"母の職場で死んでいた私" 第12話
母は涙に濡れた顔をげ、怯えたようにその画面を見つめた。 だが、を伸ばそうとはしなかった。 何が届いたのか、本能に察しているようだった。
私は無言でを伸ばし、スマートフォンを持ちげた。
「美紀、見ちゃ駄目……!」
母が掠れた声をげたが、私は構わずに画面をタップした。 暗証番号など設定されていない、古い種だった。
画面に表示されたのは、ショートメッセージの受信トレイだった。 差の名を見て、私の臓がさくねた。
『内 正』
先ほど野部のからた名。 、母の転勤を取り消し、特別慰問を面し、母を守り続けた元総務部。 今は相談役として会社に残っているという、あのの名だった。
メッセージの文面は、く、そして容赦のない徹さに満ちていた。
『津田君。 今の宴席での騒について、野から報告を受けた。 会に現れた女性は、本当に君の娘さんなのか。 君がにくなったと言い、々が信じ、守り続けてきた美紀君なのか。 もしそれが事実であるなら、私は君を許すことができない。 曜の朝、逃げずに来なさい。 君が々の善に対して何をしてきたのか、そのすべてを説してもらう』
画面の青いが、私の指先をたく照らしていた。
逃げは、もうどこにも残されていなかった。
広告
に母が吐きしたさな嘘は、周囲の善を巻き込みながら巨なだるまとなり、今、すべての関係者を押し潰そうと崩落を始めていた。
「……お母さん」
私は画面を伏せ、座卓のに置いた。
「曜、会社にくよ」
母が、絶望に染まった顔をねげた。
「嫌……嫌よ! けるわけないじゃない! 私、もう会社なんてかない! 退職なんていらない、全部諦めるから……! 今すぐここをて、誰もらないいところへく……!」
「逃げられるわけないでしょう!」
私は母の肩を掴み、その目をまっすぐに見据えた。
「内部も、さんも、あの会社のたち全員が待ってるのよ。お母さんが、どんな顔をして彼らの善を吸い取ってきたのか……その顔を、もう度見せにかなきゃいけないの」
「美紀……お願い、許して……!」
母が私の首を掴み、涙ながらに懇願した。 だが、その首にい込む指の力は、先ほどの宴会での力さとは比べものにならないほど々しく、震えていた。
私は母のを振り払わなかった。 ただ、たく、静かに言った。
「私もくから」
「……え?」
「私も曜、その会議にく。んだことにされていた娘として、全部見てあげる」
母の瞳から、完全にが消え失せた。
夜の底のような静寂が、再び古い居を包み込んだ。 壁の計が、カチ、カチ、と無質な音をてて、曜の朝へのカウントダウンを刻み始めていた。
広告
曜、方都の朝は、鳴りがするほど静かだった。
けれどその静けさは、穏やかさとは程いものだった。 底に沈んだが、わずかなひれの撃で巻きがり、界をに濁らせていくような、苦しく息の詰まる気配がのを満たしていた。
母は昨夜から、もしていなかった。 居の畳のに座布団も敷かず、膝を抱えたまま、カーテンを閉め切った暗い部の隅でじっと座り込んでいた。 私が声をかけても、返事はない。 ただ、喉の奥で折さく鳴る乾いた呼吸音だけが、彼女がまだきていることを示していた。
私は朝の過ぎ、台所で湯を沸かし、インスタントの噌汁を作って居の座卓に置いた。
「お母さん、しでもお腹に入れたほうがいい」
母はピクリともかなかった。 線は、畳の縁のほつれに注がれたままだ。 椀からちる湯気が、母の青い頬をかすめて消えていく。
「……所のに、見られたかもしれない」
に、母の唇がいた。 擦り切れた布を擦りわせるような、微かな掠れ声だった。
「昨の夕方、タクシーをりたとき。向かいの佐々さんが、庭の植にをやりながら、こっちを見ていた。……美紀、あんたの顔を、じっと見てたわ」
「佐々さんって、昔からのお隣の?」
「ええ……」
母は両で自分のを抱え込み、さく体を丸めた。
「佐々さんの娘さんは、あんたと学が緒だったでしょう。
広告
おすすめ作品
-
完結第23話
締め出された新社長
