"完璧な夫に給料を突き返した朝" 第5話
そう言って、亮介は空になったビールの缶を持ち、ゴミ箱へ捨てた。
「飯、まだ? 腹減っちゃったよ。噌炒め、めないうちにべたいな」
男はリビングへ戻り、再びテレビの画面に目を向けた。 バラエティ番組の笑い声が、キッチンの隅々にまで響き渡る。
私は、カウンターのに残された収支表を見つめた。 万千円のマイナス。
「君を信じてる」 「財布を全部預けてる」
その美しい言葉の正体を、私はようやく理解した。 それは信頼などではない。 「拒絶する痛み」から逃げるための、卑怯な防壁だ。
おがない現実を見たくないから、私に通帳を押し付ける。 母親に「せない」と言って落胆されるのが怖いから、私に振り込ませる。 息子に「諦めろ」と言って嫌われるのが嫌だから、私に判断を委ねる。 自分が良い夫、良い息子、良い父親で居続けるために、すべてのを私に呑ませているのだ。
フライパンの底で、え切った豚肉の脂がく固まり始めていた。
*
夜の。 リビングのソファで毛布にくるまりながら、私はスマートフォンの画面を見つめていた。
隣の寝からは、亮介の規則正しい寝息が聞こえてくる。 何のろめたさもなく、何のもなく、く満ちりた眠り。
は、。 料だ。
朝になれば、亮介の会社の座から、私の座へと万円が振り込まれる。
広告
そしてその数分には、お義母さんから「亮介から聞いたわよ、ありがとうね」という催促のLINEが入るはずだ。 夕方には、塾から「特訓講座のお申し込み期限について」という最終通告のメールが届く。 末には、宅ローンと、のローンと、亮介のカード代が、容赦なく座から引き落とされていく。
万千円。 今、私が自分の過を切り売りして作ったお。 それを使っても、まだりない。 次は何を売ればいい? 祖母の形見の着物? それとも、健太の学資保険を取り崩す?
スマートフォンの画面が、暗ので青くっている。 画面に表示されているのは、私のメインバンクのアプリ画面。
【お振込指定座】 佐藤亮介。
私は、その画面をじっと見つめた。
、私はずっと「良い妻」でいようとしてきた。 夫のプライドを守り、義母の嫌を取り、息子のを壊さないように、で穴を掘り、でを埋め続けてきた。 私がすれば、このは「幸せな庭」のままでいられると信じていたから。
でも、違った。 私が埋めていたのは、このの赤字じゃない。 夫の、果てしない無責任と虚栄だったのだ。
ツンと、の奥が痛んだ。 涙はなかった。 昼、志保ので零れそうになった涙は、もうどこにも残っていなかった。 残っていたのは、ただたく研ぎ澄まされた、静かなりだけだった。
広告
「……もう、やめる」
暗ので、声にして呟いてみた。 驚くほど、自然にその言葉が喉を通った。
午分。 枕元のスマートフォンが、く震えた。
画面をくと、アプリからのプッシュ通。 【与振込 カ)トウヨウデンキ 450,000円】
いつもと同じ、寸分狂わぬ額。 そして、その直。 まるで計ったかのように、メッセージアプリの通がなった。
【義母・悦子:おはようございます。亮介から聞いたけれど、旅の件、午に続きしてくれるかしら? 旅会社への支払いが今までなのよ】
さらに、もう通。
【学ゼミナール:【】期集特訓講座のお続きについて。本15が最終締め切りとなっております】
完璧な包囲網。 いつもなら、ここで私の胃はキリキリと痛み、や汗を流しながら各座の残を卓でわせ、どれを優先し、どれを先送りするか、血の滲むようないでパズルを組みてていただろう。
けれど、今の私の指先は、全く震えていなかった。
洗面所から、歯を磨き終えた亮介が、タオルで顔を拭きながらてきた。 ネクタイを締め、アイロンの効いたワイシャツに腕を通している。 完璧な、清潔あふれるサラリーマンの姿。
「朋美、朝飯ありがとね。あ、今料だからさ、ちゃんと振り込まれてるか確認しといてよ。じゃ、ってくるから」
亮介は玄関へ向かい、靴べらを使ってピカピカに磨かれた革靴にを滑り込ませた。
「母さんの件、よろしくね。
広告
おすすめ作品
-
完結第19話
母の葬儀を拒んだ叔父と、消えた教育資金350万円
母を突然失った18歳のまほは、葬儀の方法すら分からず父方の本家へ助けを求める。しかし叔父・正尾は「最後まで自分たちだけでやれ」と突き放し、亡き母まで恩知らずだと罵った。 それから15年、まほは苦学の末にIT企業を立ち上げ、約300人を率いる社長へ成長する。そこへ会社が傾いた正尾が現れ、自分の息子・優と娘・沙耶を「親戚だから」と縁故採用するよう要求。だがまほは「親戚枠も縁故枠もない」と公平な選考を突きつける。 やがて従兄妹が本家の納戸から発見したのは、母が祖父母へ何年も仕送りを続けていた証拠と、父がまほの大学進学のために残した約350万円の信託預金だった。しかも、その金は叔父の会社口座へ流れていた。 15年間母を悪者にしてきた叔父の嘘が、ついに物証によって崩れ始める――。親子関係|金銭問題2.8万字5 367 -
