"一万八千円の伝票" 第17話
「……オーナー。夜にの机を漁るとは、随分と品で浅ましい真似をなさる」
は煙を携帯皿に押し付けると、靴音を響かせて歩、また歩と私へといを詰めてきた。その顔には、先ほどまでの怯えや卑屈さは微もなく、絶対な優位を確信した暴力な獰猛さが浮かんでいた。
私は声の震えを必に抑え込み、顎をげて彼を正面から見据えた。
「の机ではありません。ここは、私のき夫が、血と汗を流して守り続けてきた支配です」
「ハッ! 昔の話ですよ、そんなものは!」
は嘲笑いながら私の肩を乱暴に突きばし、引きしのから赤いファイルと黒革の帳を乱暴に引っ張りした。 ページをパラパラと音をててめくり、が無事であることを確認すると、きな溜息をついて私を見ろした。
「見られましたか。……まあ、ボケかけたでどこまで理解できたかはりませんがね」
彼は帳を引きしに放り込むと、ガチャリと音をてて鍵をかけ、その鍵を自分のスーツのポケットへとしまい込んだ。
「ええ、その通りですよ。私がこのカビのえた古臭いホテルを売りばそうとしていること、そして、愚かな客どもからしばかりの遣い稼ぎをしていること。……それをったところで、あんたのような寄りに体何ができるって言うんです?」
広告
「……遣い稼ぎ、ですって? 切なお客様を騙し、傷つけて巻きげたおを、あなたはそんな言葉で片付けるのですか」
静かに問い詰める私に対し、は悪びれるどころか、愉そうに肩を揺らして笑った。
「文句も言わずに言われた通りのを払っていくバカな客が悪いんですよ! 体、このホテルはとっくに限界だったんだ。古臭い設備に、にもならない貧乏な常連客ばかり優遇して……のオーナーのあの甘っちょろいやり方を続けていたら、どうせとっくに倒産していましたよ!」
夫の全涯を冒涜するその言葉に、私の奥歯からギリリと音が鳴った。のに、微かに鉄のが広がる。
「だから、私が賢く処分して差しげるんじゃないですか。むしろ、私に謝してほしいくらいですね」
は机のの譲渡契約の束をに取り、私の顔のに突きつけてきた。
「来週の曜、あんたにサインと実印をもらう筈でしたが……ちょうどいい。、私の息のかかった弁護士を呼んで、正式に続きを済ませましょう。あんたには、田舎の療養施設でぬまで自由なく暮らせるだけの端をくれてやりますよ」
「……私が、そんな義理な切れにサインをするとでもっているのですか?」
私がややかに睨み据えると、は元を醜く歪め、気の悪い笑みを浮かべた。
広告
「するに決まっているでしょうが! あんたには、もう何の力も残っちゃいないんだ。夜にコソみたいに部を漁ることしかできない、れで無力な老婆なんですからね!」
彼は私の首を乱暴に掴みげ、ドアの方へと力任せに引きずりそうとした。
「痛っ……!」
「さあ、部に戻ってしく寝ているんだな! になれば、すべては私のものになる。あんたの夫が遺したこのガラクタみたいなホテルも、従業員どもも、すべてね!」
ドン、と背を押され、私は夜のたい廊のに突きばされた。 膝とのひらに鋭い痛みがる。ちがれずにに伏せる私ので、バタン!と々しい音をてて支配の扉が閉ざされ、内側から激しく鍵が掛けられた。
静まり返った廊に、私の荒い呼吸だけが響いていた。
私は壁にをつき、軋む膝を叱咤しながら、歩ずつ階段を登った。 段がるごとに、膝にる痛みが全を突き抜ける。それでも、ち止まるわけにはいかなかった。
(健さん……あいつらは、あなたが命を懸けて守ってきたこの所を、本当にガラクタだと笑いました……)
