"締め出された新社長" 第13話
その瞳には、侮蔑もりもなかった。 ただ、すべてを見透かしたような、底れぬ静寂だけが湛えられていた。
目の朝、は刃物のようにたかった。
午分。 柳印刷の正面通りにした黒塗りのクラウンから、葉版の専務取締役・松井正之がりった。 い齢をじさせない、背筋の伸びた威圧のある佇まいだった。仕ての良いチャコールグレーのカシミアコートに、縁の鏡。版業界で「カミソリ松井」と恐れられ、数々のベストセラーを徹な採算管理で世に送りしてきた男だ。
父の隆とは、柳印刷がまだプレハブだった創業期からの付きいだと聞いている。先代の無茶な職魂を誰よりも買い、同に、誰よりも厳しく納期と品質を査定してきた最の顧客であり、最の壁だった。
私はの運転席からびし、ネクタイを締め直しながらに歩み寄った。
「松井専務。朝くからわざわざをお運びいただき、申し訳ありません」
私がくをげると、松井専務は鏡の奥の鋭い目を細め、私を瞥した。 そして、私の背――固く閉ざされた柳印刷の正面玄関と、シャッターのりた搬入へと線を移した。
「直君、だったな。……君がにっているということは、噂は本当だったわけだ」
広告
松井専務の声はく、の起伏がまったく読み取れなかった。 っているのか、呆れているのかすら分からない。
「社内のゴタゴタはまで筒抜けだよ。昨夜のうちに、神保町の取次から私のところに連絡が入った。『柳印刷の営業部が、速印刷という流のブローカーを使って文芸フェアの画集を刷らせようとしたが、現で事故が起きて全量返品になったらしい』とな」
臓を氷ので鷲掴みにされたようだった。 報は、すでに業界内を駆け巡っていたのだ。神が隠蔽しようとした無様な掻きも、の粗悪なトラックが乗り込んできたことも、すべて筒抜けだった。
「……申し訳ありません」
私はもう度、くをげた。
「言い訳の余もありません。すべて、私どもの管理届と、判断の誤りによるものです」
「をげるのはだ」
松井専務は淡々と言った。
「まずはに入ろう。ち話をするような内容じゃない。階の社で、神と奥田も同席させて話を聞く」
松井専務が玄関の自ドアに向かって歩きそうとした。 私は息を吸い込み、その背に向かって声をかけた。
「松井専務」
「なんだ」
「恐れ入りますが……私は現、社のに入ることができません」
松井専務のが止まった。 ゆっくりと振り返る。その眉が、わずかに持ちがった。
広告
「入れない? 社の君が、自分のに入れないと?」
「はい。禁カードの権限を止されております。先代の指示です。鍵も持っておりません」
嘘をつくことも、取り繕うこともできたはずだ。「あいにく鍵の調子が悪くて」とか「朝のため警備システムが作していて」と誤魔化すこともできた。 だが、この老練な怪物相に細を弄すれば、その瞬に柳印刷は息の根を止められる。私はただ、恥を忍んで事実だけをにした。
松井専務は私を秒、無言で見つめた。 やがて、その元が微かに歪んだ。
「……フン」
い、乾いた笑いだった。 声がんでくるかとったが、専務は踵を返し、の敷と歩を隔てるガードレールの脇へと歩いてった。 そこには、田区が設置した緑の古びた製ベンチがあった。ペンキがところどころ剥がれ、昨夜のがうっすらとく残っている。
松井専務はコートの裾を払い、そのえ切ったベンチにドカリと腰をろした。 そして、すぐ脇にある自販売を顎でしゃくった。
「直君。銭はあるか」
「……え? あ、はい」
「温かいブラックを本買ってこい。凍えて話どころじゃない」
私は慌ててポケットから銭をし、自販に百円玉を放り込んだ。 ガタン、ガタンと本の缶コーヒーが落ちてくる。 取りしから拾いげたスチール缶は、痛いほどかった。
本を松井専務に渡すと、専務は器用にプルタブをけ、ちる湯気を吸い込みながらすすった。
広告
おすすめ作品
-
完結第23話
母の職場で死んでいた私
母の定年退職をサプライズで祝うため、私は東京から新幹線に乗り宴会場へ駆けつけた。お祝いの品を手にして扉を開けた瞬間、母の同僚は手にしたグラスを取り落とし、顔を青ざめて後ずさりした。毎年盆と正月には実家へ顔を出し、仕送りも続けていたはずの私は、母が二十八年勤めた職場では十五年前に事故で亡くなった娘として扱われていた。ステージを駆け下りてきた母は私の手首を強く掴み、そのまま非常階段へと力任せに引きずり出した。親不孝|親子関係|退職金|修羅場3.5万字5 0 -
完結第24話
妻の手術翌朝、七通の解約通知
妻が胆嚢ポリープの手術で入院した日、私は仕事を優先し「自分で処理しろ」と見舞いを断った。だが翌朝、私の携帯にマンションの駐車場、クレジットカード、父のデイサービスを含む七通の解約通知が立て続けに届く。カードは店頭で弾かれ、ビルのゲート前で立ち往生した私は、妻の報復を確信して病室のドアを乱暴に開けた。点滴に繋がれた妻は、今すぐ元に戻せと詰め寄る私の目の前で、スマートフォンの画面を静かに伏せた。怒り|夫婦|介護|修羅場3.7万字5 0 -
完結第23話
十八年ぶりの切符「次は三人で来い」
「二度と敷居を跨ぐな」――十八年前、父・源蔵の激しい怒声を背に村を飛び出した美雪。母の葬儀すら拒絶し、東京で夫の高一、息子の蒼太と平穏な家庭を築きながらも、心の奥に深い罪悪感を抱え続けていた。 ある秋の日、頑固一徹だった父が倒れたとの報せが届く。恐る恐る帰郷した美雪を迎えたのは、小さく老いさらばえた父の姿だった。互いに素直になれぬまま病室で交わしたわずかな言葉。だが、生家から持ち帰らされた重い桐箱と古いボストンバッグを開けた瞬間、美雪の息は止まる。 そこには、出金記録ゼロのまま膨れ上がった美雪名義の通帳と、十三年前の日付が記された「高一君へ」という父の手紙が眠っていた。父が十八年間隠し通してきた、想像を絶する真実とは――。真実|修羅場3.5万字5 0 -
完結第25話
義母の合鍵が入らない
結婚五年目、情緒不安定を理由に義母に家の合鍵を預けさせられた。夫は母を庇い、私に我慢を重ねるよう笑って求めた。義母の無断侵入は続き、私の大切な机まで雨のベランダへ放り出されたが、私は一度も怒鳴らなかった。一ヶ月後、いつものように合鍵で入ろうとした義母の前に現れたのは、鍵穴すら存在しない最新の電子錠だった。激怒して電話をかけてきた義母に対し、今まで母に逆らったことのなかった夫が「僕が鍵を変えた」と告げた。嫁姑|夫婦|親子関係|修羅場3.8万字5 0 -
完結第18話
ゴミ箱の隣に座る学年一位
学年1位を守り続けてきた娘が、二学期に入ると突然一番後ろの席に移動させられ、学級委員長も外された。何か処分を受けたのかと学校へ詰め寄る私に、娘は「この席でいいの」とだけ言い、何も説明しようとしない。納得できないまま迎えた参観日、教室の後ろに立つ私は、娘の隣にぽつんと置かれた空っぽの机に気づいた。誰の席なのかと問い詰める私に、担任は教室の隅を見つめ、「娘さんが残してくれと頼んできたんです」と静かに告げた。怒り|真実|孤獨|親子関係|修羅場2.8万字5 0