"母の職場で死んでいた私" 第8話
壁には、私がを卒業したの賞状が額縁に入れて飾られている。 『陸競技会・百メートル・第位 津田美紀』 その隣には、制を着て、し背伸びをした笑顔を浮かべる歳の私の写真。
それだけだった。
部のどこを見回しても、代の私の写真は枚もなかった。 京で台美術の仕事に就き、初めてきな劇のパンフレットに名が載ったの記写真も。 歳になった記に、で浅の今半でべたの写真も。 母は、私が送った写真を、この居のどこにも飾っていなかった。
に回、私が帰省するだけ、母は「掃除が変だから」と笑って誤魔化していた。 だが、そうではなかったのだ。
万が、会社の誰かがを訪ねてきた。 『にんだはずの娘』の、になった痕跡がこの部にあってはならなかったからだ。
「お茶……淹れるわね」
母は私の線から逃げるように、で台所へ向かった。 やかんをにかけ、ガタガタと音をてて急須を取りす。 そのつきは異様なほどせわしなく、蛇からるがシンクのステンレスを激しく叩く音が響いた。
「お茶なんていいよ」
私が台所の入りにって声をかけると、母の背がびくりとねた。
「いいから座ってなさい! 喉が渇いたでしょう、京からかったんだから……湯呑み、しいのすから……」
広告
「お母さん、もうやめて」
私は歩み寄り、母のから急須を取りげた。 母の掌は氷のようにたかった。 母は空になった両を宙に浮かせたまま、きを失ったように線を泳がせている。
「話しわなきゃいけないことがあるでしょう。誤魔化さないでよ」
「誤魔化してなんてないわよ!」
母が突然、甲い声を張りげた。 急須を奪われた両で、着古したエプロンの裾をぎゅっと握りしめる。
「何よ、さっきから! 犯罪者みたいに私を責めてて! あんたに何がわかるのよ! 父親もいない、蓄えもない女で、あの会社でどれだけ肩の狭いいをして働いてきたか……あんたに度でも像できたことがあるの?!」
「わからないよ!」
私も叫んでいた。胸の奥に溜まった澱のようなが、気に決壊した。
「わかるわけないじゃない! だって私、きてるんだよ?! 毎仕送りもして、盆と正には幹線の指定席取って、お母さんの顔を見に帰ってきてたじゃない! なんでそれが、会社ではんだことになってるの?! 私がいつんだのよ! 誰に殺されたのよ!」
「殺してなんかいない!」
母は台所の流し台に背を打ち付け、息を荒げた。 その目から、ようやく粒の涙がぼろぼろと溢れしてきた。
「殺したんじゃない……ただ……引っ込みがつかなくなっただけよ……!」
「引っ込みがつかないって何なのよ! たかが職の見栄のために、実の娘をもにしておく親がどこにいるのよ!」
広告
「たかが職の見栄?!」
母の顔が、りと悔しさで醜く歪んだ。 その表には、私のっている『控えめでな母親』のはどこにもなかった。 ただ、き延びるためにを啜ってきた、老いた女の々しい執だけが張り付いていた。
「あんたには『たかが職』でしょうね! 好きなことやって、台だか何だからないけど、きらびやかな京で自分の才能を試してきてるあんたにはね! でも私には、あの会社しかなかったのよ! 卒の、何の資格もない、夫に先たれたの女が、この田舎町で雇ってもらえる所なんて、あそこしかなかったのよ!」
母は胸元のコサージュを引きちぎるようにしてむしり取った。 ピンが布を裂く鈍い音がして、赤との引がに転がる。
「あの……あんたがてった翌のこと、あんた覚えてる?!」
母は私の顔を指差した。その指先が、りで激しく震えている。
「あんたは『度と顔も見たくない、あんたの娘をやめてやる』って、このの壁を蹴っばしててったのよ! 私が座して頼んでも、元のの入学、全部捨てて京へくって聞かなかった! あの朝、私はもできずに、泣き腫らした顔で会社へったのよ!」
の、あの朝。 私の記憶のでは、自由をに入れた揚と、母を打ち負かした残酷な達成しかなかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第23話
締め出された新社長