父から印刷会社を継ぎ、代表取締役として誰よりも早く出社した初日の朝、私のカードキーだけが赤く点滅して通用口が開かなかった。清掃員や入社三カ月の新人、配送トラックが次々と通過していく中、古参の会計は「先代の指示で権限を削除した」と告げる。社内では判断を下せる者がおらず、営業と現場の怒号が響き合い、輪転機が完全に停止した。私は閉ざされたガラス扉の脇にパイプ椅子を置き、冷たい缶コーヒーを握りしめた。職場逆転|人生逆転|怒り|親子関係|修羅場3.5万字5 0 -
完結第24話
妻の手術翌朝、七通の解約通知
妻が胆嚢ポリープの手術で入院した日、私は仕事を優先し「自分で処理しろ」と見舞いを断った。だが翌朝、私の携帯にマンションの駐車場、クレジットカード、父のデイサービスを含む七通の解約通知が立て続けに届く。カードは店頭で弾かれ、ビルのゲート前で立ち往生した私は、妻の報復を確信して病室のドアを乱暴に開けた。点滴に繋がれた妻は、今すぐ元に戻せと詰め寄る私の目の前で、スマートフォンの画面を静かに伏せた。怒り|夫婦|介護|修羅場3.7万字5 0 -
完結第23話
十八年ぶりの切符「次は三人で来い」
「二度と敷居を跨ぐな」――十八年前、父・源蔵の激しい怒声を背に村を飛び出した美雪。母の葬儀すら拒絶し、東京で夫の高一、息子の蒼太と平穏な家庭を築きながらも、心の奥に深い罪悪感を抱え続けていた。 ある秋の日、頑固一徹だった父が倒れたとの報せが届く。恐る恐る帰郷した美雪を迎えたのは、小さく老いさらばえた父の姿だった。互いに素直になれぬまま病室で交わしたわずかな言葉。だが、生家から持ち帰らされた重い桐箱と古いボストンバッグを開けた瞬間、美雪の息は止まる。 そこには、出金記録ゼロのまま膨れ上がった美雪名義の通帳と、十三年前の日付が記された「高一君へ」という父の手紙が眠っていた。父が十八年間隠し通してきた、想像を絶する真実とは――。真実|修羅場3.5万字5 0 -
完結第25話
義母の合鍵が入らない
結婚五年目、情緒不安定を理由に義母に家の合鍵を預けさせられた。夫は母を庇い、私に我慢を重ねるよう笑って求めた。義母の無断侵入は続き、私の大切な机まで雨のベランダへ放り出されたが、私は一度も怒鳴らなかった。一ヶ月後、いつものように合鍵で入ろうとした義母の前に現れたのは、鍵穴すら存在しない最新の電子錠だった。激怒して電話をかけてきた義母に対し、今まで母に逆らったことのなかった夫が「僕が鍵を変えた」と告げた。嫁姑|夫婦|親子関係|修羅場3.8万字5 0 -
完結第18話
ゴミ箱の隣に座る学年一位
学年1位を守り続けてきた娘が、二学期に入ると突然一番後ろの席に移動させられ、学級委員長も外された。何か処分を受けたのかと学校へ詰め寄る私に、娘は「この席でいいの」とだけ言い、何も説明しようとしない。納得できないまま迎えた参観日、教室の後ろに立つ私は、娘の隣にぽつんと置かれた空っぽの机に気づいた。誰の席なのかと問い詰める私に、担任は教室の隅を見つめ、「娘さんが残してくれと頼んできたんです」と静かに告げた。怒り|真実|孤獨|親子関係|修羅場2.8万字5 0 -
完結第18話
診察室に入れなかった私
妊娠七ヶ月、甲斐甲斐しく尽くす夫の言葉に従い、私は毎回待合室で温かい茶を飲んで待っていた。「異常なし」と笑う夫を疑ったことはない。だが夫が仕事で不在となり、初めて一人で診察室に入ると、医師は冷徹な面持ちで私を見据えた。向けられたパソコンの画面には、私が頑なに治療を拒み、夫が必死に説得したという記録が三回連続で並んでいた。その三回とも、私は一度も診察室に足を踏み入れていない。裡切られた|夫婦|裡の顔|修羅場2.8万字5 4 -
完結第25話
一度も抱かれなかった娘
出産翌日に姿を消した妻の代わりに、私は男手一つで娘を育ててきた。「母親は抱っこも拒んで逃げた」と言い聞かせ続けて五年。カルテの保管期限が切れ、産院に呼び出された私の前に置かれたのは、妻が失踪直前に提出した母子同室申請書と一枚のガーゼだった。申請書の最下段には私の拒否印が押されており、持ち帰った鞄からこぼれ落ちた布を拾い上げた五歳の娘は、ピンクの刺繍を指でなぞりながら私を見上げた。夫婦|真相|行方不明|親子関係3.8万字5 0