"十八年ぶりの切符「次は三人で来い」" 第10話
父は運ばれてきた質素な病院には目もくれず、背を向けたまま、
「……おう」
とだけく答えた。美はそのさくなった背に向かって々と礼し、逃げるように病をにした。
病院のにると、はとっぷりと暮れ、あいのはい夜のと気に包まれていた。灯もまばらな本を、美はい息を吐きながら歩いた。
昼は怖くて逃げした実へと、再び戻ってきた。
美はコートのポケットから、発に自宅の引きしの奥から見つけしてきた、黒ずんだ古い真鍮の鍵を取りした。震えるで鍵穴に差し込み、力を込めて回すと、カチリとい属音が静寂に響いた。
製の引き戸を引くと、ガタガタとい音をててき、え切った古い壁と樟脳の匂いが美を包み込んだ。
「……ただいま」
誰もいない暗に向かって、美は消え入るような声で呟いた。
にがり、探りで壁のスイッチを押すと、井の古い蛍灯がジジジと音をてて滅し、やがて青いで内を照らしした。
ぶりにを踏み入れたは、驚くほど昔のままの姿で残されていた。
には父ののついたゴム靴が几帳面に揃えて置かれ、柱には美が幼い頃からを刻み続けている黒い振り子計が、コチ、コチと正確に振り子を揺らしている。
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がり框をがって茶のに入ると、使い古された座卓の横に、父がで使っているらしい座布団が枚だけ敷かれていた。台所を覗くと、さなアルミの薬缶と、綺麗に伏せられた湯呑みがつ。油汚れつなく磨きげられたステンレスのシンクを見て、美は胸を突かれた。
母がくなってからの、父はこの広いで、たったでこの清潔な暮らしを維持してきたのだ。
ふと器棚に目をやると、段の奥の方に、母が用していた柄の茶碗と、美が子供の頃に使っていたイチゴ柄のさなグラスが、丁寧にねて仕われていた。埃を被らないよう、から古聞が几帳面に被せられている。
父は、捨てられなかったのだ。妻の面も、自分を裏切っててった娘の痕跡も、何つ捨てられないまま、この暗いで、孤独に耐えてきてきたのだ。
美は吸い寄せられるように、茶のの隣にある暗い仏へとを踏み入れた。
部の最奥に鎮座する黒漆の仏壇には、穏やかな笑みを浮かべた母・の遺が飾られていた。の葬儀を放棄した美が、初めて母のと真正面から向きった瞬だった。
美はそのに膝から崩れ落ち、畳に両をついた。
仏壇のマッチ箱を取り、震えるで擦って本の線にを灯す。
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ちるい煙を仏壇の炉へとて、美はくくを垂れた。
「お母さん……っ、ごめんなさい……! ずっと来られなくて、本当に、ごめんなさい……!」
喉の奥から嗚咽が迸り、度溢れした涙は留まることをらなかった。畳のにボタボタと粒の涙が染みを作っていく。
母の遺のすぐ脇には、父が毎座っているのだろう、畳のいが擦り切れた跡があった。
父は毎晩、ここで、母の写真に向かって何を語りかけていたのだろうか。
『美から、また蒼太の写真が届いたぞ』
そう言って、母に報告していたのだろうか。衰えゆく体を引きずり、誰も話し相のいないこの静まり返ったで、父が抱えていた孤独のさをうと、美の胸は張り裂けんばかりだった。
その夜、美は階のかつての自分の部に押し入れから客用の布団を敷き、え切ったシーツに潜り込んだ。
見げる井の目は、子供の頃に数えたものと何つ変わっていなかった。
――だろう。
の奥で、父のあの掠れた声が何度も蘇る。
父は自分を許してはいなかったかもしれない。しかし、完全に切り捨てていたわけでもなかった。憎しみだけなら、過をすべて拒絶して忘れることは容易い。だが、そこに器用で、歪なほどのがあったとってしまった以、美はもう自分の殻に閉じこもることはできなかった。
では、夜のまりとともにの虫の音が静かに響いていた。
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