"祖母は十二年年賀状を書いてない" 第11話
でも、『あれは私がいたんじゃない』とは絶対に言わなかった。なぜだとう?」
私は息を呑んだまま、けなかった。
「言えるわけがないじゃない。『私はもう字もけない、全部嫁が勝にやったことだ』なんて言ったら、自分がどれだけり果てているかを、する息子や娘にられてしまうもの」
叔母さんはたい線を、作業の引き戸の向こう――い本の方向へと向けた。
「お義母さんはね、分かっていて黙っていたのよ。私が勝に賀状をしているのをりながら、それを黙認して、『元気で自した母親』の仮面を被り続けていたの。……私を利用してね」
胃の奥が、氷を詰め込まれたようにたくなった。
誰も悪気はなかった。 誰も犯罪を犯したわけではなかった。 ただ、祖母は「惨めな自分を見せたくない」という虚栄のために。 母たちは「面倒な介護から目を背けたい」という怠のために。 そして叔母さんは「理尽な攻撃から自分を守りたい」という本能のために。
全員が、あの『元気にしています』というたったの嘘を、共犯者として支えっていたのだ。 もの。
そのだった。 私のポケットので、スマートフォンのバイブレーションが激しく鳴り響いた。
画面を見ると、母からの着信だった。 私は恐る恐る通話ボタンを押し、に当てた。
広告
「もしもし、茜!? あんた今どこにいるの!」
母の切り声が、受話器から漏れ聞こえた。 いつものヒステリックな声だったが、どこか異様な切迫が混じっていた。
「く本に来なさい! 男兄さんと緒に今、お母さんのに来たんだけど……変なことになってるのよ!」
「……変なことって、何?」
「お母さんが……お母さんが、いないのよ! 部の鍵はいてるのに姿がなくて……それに、台所の鍋が真っ黒に焦げて、煙が充満してて……!」
背筋を、たい刃物で撫でられたような戦慄がった。
「事になりかけてたのよ! 所のが煙に気づいて教えてくれなかったら、ごと燃えてたところよ! ……ねえ、お母さん、認症なんじゃないの!? どうしてこんなになるまで、誰も教えてくれなかったのよ!」
母の叫び声を作業の気が包み込んでいく。
私の目ので、淳子叔母さんがゆっくりと顔をげた。 その表には、もはや驚きすら浮かんでいなかった。 ただ、張り詰めていた細い糸が、音をてて千切れたような――果てしない虚無だけが、その瞳に広がっていた。
レンタカーのアクセルをまで踏み込みながら、私の臓は鐘のように鳴り続けていた。
助席に座る淳子叔母さんは、方を凝したまま言も発しない。 ただ、膝ので固く握りしめられた両の指先が、く鬱血していた。
広告
本のをくぐると、を突く異様な臭いが漂ってきた。 焦げた属と、何かが炭化した煙の混ざりった、胸が悪くなるような悪臭。 玄関のには、所の老たちが、配そうに腕を組んでち尽くしていた。 庭のからはホースが引かれ、玄関先の叩きが浸しになっている。
「あ、淳子さん! よかった、戻ってきた!」
所にむ農業の田所さんが、叔母さんの姿を見るなり駆け寄ってきた。
「煙が換気扇からモクモクてたからよ、慌てて勝から入ったら、徳ののアルミ鍋が真っ黒になってを噴きかけてたんだ。幸い鍋を流しに放り込んでをかけたから事には至らなかったが……子さんがどこにも見当たらねえんだよ」
玄関の引き戸がけ放たれた暗い茶のから、母と男伯父さんが転がりるようにして現れた。
「淳子さん! 体どこにってたのよ!」
母・恵子は、煤の臭いに顔を歪めながら、叔母さんを指さして叫んだ。 その目には、恐怖と、それを覆い隠すための激しいりが燃え盛っていた。
「を空けるなんてどういうつもり!? お母さんが鍋をにかけたまま徘徊してるのよ! もしあのまま燃え広がってたら、所を巻き込む事になってたのよ!?」
「母さんはどこだ!」 男伯父さんも、ネクタイを緩めた胸元を激しくさせながら詰め寄ってきた。
「所を探したが見つからないんだ! 警察に捜索願をすぞ! おが朝から余計なところへ歩いてるからこんなことになるんだ! 母さんの様子がおかしいとっていながら、なぜで置いてかけた!」
広告
おすすめ作品
-
完結第21話
優しい教室で震える息子
息子が突然学校に行けなくなり、担任は「いじめなどなくクラス全員に愛されている」と胸を張った。不審に思った私が息子のランドセルを調べると、底板の裏から三十七枚の給食費受領書が出てくる。我が家は困窮などしていないのに、三ヶ月間、生徒全員が日替わりで息子の昼食代を立て替えていた。私が学校へ確かめに行こうとした瞬間、息子は「言わないで」と叫んで床に泣き崩れ、その紙片を必死に胸へ抱え込んだ。怒り|裡の顔|親子関係|金銭問題3.2万字5 0 -
完結第23話