かつて、この階段はお客様の温かい笑顔と、スタッフたちのるい挨拶で満ち溢れていた。 『また来も来るからね』とを振ってくれた族連れ。『ここのお呂とご飯をいただくと、からまた頑張れるよ』と笑ってくれたお寄り。
そのかけがえのない記憶のすべてを、あの男は靴で踏みにじり、己の欲望のためだけに売りばそうとしている。
広告
おすすめ作品
-
完結第21話
日本一情の深い父の裏の顔
妹がサービスエリアで姿を消して5年。全国を巡り「日本一情の深い父親」と称賛される父から、私は古いワゴン車を譲り受けた。だが車内の清掃中、妹の指定席だったシートベルトが事故の衝撃で「4センチ」伸びきっているのを発見する。さらに奥底から見つかったのは、刃物で切断された妹の防犯ブザーだった。父に問いただすと、かつてない冷酷な声で「今すぐ車を処分しろ」と脅され――。私は父の狂気と真実を暴くため、ある決断を下す。ミステリー|裡の顔|真相|行方不明3.1万字5 33 -
完結第22話
側溝の底のGPS
六年前に娘を事故で亡くし、近所から「不注意な母親」と後ろ指を指されながら暮らしてきた私。ある朝、向かいの名士宅との境界にある側溝の泥から、泥まみれの「娘の見守りGPS」を掘り出した。壊れた端末のログを開くと、六年間、豪雨の深夜になるたび、向かいの家のWi-Fiと通信を繰り返していた。問い詰めた夫が無言で開けた物置には、壁一面に貼られた隣家の行動記録と、五年間密かに改造されていた配管図面があった。ミステリー|因果応報|裡切られた|真相3.3万字5 26 -
完結第18話
清掃員のヤスリと50万フランの契約
「清掃員?なぜこんな奴を呼んだんだ?」――スイス・チューリッヒ郊外の機械工場で、最低賃金の夜勤清掃員として働く私・鈴木誠は、誰にも知られず古い12番機の異音を聞き分け、たった3分の手作業で精度を劇的に改善してしまう。4日後、3000個の歯車が99.9%の合格率を叩き出し、ドイツ本社の首席技術専門家ハインリヒとCEO秋山凛が原因究明のため工場へ乗り込んできた。防犯映像から私の仕業だと判明すると、専門家たちは「ただの清掃員にできるはずがない」と騒然。さらに別の不調機をその場で直したことで、私がかつて日本の宇宙航空産業を支え、“国宝級の匠”と呼ばれた特級職人だった過去まで掘り起こされる。なぜそんな男が異国で廃液を捨てているのか――事故の責任を背負って表舞台を去った私に、秋山は人生を変える一枚の契約書を差し出す。職場逆転2.6万字5 257 -
完結第23話
締め出された新社長
父から印刷会社を継ぎ、代表取締役として誰よりも早く出社した初日の朝、私のカードキーだけが赤く点滅して通用口が開かなかった。清掃員や入社三カ月の新人、配送トラックが次々と通過していく中、古参の会計は「先代の指示で権限を削除した」と告げる。社内では判断を下せる者がおらず、営業と現場の怒号が響き合い、輪転機が完全に停止した。私は閉ざされたガラス扉の脇にパイプ椅子を置き、冷たい缶コーヒーを握りしめた。職場逆転|人生逆転|怒り|親子関係|修羅場3.5万字5 51 -
完結第19話
三十二人目の卒業写真
教職を退いた夜、三十年前に送り出した最初の教え子たちが開いてくれた送別会で、私は三十一人分の感謝の手紙を受け取った。だが自宅で数え直すと、名簿にない三十二通目の白い封筒が混ざっていた。便箋には「全員が卒業しました。私一人を残して」とだけ記されていた。翌日、私が困惑して生徒たちに当時の記憶を尋ねると、誰もが存在を否定し、深夜の受話器の向こうから「あの子のこと、墓場まで隠し通すつもりですか」昭和|ミステリー|因果応報|真相2.8万字5 11 -
