"解雇された職人が未明に餡を練る" 第1話
「佐野さん。から、もう来なくていいから」
皿に盛られた赤飯と、創業周の祝いにと所の商主たちが持ち寄った酒の瓶が並ぶがりの座敷で、主の柳田子さんは、まるでの気の崩れを告げるような平坦な声でそう言った。
そのにいた数の息が、瞬で止まった。
座敷のでは、のえ始めたが「柳堂」の古い引き戸をガタガタと揺らしている。 乾燥した豆の匂いと、祝いの折詰の醤油の匂いが混ざりった内の空気が、急激に凍りついていくのが分かった。
誰もが冗談だとったはずだ。 乾杯の音を取った向かいの茶葉の主は、にした猪を宙で止めたまま引きつった笑いを浮かべ、隣の包装問の番は、自分のを疑うように鏡の縁を押しげていた。
佐野藤子さん。 歳。 先代が急逝し、子さんが背負った額の借でが傾きかけた、たったでこの調理にび込んできて以来、子さんと脚で簾を守り抜いてきた唯無の職だ。
柳堂の板である「の雫」と呼ばれる豆餡は、豆の皮のさ、そのの湿度、べらを通す腕の覚つでが変わる。 その全程の加減を体に叩き込んでいるのは、主の子さん本でも、先仙台の物流会社を辞めて戻ってきた息子の健太さんでもなく、藤子さんだけだった。
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「……え、あの、奥様?」
私がたまらず声を漏らした、藤子さんはすでに箸を畳のに揃えていた。
取り乱すでもなく、声を荒らげるでもない。 着古した褪せた掛けの紐をほどき、膝のでつ折りに畳むその元には、震えつなかった。
「わかりました」
座敷に響いたのは、そのく静かな言だけだった。
「お世話になりました、奥様」
くをげた藤子さんは、座をった。 誰も引き止めることができなかった。 座敷の端、座から最もい柱のに座っていた息子の健太さんは、握りしめた拳を膝のに乗せたまま、真っな顔をして畳の点を見つめていた。まるで最初から声のし方を忘れてしまったかのように、喉を痙攣させているだけだった。
私は堪らなくなって、まだ散らかったままの座敷をびし、裏の勝へとった。
「藤子さん! 待ってください!」
たい夜が吹き抜ける狭いで、のカーディガンを羽織った藤子さんの背に追いついた。 灯の頼りないオレンジのの、藤子さんは振り返り、困ったように眉をげた。
「美咲ちゃん。ったら危ないよ」
「どうしてですか……喧嘩したんですか? それとも何か、私がらないところで失敗があったんですか? 周の特注、からですよ? 藤子さんがいなかったら、あの餡は誰が練るんですか!」
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矢継ぎに問い詰める私に対し、藤子さんは何も答えなかった。 ただ、ポケットから真鍮のさな鍵を取りすと、私のいたのひらに静かに置いた。 従業員用の更のロッカーの鍵だった。
「鍵、奥様に返しておいてくれる? 美咲ちゃん、今までよく助けてくれたね。ありがとう」
「嫌です、受け取れません! 奥様だって本気なわけがありません。の朝、もう度で話せば――」
「奥様はね、度にしたことを引っ込めるじゃないの」
藤子さんの声には、りも悔しさも滲んでいなかった。 ただ、どこかい所を見つめるような、乾いた諦めと静寂だけがあった。
「体に気をつけてね。健太さんのこと、よろしく頼むよ」
それだけ言い残すと、藤子さんは度も振り返ることなく、暗い夜へと消えていった。
残された私は、のひらのたい鍵を握りしめたまま、ち尽くすしかなかった。
に戻ると、座敷の宴席はすでに無残な形で散会していた。 所の々は腫れ物に触るような取りでそそくさとり、静まり返った先には、半分残った祝い酒と乾きかけた赤飯だけが残されていた。
子さんは、いつもの帳机のに座り、老鏡をかけて売台帳に万をらせていた。 背筋は定規を当てたように真っ直ぐ伸びていて、さきほど自分の腕を切り捨てたばかりのとは到底えなかった。
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