顔をげると、廊の向こうから、チャコールグレーの質なスーツを着た初老の男性が歩いてくるところだった。
豊かな髪をきれいに撫でつけ、温そうな目尻にい皺を刻んだ男。
川勉。
品の常務取締役であり、かつて夫の男と私が若い頃、物流部の直属の司として、族ぐるみで目をかけてくれていた恩だった。男がくなったも、誰よりもく病院に駆けつけ、涙を流して私を支えてくれただ。
「川……常務」
「どうしたんだい、そんな青い顔をして。事との面談だったんだろう? 、本当にお疲れ様だったね。男君がきていたら、今夜はで盛にお祝いをしていたはずだ」
川常務は、いつものように柔な笑みを浮かべ、父親のように温かい差しで私を見つめた。
広告
おすすめ作品
-
完結第21話
十年前に死んでいた夫
病に倒れた夫を十三年間看取り、質素な火葬を終えた私は、医療記録の精算のため大久保総合病院の窓口へ向かった。だが職員から告げられたのは、データベースに夫の名はなく、提示した診察券は十年前に死亡した二十代の別人の番号だという宣告だった。半乱心で戻ったアパートを捜索するも、夫名義の保険証も免許証も通帳すら一枚も見当たらない。十三年間私の隣で息をしていた男の痕跡が、この世のどこにも存在しない現実に立ち尽くした。ミステリー|夫婦|介護|修羅場3.1万字5 84 -
完結第19話
席次表から消された姉
披露宴の席次表を確認していた時、婚約者は親族席にある私の姉の名前を赤ペンで乱暴に塗りつぶした。介護士の姉を親戚に見せるのは家の格に関わると吐き捨てる彼に、私は必死で抗議した。だが、両親のいない私を育ててくれた姉は、侮辱されても取り乱すことすらしなかった。ただ、赤線の引かれた名前を静かに見つめ、「彼のお父さんが去年入院した時、毎晩誰が付き添っていたか聞いてごらん」と私に告げた。裡切られた|兄弟姉妹|親不孝|介護|修羅場2.9万字5 2 -
完結第22話
恩人弁護士の不可解な書類
満員電車の切り取り動画で炎上し、派遣先を不当解雇された私を、着手金ゼロで救ってくれたのは小さな事務所の弁護士だった。彼の尽力で示談を勝ち取り日常を取り戻した二ヶ月後、私は元上司のパワハラを訴えた見知らぬ後輩の裁判資料を目にする。そこには、私が弁護士の相談室で泣きながら話したはずの告白が、そのまま証拠として並んでいた。震える手で開いたその裁判記録の送達先には、私を救った恩人弁護士の事務所名が記されていた。職場逆転|因果応報|裡切られた|怒り3.4万字5 0 -
完結第19話
レジ打ちの妻は恥ずかしい
結婚式まであと一か月。婚約者から突然、私の名前が印刷された『退職届』を差し出された。「うちの嫁がスーパーでレジ打ちなんて困る」と義母と決めたという。冗談だと笑おうとした私に、彼は真顔で「取引先に見られたら恥ずかしい」と言い放った。この三年間、一生懸命働く私の姿が好きだと言ってくれたのは嘘だったのかと問うと、彼は静かに言った。「恋愛と結婚は、違うんだよ」。私は差し出されたペンを机に押し返した。裡切られた|怒り|金銭問題|修羅場2.9万字5 0 -
完結第17話
何番まで落ちたら離婚するの
三年連続で学年一位を取り続ける十二歳の息子。深夜まで勉強に付き添う私と、追い詰めるなと制する夫は、外食先でも教育方針を巡って激しく口論していた。沈黙していた息子は突然、「僕が何番まで落ちたら二人は離婚するの」と冷たく言い放ち、鞄から直近三回分のテスト用紙を取り出した。そこに並んでいたのは、最難関の応用問題だけが解かれ、一番簡単な基礎計算だけを全て意図的に間違えた、信じがたい異様な答案だった。夫婦|真実|親子関係|修羅場2.6万字5 0 -
完結第23話
父の逝った夜の車
父が亡くなって十八年、独身の伯父は私達三兄妹を支え続け、兄の就職も姉の結婚資金も工面してくれた。家族全員が恩人と慕う中、末っ子の私だけが幼い頃から伯父と二人きりを拒み、性格のせいだと呆れられていた。二十八歳のある日、会食の席で伯父が私の椅子を引いてくれた瞬間、鍵のかかっていた記憶が甦る。十八年前の嵐の深夜、泥まみれの母が一度だけ家に戻った時、街灯もない門前の暗闇で消灯したまま待っていたのは、伯父の車だった。兄弟姉妹|真実|親子関係|修羅場3.4万字5 0 -
完結第22話
母は死んだと書いた娘
夫の連れ子だった八歳の娘を引き取り、七年間毎朝弁当を作り、熱を出せば夜通し看病を続けてきた。ぎこちなくとも穏やかに暮らしてきたはずの中学三年の秋、担任に呼び出された私は、娘が提出した調査票を見て言葉を失った。家族欄には「実母は七年前に他界、父と二人のみで生活」と書かれ、私の名前は存在すら消されていた。裡切られた|夫婦|孤獨|修羅場3.3万字5 0 -
完結第14話
年商一兆円の父にワインをかけた婚約者
創業家の御曹司との顔合わせ当日。ボロ車で駆けつけた私の父を見た義母は、「貧乏人の娘が」と父の頭から赤ワインを浴びせかけた。婚約者も冷笑し、父を詐欺師呼ばわりしてロビーで土下座を迫る始末。 だが、父は一言も取り乱さず、静かにワインを拭った。 「この縁談はなかったことに」 指輪を投げ返し、父の向かった先は日本中が恐れる巨大財閥の最上階。傲慢な親子が信じていた“金と権力のルール”で、静かな断罪劇が幕を開ける。因果応報|人生逆転|金銭問題|修羅場2.1万字5 0