母の職場で死んでいた私
母の定年退職をサプライズで祝うため、私は東京から新幹線に乗り宴会場へ駆けつけた。お祝いの品を手にして扉を開けた瞬間、母の同僚は手にしたグラスを取り落とし、顔を青ざめて後ずさりした。毎年盆と正月には実家へ顔を出し、仕送りも続けていたはずの私は、母が二十八年勤めた職場では十五年前に事故で亡くなった娘として扱われていた。ステージを駆け下りてきた母は私の手首を強く掴み、そのまま非常階段へと力任せに引きずり出した。親不孝|親子関係|退職金|修羅場3.5万字5 32 -
完結第23話
締め出された新社長
父から印刷会社を継ぎ、代表取締役として誰よりも早く出社した初日の朝、私のカードキーだけが赤く点滅して通用口が開かなかった。清掃員や入社三カ月の新人、配送トラックが次々と通過していく中、古参の会計は「先代の指示で権限を削除した」と告げる。社内では判断を下せる者がおらず、営業と現場の怒号が響き合い、輪転機が完全に停止した。私は閉ざされたガラス扉の脇にパイプ椅子を置き、冷たい缶コーヒーを握りしめた。職場逆転|人生逆転|怒り|親子関係|修羅場3.5万字5 51 -
完結第24話
妻の手術翌朝、七通の解約通知
妻が胆嚢ポリープの手術で入院した日、私は仕事を優先し「自分で処理しろ」と見舞いを断った。だが翌朝、私の携帯にマンションの駐車場、クレジットカード、父のデイサービスを含む七通の解約通知が立て続けに届く。カードは店頭で弾かれ、ビルのゲート前で立ち往生した私は、妻の報復を確信して病室のドアを乱暴に開けた。点滴に繋がれた妻は、今すぐ元に戻せと詰め寄る私の目の前で、スマートフォンの画面を静かに伏せた。怒り|夫婦|介護|修羅場3.7万字5 37 -
完結第25話
義母の合鍵が入らない
結婚五年目、情緒不安定を理由に義母に家の合鍵を預けさせられた。夫は母を庇い、私に我慢を重ねるよう笑って求めた。義母の無断侵入は続き、私の大切な机まで雨のベランダへ放り出されたが、私は一度も怒鳴らなかった。一ヶ月後、いつものように合鍵で入ろうとした義母の前に現れたのは、鍵穴すら存在しない最新の電子錠だった。激怒して電話をかけてきた義母に対し、今まで母に逆らったことのなかった夫が「僕が鍵を変えた」と告げた。嫁姑|夫婦|親子関係|修羅場3.8万字5 123 -
完結第18話
ゴミ箱の隣に座る学年一位
学年1位を守り続けてきた娘が、二学期に入ると突然一番後ろの席に移動させられ、学級委員長も外された。何か処分を受けたのかと学校へ詰め寄る私に、娘は「この席でいいの」とだけ言い、何も説明しようとしない。納得できないまま迎えた参観日、教室の後ろに立つ私は、娘の隣にぽつんと置かれた空っぽの机に気づいた。誰の席なのかと問い詰める私に、担任は教室の隅を見つめ、「娘さんが残してくれと頼んできたんです」と静かに告げた。怒り|真実|孤獨|親子関係|修羅場2.8万字5 101 -
完結第25話
一度も抱かれなかった娘
出産翌日に姿を消した妻の代わりに、私は男手一つで娘を育ててきた。「母親は抱っこも拒んで逃げた」と言い聞かせ続けて五年。カルテの保管期限が切れ、産院に呼び出された私の前に置かれたのは、妻が失踪直前に提出した母子同室申請書と一枚のガーゼだった。申請書の最下段には私の拒否印が押されており、持ち帰った鞄からこぼれ落ちた布を拾い上げた五歳の娘は、ピンクの刺繍を指でなぞりながら私を見上げた。夫婦|真相|行方不明|親子関係3.8万字5 82 -
完結第21話
解雇された職人が未明に餡を練る
創業五十周年を控えた和菓子屋で働く私は、常連客の前で二十五年尽くした職人が店主に突然解雇される場に居合わせた。跡を継ぐため会社を辞めて戻った一人息子がいるものの、看板である漉し餡の技術はまだ誰にも継がれていない。店が立ち行かなくなると焦った私が翌朝四時に店へ駆け込むと、暗い厨房で追い出されたはずの職人が大鍋を振っていた。仕上がった餡を前に、朝一番に出勤した店主は無言で味見の木さじを口へ運んだ。裡切られた|親不孝|親子関係|修羅場3.2万字5 14 -
完結第21話
十年前に死んでいた夫
病に倒れた夫を十三年間看取り、質素な火葬を終えた私は、医療記録の精算のため大久保総合病院の窓口へ向かった。だが職員から告げられたのは、データベースに夫の名はなく、提示した診察券は十年前に死亡した二十代の別人の番号だという宣告だった。半乱心で戻ったアパートを捜索するも、夫名義の保険証も免許証も通帳すら一枚も見当たらない。十三年間私の隣で息をしていた男の痕跡が、この世のどこにも存在しない現実に立ち尽くした。ミステリー|夫婦|介護|修羅場3.1万字5 2597