"帰れなかった実家" 第1話
昭3010、信州のあいに位置するの敷は、くもの匂いを孕んだ気に包まれ始めていた。
台所のにった佐々子は、夕餉の支度のためにのついた根をで洗い、包丁で切り分けていた。トントンと規則正しい音が板壁に反響する。23歳でこの旧へ嫁いできて3、朝は誰よりもく起きて井戸からを汲み、竈に薪をくべ、夜は全員がに就いてから燈の油を確かめて眠る活が、彼女の常のすべてになっていた。
表の格子戸が、けたたましい勢いで叩かれたのは、まさに根の輪切りを鍋へ落とした瞬だった。
「ごめんください! 報です、さん、報!」
郵便局の配達員の青の声に、子は濡れたを掛けの端でぬぐいながらりで玄関へ向かった。当は話を引いているなど役やきな商くらいで、報が届くということは、のきにや急変をしていた。
青の差しした片を受け取り、受領印を押す指がかすかに震えた。
折りたたまれた茶いをいた瞬、印字されたカタカナの活字が目にび込んできた。
《チチキトク スグカエレ》
父危篤、すぐ帰れ。
たったそれだけのい文字列が、子の界ので激しく揺れた。
「お父さんが……」
向こうの隣にある実には、嫁いでから盆と正の挨拶をわせても数えるほどしか戻っていなかった。
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父の清次は無だが頑な炭焼き職で、邪ひとつ引いたことのない男だった。3の、荷に桐の箪笥を積み込み、涙ひとつ見せずに「向こうののにく慣れろ」と背を叩いて送りしてくれた父。その父が、今まさに命を落とそうとしている。
子は台所へ戻ると、震えるで竈のを吹き消した。
奥の暗い座敷では、姑のタミが縁のに正座し、無垢の襦袢のほころびを繕っていた。今56歳になるタミは、背筋を真っ直ぐに伸ばし、このの絶対な秩序そのものとして君臨していた。
「お義母さん」
「何だい、騒々しいね」
「実から報が届きました。父が……父が危篤なんです」
子は息を詰まらせながら、報をタミの膝のへ差しした。タミは縫い針を布に刺したまま止め、線をゆっくりと片へと落とした。数秒、沈黙が部を満たした。しかし、その顔には驚きも揺も浮かばなかった。
「そう」
タミはただく言だけ呟いた。
「今から支度をします。夜の8にる最終の汽に乗れば、夜には峠のまで辿り着けます。そこから歩けば、の未には実へ着けますから」
子が慌ただしくちがろうとした瞬、タミのくややかな声が背に突き刺さった。
「は、うちのお祖父さんの回忌ですよ」
子は振り返り、姑の顔を見つめた。
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「……はい、じております」
「分かっているなら、どこへく気かね」
「父が危ないんです。息のあるうちに、目だけでも会いたいんです」
タミは静かに針を引き抜き、布を折り目正しく畳み直した。
「嫁に来た以、あなたの体はこののものですよ。の法には、本からも分からも親類が数集まる。座敷の膳を誰が運び、茶を誰がす気だい。実の親が事だからとの仏事を投げすような嫁を、私はこの敷居に入れた覚えはありません」
「お義母さん! 料理のごしらえはもう半を済ませてあります。親戚の皆様へのお酌や仕なら、所のお伝いさんを頼むことも——」
タミの目が、氷のように細められた。
「男の嫁がのを借りて法を誤魔化すのかい。の面目を潰す気か」
その厳格な言葉の刃のに、子は言葉を失いち尽くした。
表の引き戸がき、役の課で技師をしている夫の正雄が帰宅した。28歳の正雄は、のの張り詰めた空気を敏に察し、で靴を脱ぐを止めた。
「どうしたんだ、暗がりでして」
「あなた!」子はすがるように夫へ駆け寄り、報を差しした。「お父さんが倒れたの。今夜の汽で実へ帰らせて。お願い、急がないとにわないの」
正雄は報に目を落とし、困惑したように眉をひそめた。
「お義父さんが……しかし、は祖父さんの回忌だぞ。