"母の職場で死んでいた私" 第14話
私のに、湯気のつ緑茶が置かれた。 それをしてくれたのは、髪を綺麗に撫で付けた、柄だがの鋭い老だった。 内正。 歳を過ぎているはずだが、背筋は真っ直ぐに伸び、仕ての良いうぐいすのカーディガンを隙なく着こなしている。
内さんは私の向かいに腰をろすと、老鏡をし、じっと私の顔を見つめた。 その線には、りというよりも、何かのような暗い疲労が沈んでいた。
「……本当に、津田君の娘さんだな」
内さんの最初の言は、静かだった。
「歳の頃の君の写真を、度だけ見たことがある。津田君の机の引きしの奥に、さく飾ってあった。……面がある」
「はい。津田美紀です」
私は座布団からり、畳のに両をついて、くをげた。
「昨夜は、母の定退職の席で取り返しのつかない混乱を引き起こし、申し訳ありませんでした。……母が、貴方様をはじめ、会社の皆様についていた嘘について、どうしても直接、お詫びと確認をしたくて伺いました」
内さんはすぐには答えなかった。 カチ、カチ、と柱計の振り子の音だけが、静寂を刻む。
「をげなさい」
い声に促され、私はゆっくりと顔をげた。 内さんは湯呑みを見つめたまま、微かに眉を寄せていた。
「君がをげる筋いのことではない。
広告
……いや、君もまた、このの加害者なのかもしれんがね」
その言葉が、チクリと私の胸を刺した。
「昨夜、野から話を受けたは、を疑った」
内さんは静かに語り始めた。
「津田君が取り乱し、君をを引いて逃げしたと。……信じられなかった。信じたくなかった、と言うべきか。私は、彼女の司であり、彼女の働きぶりを誰よりもくで見てきただ。夫をくにくし、女つで娘を育て、愚痴つ言わずにのラインや事務の仕事をこなす……真面目で、控えめで、健気な女性だと、ずっと信じて疑わなかった」
内さんの指先が、湯呑みの縁をなぞる。
「の。彼女が社して、タイムカードので泣き崩れたのことを、私は今でも昨のことのように覚えているよ」
内さんの目が、い過を見つめるように細められた。
「『娘がにました』と、彼女は言った。顔をぐしゃぐしゃにして、息も絶え絶えにね。事故の詳しい状況を聞こうとしたが、彼女は過呼吸を起こして倒れ込んでしまった。……警察がどうだとか、病院がどうだとか、そんな無粋な詮索ができる状態ではなかった。娘を突然奪われた母親の絶望が、そこには確かにあったからだ」
「……母は、喧嘩の勢いでったと言っていました」
私がを挟むと、内さんはさく首を横に振った。
広告
「理由はどうあれ、彼女はそう言ったのだ。そして、周囲はそれを信じた。……信じるしかなかったんだよ、美紀君。の幸を疑うことほど、として卑しい為はないと、当の私は信じ込んでいたからだ」
内さんの声の温度が、すうっとがっていった。
「互助会からの特別慰問万円。あれは、私が規程を捻じ曲げて役員会を通したものだ。本来なら本のか、同居族の確な診断がなければない。だが、葬も密葬も済ませ、あまりのショックに戸惑う彼女に『診断をせ』とはどうしても言えなかった。私が私費で補填する覚悟で、稟議に判を押した」
私は息を呑んだ。 母は「会社からた」と言っていた。だが実際は、この司が自らの責任を賭けて、規程のを面していたのだ。
「転勤の話もそうだ」
内さんは静かに続けた。
「青森の営業所への統廃。会社がき残るための苦渋の決断だった。津田君をリストからしたのは、私の独断だ。『娘の墓がこの町にある。その墓参りすら奪うような会社に、未来などない』と、私は常務にってかかったよ。……その結果、何が起きたかっているかね?」
「……若い男性社員が、代わりにったと聞きました」
「野君という、入社目の青だった」
内さんの声が、苦渋に満ちて歪んだ。
「彼は元の信用庫に勤める女性と婚約していた。
だが、寒への突然の異で、結婚は延期になり……結局、すれ違いの末に破談になった。
広告
おすすめ作品
-
完結第23話
締め出された新社長