完結第25話
一度も抱かれなかった娘
出産翌日に姿を消した妻の代わりに、私は男手一つで娘を育ててきた。「母親は抱っこも拒んで逃げた」と言い聞かせ続けて五年。カルテの保管期限が切れ、産院に呼び出された私の前に置かれたのは、妻が失踪直前に提出した母子同室申請書と一枚のガーゼだった。申請書の最下段には私の拒否印が押されており、持ち帰った鞄からこぼれ落ちた布を拾い上げた五歳の娘は、ピンクの刺繍を指でなぞりながら私を見上げた。夫婦|真相|行方不明|親子関係3.8万字5 83 -
完結第12話
社長夫人と平社員の妻
夫が勤める製造会社の先代社長の遺児であり、全株式の六割を握る筆頭株主である白石遥。彼女はその正体を隠し、現場社員の妻として慎ましく暮らしていた。しかし、先代の跡を継いだ新社長の妻・藤崎麗華は、夫が平社員である遥を見下し、婦人会の席で髪を掴んで「奴隷」と罵倒する。耐えかねた遥が「では、社長を解任します」と告げると、麗華はあざ笑うのだった。数日後、遥の名の入った「臨時株主総会招集請求書」が会社に届き、夫が密かに集めていた四千万円の不正流用の証拠が突きつけられる。窮地に陥った社長夫婦の前に、本当の支配者の正体が暴かれるとき、冷酷な因果応報の幕が上がる。職場逆転|因果応報1.8万字5 141 -
完結第22話
恩人弁護士の不可解な書類
満員電車の切り取り動画で炎上し、派遣先を不当解雇された私を、着手金ゼロで救ってくれたのは小さな事務所の弁護士だった。彼の尽力で示談を勝ち取り日常を取り戻した二ヶ月後、私は元上司のパワハラを訴えた見知らぬ後輩の裁判資料を目にする。そこには、私が弁護士の相談室で泣きながら話したはずの告白が、そのまま証拠として並んでいた。震える手で開いたその裁判記録の送達先には、私を救った恩人弁護士の事務所名が記されていた。職場逆転|因果応報|裡切られた|怒り3.4万字5 257 -
完結第10話
月給22万円の「給料泥棒」と50億円のAI
「首にしとくから一生寝とけ。高卒の給料泥棒が」――交通事故で全身に重傷を負い、病室に運ばれた私・み月りんへ届いたのは、8年間耐えてきた上司・気藤からの非情なメッセージだった。難病の母の治療費を払うため、月給22万円でも「無能」と罵られながら働き続けてきた私。だが会社の誰も知らなかった。顧客管理、会計、在庫を結ぶ基幹システムを一人で設計し、独自AIを開発、20件以上の特許まで持つ本当の実力を。しかも気藤は、その成果を自分の手柄として奪い続けていた。もう十分だ。私は病室から「本日付けで退職します」とだけ返信し、会社との連絡をすべて断つ。翌朝、社内の全システムが機能しなくなり、誰一人として復旧できない事態に。そこで初めて会社は、自分たちが“給料泥棒”と嘲った女性が何を支えていたのかを思い知ることになる――。職場逆転1.6万字5 1274 -
完結第19話
全員が揃えた同じ嘘
小学五年の秋、担任の女性教諭が突然退職し、学校は精神の病気だと説明した。だがその日の放課後、私を含めたクラス二十三人の児童は、それぞれの家庭で「先生は午後三時に帰りました」と全く同じ嘘を親に答えた。口裏を合わせた覚えはない。半年後、唯一何も言わずに転校していった無口な少女が、私の机の引き出しに一枚のメモを残した。そこには『先生は三時のとき、まだ地下室にいました』と記されていた。ミステリー|裡の顔|真相|行方不明2.8万字5 43