父から印刷会社を継ぎ、代表取締役として誰よりも早く出社した初日の朝、私のカードキーだけが赤く点滅して通用口が開かなかった。清掃員や入社三カ月の新人、配送トラックが次々と通過していく中、古参の会計は「先代の指示で権限を削除した」と告げる。社内では判断を下せる者がおらず、営業と現場の怒号が響き合い、輪転機が完全に停止した。私は閉ざされたガラス扉の脇にパイプ椅子を置き、冷たい缶コーヒーを握りしめた。職場逆転|人生逆転|怒り|親子関係|修羅場3.5万字5 0 -
完結第24話
妻の手術翌朝、七通の解約通知
妻が胆嚢ポリープの手術で入院した日、私は仕事を優先し「自分で処理しろ」と見舞いを断った。だが翌朝、私の携帯にマンションの駐車場、クレジットカード、父のデイサービスを含む七通の解約通知が立て続けに届く。カードは店頭で弾かれ、ビルのゲート前で立ち往生した私は、妻の報復を確信して病室のドアを乱暴に開けた。点滴に繋がれた妻は、今すぐ元に戻せと詰め寄る私の目の前で、スマートフォンの画面を静かに伏せた。怒り|夫婦|介護|修羅場3.7万字5 0 -
完結第23話
十八年ぶりの切符「次は三人で来い」
「二度と敷居を跨ぐな」――十八年前、父・源蔵の激しい怒声を背に村を飛び出した美雪。母の葬儀すら拒絶し、東京で夫の高一、息子の蒼太と平穏な家庭を築きながらも、心の奥に深い罪悪感を抱え続けていた。 ある秋の日、頑固一徹だった父が倒れたとの報せが届く。恐る恐る帰郷した美雪を迎えたのは、小さく老いさらばえた父の姿だった。互いに素直になれぬまま病室で交わしたわずかな言葉。だが、生家から持ち帰らされた重い桐箱と古いボストンバッグを開けた瞬間、美雪の息は止まる。 そこには、出金記録ゼロのまま膨れ上がった美雪名義の通帳と、十三年前の日付が記された「高一君へ」という父の手紙が眠っていた。父が十八年間隠し通してきた、想像を絶する真実とは――。真実|修羅場3.5万字5 0 -
完結第25話
義母の合鍵が入らない
結婚五年目、情緒不安定を理由に義母に家の合鍵を預けさせられた。夫は母を庇い、私に我慢を重ねるよう笑って求めた。義母の無断侵入は続き、私の大切な机まで雨のベランダへ放り出されたが、私は一度も怒鳴らなかった。一ヶ月後、いつものように合鍵で入ろうとした義母の前に現れたのは、鍵穴すら存在しない最新の電子錠だった。激怒して電話をかけてきた義母に対し、今まで母に逆らったことのなかった夫が「僕が鍵を変えた」と告げた。嫁姑|夫婦|親子関係|修羅場3.8万字5 0 -
完結第18話
ゴミ箱の隣に座る学年一位
学年1位を守り続けてきた娘が、二学期に入ると突然一番後ろの席に移動させられ、学級委員長も外された。何か処分を受けたのかと学校へ詰め寄る私に、娘は「この席でいいの」とだけ言い、何も説明しようとしない。納得できないまま迎えた参観日、教室の後ろに立つ私は、娘の隣にぽつんと置かれた空っぽの机に気づいた。誰の席なのかと問い詰める私に、担任は教室の隅を見つめ、「娘さんが残してくれと頼んできたんです」と静かに告げた。怒り|真実|孤獨|親子関係|修羅場2.8万字5 0 -
完結第18話
診察室に入れなかった私
妊娠七ヶ月、甲斐甲斐しく尽くす夫の言葉に従い、私は毎回待合室で温かい茶を飲んで待っていた。「異常なし」と笑う夫を疑ったことはない。だが夫が仕事で不在となり、初めて一人で診察室に入ると、医師は冷徹な面持ちで私を見据えた。向けられたパソコンの画面には、私が頑なに治療を拒み、夫が必死に説得したという記録が三回連続で並んでいた。その三回とも、私は一度も診察室に足を踏み入れていない。裡切られた|夫婦|裡の顔|修羅場2.8万字5 4 -
完結第25話
一度も抱かれなかった娘
出産翌日に姿を消した妻の代わりに、私は男手一つで娘を育ててきた。「母親は抱っこも拒んで逃げた」と言い聞かせ続けて五年。カルテの保管期限が切れ、産院に呼び出された私の前に置かれたのは、妻が失踪直前に提出した母子同室申請書と一枚のガーゼだった。申請書の最下段には私の拒否印が押されており、持ち帰った鞄からこぼれ落ちた布を拾い上げた五歳の娘は、ピンクの刺繍を指でなぞりながら私を見上げた。夫婦|真相|行方不明|親子関係3.8万字5 0