みかん小説
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"祖母は十二年年賀状を書いてない" 第1話

内にある料亭の座敷は、初の湿った気を吸い込んだの匂いと、甘辛いすき焼きの割りりで満ちていた。

にはてられ、そのにはの座布団。 今でちょうど歳――傘寿を迎えた祖母、子が、し所なさそうに背筋を伸ばして座っている。

「いやあ、こうして族揃うと壮観だな。母さんもか。まだまだ腰もしっかりしてるし、あとは現役で畑にられるよ」

座でビールグラスを掲げたのは、横浜で設備事会社を経営している男の男伯父さんだった。 仕てのいいサマーウールのスーツを着て、し赤ら顔で嫌に声を張りげている。

「本当にねえ。お母さん、今は本当におめでとう。京から幹線に乗ればちょっとだし、もっと頻繁に顔を見に来たいんだけど、うちも娘の受験だなんだでバタバタしてて。でも、元気そうでしたわ」

私の母である女の恵子も、嬉しそうに頷きながら伯父のグラスにビールを注いだ。

には世代、総勢が集まっていた。 横浜からの男伯父さん京から駆けつけた私の両親と、私、そして妹。 そして、この崎の実から分ほどの所にみ、兼業農を継いでいる次男の叔父さんと、その妻の淳子叔母さん。

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宴席は、絵に描いたような「仲睦まじい親孝」だった。 運ばれてくる先付や刺の皿をに、親戚たちはそれぞれの況を語りい、声で笑いっている。

その賑やかな輪の端で、私は膝のに置いた呂敷包みを指先で確かめていた。 包みのにあるのは、縦センチほどの特注のアルバムだ。 表にはの箔押しで『傘寿記 おばあちゃんの』と刻んである。

こののために、私はから親戚に連絡を取り、あるものをかき集めていた。 それは、祖母が毎元旦に各の親戚へ送ってきていた「賀状」だった。

私の元にあるもの、母の実に残っていたもの、横浜の伯父さんのに保管されていたもの。 そのから、ちょうど――干支がひと回りする(午)から今(巳)までの賀状を、分ずつ代順に並べ、写真とともに製本したのだ。

祖母の賀状は、毎決まっていた。

腰はし痛みますが、元気に暮らしています。今も裏の畑でトマトがたくさん実りました。京は寒いでしょう。邪を引かないように。』

の表現の違いはあれど、かれているのはいつもそのだった。 「元気にしている」「畑仕事をしている」「配いらない」。 れて暮らす私たちにとって、その葉は毎に届く、何より確かな「の証

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だった。

お正、ポストからその葉を取りすたび、母は決まってこう言っていた。

「ああ、お母さん、今も自分でちゃんといてるわ。元気そうね。かくなったら度顔を見にこうかしら」

そう言いながら、結局ゴールデンウィークもお盆もそれぞれの予定で忙殺され、実際に崎の実を運ぶのは度。 それでもろめたさをじずにいられたのは、毎元旦に、あの素朴なが律儀に届いていたからだ。

「……そろそろ、私からのプレゼントを渡してもいい?」

いを見計らって私ががると、座敷の線が斉に集まった。

「お、茜からか。なんだなんだ、孫からのサプライズか?」

男伯父さんが囃してる。 私は緊張で張った息を吐きしながら、呂敷を解いた。 現れた濃紺の布張りのアルバムを、祖母のに両で差しす。

「おばあちゃん、傘寿おめでとう。これ、親戚みんなに声をかけて、おばあちゃんが過に送ってくれた賀状を集めて作ったアルバムなの。おばあちゃんがで元気に畑を守って、私たちを見守っててくれた記録だよ」

「まあ……!」

母が嘆の声をあげ、を叩いた。 親戚たちからも「へえ、すごいな」「よくそんなの残してたな」との声が漏れる。

祖母は驚いたように目を丸くし、膝ののアルバムに皺の刻まれたを伸ばした。

季の入った指先が、の文字をそっと撫でる。

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