完結第10話
クラウドが暴いた午前一時の密会
「23時には行く」 40度近い高熱で生後3ヶ月の息子と救急搬送された私を置き去りにし、夫は電話を20回鳴らしても無視し続けた。 眩しすぎる処置室で泣き叫ぶ我が子。深夜2時、現れない夫の代わりに訪れた児童相談所の車へ、私は震える手で息子を託した。 深夜3時40分、酒と女の香水を漂わせて現れた夫は「接待だ、児相なんて大袈裟だ!」と逆上。 だがその時、家族共有クラウドに次々と同期されたのは、21時15分の花火、そして深夜1時50分のホテルで浴衣姿の後輩社員と笑い合う自撮り写真だった――。 私は冷え切った指先で、弁護士へ一本の電話をかけた。夫婦|親子関係1.5万字5 353 -
完結第12話
離婚を知らずに生活費25万円を催促する夫
3年間無職の夫・浩司から毎月25万円を要求され続けてきた設計士の美保は、出張先のホテルで「振り込まなければ離婚する」と脅されながら、すでに役所で受け取った離婚届受理証明書を静かに見つめていた。 夫は愛人と豪遊し、義母まで共謀して、美保が亡き父から受け継いだ家の名義を書き換えようとしていた。美保は実印を密かに変更し、カードと生活費口座を停止。さらに3年間集めた不正利用、浮気、恐喝、名義変更計画の証拠を弁護士へ渡す。帰宅した彼女に夫は顧客資料を盾に300万円を要求するが、そのファイルは最初からダミーだった。 そして美保がテーブルへ置いた1枚の「離婚届受理証明書」を見た瞬間、自分たちが奪うはずだった家も金も、すでに手の届かないものになっていたと夫と義母は初めて知る――。夫婦|金銭問題1.8万字5 258 -
完結第11話
豪邸を奪う義母と一枚の公正証書
「今日から同居ね。この一番大きな部屋でいいわよ」 庭付き一戸建てを購入した翌朝、引っ越し業者を引き連れた元義母が土足で新居に乗り込んできた。 中卒の元専業主婦と見下され、「不倫女」と理不尽に罵倒されるユイ。だが義母は知らなかった。その家はユイが自力で買い取ったもので、夫とは半年前に離婚済みだったことを。 「慰謝料代わりにこの家を寄越しなさい!」 逆上する義母の前に、ユイは一枚の「公正証書」を突きつける。 ある「不審なメモ」から暴かれた、夫と実の妹によるおぞましい裏切りとは――。 「この名前、誰だか分かりますか?」嫁姑|修羅場1.6万字5 465 -
完結第14話
余命3か月と嘘をついた夫は、離婚後の3000億円を知らない
夫・翔太から「すい臓がん末期で余命3か月」と告げられ、突然離婚を求められたゆい。だが診断書は偽物で、翔太には2年以上関係を続ける愛人・リナがいた。 ゆいは騙されたふりをして離婚に応じる。なぜなら父が残した信託には、婚姻関係が解消された瞬間、3000億円の一族資産が彼女へ移る条件が設定されていたからだ。 さらに翔太には会社資金約5000万円の横領まで発覚する。 莫大な資産を手にしたゆいは、父の顧問弁護士ハルトと共に元夫とその一族へ反撃を開始。ところが調査の果てに、翔太がゆいへ近づいた本当の理由が、20年以上前から続く両家の復讐にあったことを知る。 金と裏切りだけでは終わらない、父世代から仕組まれていた巨大な秘密が姿を現していく――。夫婦|修羅場|不倫2.2万字5 177 -
完結第12話
八万八千円のスカーフと離婚届
ゴミ箱で見つかった高級スカーフ「八万八千円」のレシート。母の日に私へ渡されたのは、千五百円の安菓子だった――。 十四年前に幼子を捨てて逃げた元嫁が突然現れ、泥水をすすって育てた継子たちは一変。「血の繋がらない赤の他人」と罵られ、夫からは一方的に離婚届を突きつけられる。 家族四人でやり直すと私を追い出す夫たち。だが、元義父の四十九日法要に乗り込んだ私の手には、周到に集めた録音データと、二億八千万円の公正証書遺言があった。 そこには、裏切り者たちを戦慄させる「ある解除条件」が記されており――。 弁護士が冷徹に告げる。「全遺産を相続するのは、あなた方ではありません」夫婦1.7万字5 338 -
完結第11話
認知症に仕立てた息子夫婦が奪った実印は偽物だった
雪の降る夕方、はる子は息子・健二と嫁・さやかに「ドライブへ行こう」と誘われ、そのまま人里離れた介護ホームへ置き去りにされる。携帯電話まで奪われ、外出も自由にできない中、彼女はようやく「息子夫婦に捨てられた」と悟った。 さらに2人は、はる子に正体不明の薬を飲ませて混乱させ、認知症の診断を取ろうとしていた。 目的は、失敗したカフェ経営で消えた3000万円と、闇金から借りた2000万円を穴埋めするため、成年後見制度を利用して母の通帳と家を奪うことだった。 しかしはる子は密かに認知症のふりを続け、ズボンに隠したペン型録音機で「後見人になれば通帳も家も私たちのもの」という嫁の声を記録する。 何も分からない老人を演じながら、彼女は息子夫婦が自ら罠に入る瞬間を静かに待ち始める――。親不孝|金銭問題|修羅場1.6万字5 348