父から印刷会社を継ぎ、代表取締役として誰よりも早く出社した初日の朝、私のカードキーだけが赤く点滅して通用口が開かなかった。清掃員や入社三カ月の新人、配送トラックが次々と通過していく中、古参の会計は「先代の指示で権限を削除した」と告げる。社内では判断を下せる者がおらず、営業と現場の怒号が響き合い、輪転機が完全に停止した。私は閉ざされたガラス扉の脇にパイプ椅子を置き、冷たい缶コーヒーを握りしめた。職場逆転|人生逆転|怒り|親子関係|修羅場3.5万字5 0 -
完結第24話
妻の手術翌朝、七通の解約通知
妻が胆嚢ポリープの手術で入院した日、私は仕事を優先し「自分で処理しろ」と見舞いを断った。だが翌朝、私の携帯にマンションの駐車場、クレジットカード、父のデイサービスを含む七通の解約通知が立て続けに届く。カードは店頭で弾かれ、ビルのゲート前で立ち往生した私は、妻の報復を確信して病室のドアを乱暴に開けた。点滴に繋がれた妻は、今すぐ元に戻せと詰め寄る私の目の前で、スマートフォンの画面を静かに伏せた。怒り|夫婦|介護|修羅場3.7万字5 0 -
完結第23話
十八年ぶりの切符「次は三人で来い」
「二度と敷居を跨ぐな」――十八年前、父・源蔵の激しい怒声を背に村を飛び出した美雪。母の葬儀すら拒絶し、東京で夫の高一、息子の蒼太と平穏な家庭を築きながらも、心の奥に深い罪悪感を抱え続けていた。 ある秋の日、頑固一徹だった父が倒れたとの報せが届く。恐る恐る帰郷した美雪を迎えたのは、小さく老いさらばえた父の姿だった。互いに素直になれぬまま病室で交わしたわずかな言葉。だが、生家から持ち帰らされた重い桐箱と古いボストンバッグを開けた瞬間、美雪の息は止まる。 そこには、出金記録ゼロのまま膨れ上がった美雪名義の通帳と、十三年前の日付が記された「高一君へ」という父の手紙が眠っていた。父が十八年間隠し通してきた、想像を絶する真実とは――。真実|修羅場3.5万字5 0 -
完結第25話
義母の合鍵が入らない
結婚五年目、情緒不安定を理由に義母に家の合鍵を預けさせられた。夫は母を庇い、私に我慢を重ねるよう笑って求めた。義母の無断侵入は続き、私の大切な机まで雨のベランダへ放り出されたが、私は一度も怒鳴らなかった。一ヶ月後、いつものように合鍵で入ろうとした義母の前に現れたのは、鍵穴すら存在しない最新の電子錠だった。激怒して電話をかけてきた義母に対し、今まで母に逆らったことのなかった夫が「僕が鍵を変えた」と告げた。嫁姑|夫婦|親子関係|修羅場3.8万字5 0 -
完結第18話
ゴミ箱の隣に座る学年一位
学年1位を守り続けてきた娘が、二学期に入ると突然一番後ろの席に移動させられ、学級委員長も外された。何か処分を受けたのかと学校へ詰め寄る私に、娘は「この席でいいの」とだけ言い、何も説明しようとしない。納得できないまま迎えた参観日、教室の後ろに立つ私は、娘の隣にぽつんと置かれた空っぽの机に気づいた。誰の席なのかと問い詰める私に、担任は教室の隅を見つめ、「娘さんが残してくれと頼んできたんです」と静かに告げた。怒り|真実|孤獨|親子関係|修羅場2.8万字5 0 -
完結第18話
診察室に入れなかった私
妊娠七ヶ月、甲斐甲斐しく尽くす夫の言葉に従い、私は毎回待合室で温かい茶を飲んで待っていた。「異常なし」と笑う夫を疑ったことはない。だが夫が仕事で不在となり、初めて一人で診察室に入ると、医師は冷徹な面持ちで私を見据えた。向けられたパソコンの画面には、私が頑なに治療を拒み、夫が必死に説得したという記録が三回連続で並んでいた。その三回とも、私は一度も診察室に足を踏み入れていない。裡切られた|夫婦|裡の顔|修羅場2.8万字5 4 -
完結第25話
一度も抱かれなかった娘
出産翌日に姿を消した妻の代わりに、私は男手一つで娘を育ててきた。「母親は抱っこも拒んで逃げた」と言い聞かせ続けて五年。カルテの保管期限が切れ、産院に呼び出された私の前に置かれたのは、妻が失踪直前に提出した母子同室申請書と一枚のガーゼだった。申請書の最下段には私の拒否印が押されており、持ち帰った鞄からこぼれ落ちた布を拾い上げた五歳の娘は、ピンクの刺繍を指でなぞりながら私を見上げた。夫婦|真相|行方不明|親子関係3.8万字5 0