"祖父が私に遺した最後の拒否権" 第7話
「休み……? ってやつかい。あんたは気楽でいいわね。話本で会社を休めて、自分の都で実の運命を止められるんだから」
責めるような調ではなかった。 ただ、乾ききった、の抜け落ちた声だった。それがかえって、刃物のように私の皮膚を切り裂く。
居の引き戸がガラリとき、父・健が入ってきた。 着古したフリースの胸元にはタバコのが落ちており、目の充血が酷い。晩、居のコタツでウイスキーを煽りながらタバコを吸い続けていたのだと、部から漏れてくる饐えた臭いですぐに分かった。
父は私と目をわそうともしなかった。 やかんにを注ぎ、ガスコジロにをつけると、背を向けたままく唸るように言った。
「叔父さんたちから、何本も話があったぞ」
私の背筋が、たく張る。
「……親戚の?」
「ああ」 父は振り返り、私を射抜くように睨みつけた。 「昨の夕方、松永の事務所から戻ってすぐに、弘の本にも、所川原の叔母さんにも連絡がった。みんな言ってるぞ。『咲は何様のつもりだ』ってな。『も音汰なしで京で好き勝やってたくせに、親が首を吊る寸になって戻ってきて、元をすくいげるような真似をして恥ずかしくないのか』ってな!」
ドン、と父がやかんをコンロに叩きつけた。 ねた滴が青い炎に触れ、ジュッと嫌な音をてて消える。
広告
「あのは、佐伯のだ。先祖代々、親父が守ってきただ! 俺が継いで、俺が借を背負って、俺が処分を決めたんだ! それを、なんでおのがないと売れないんだ! 親父はボケてたんだよ! ぬ際にがおかしくなって、余計な嫌がらせを遺していったんだ!」
「おじいちゃんはボケてなかった」 私はわず反論した。 「松永先も言ってたでしょう。遺言を作った、能力は完全に晰だったって。公正証なんだから、公証だって確認してるはずよ」
「理屈をこねるな!」 父の声が、古い造の井を揺らした。 「京の言葉で偉そうに喋るな! おが昨あのでハンコを押していれば、今朝には付の百万円が振り込まれていたんだ! そうすれば、母さんの入院予約も確定できたし、遥の結納の支度だって面できたんだ! それを……『何になるか分からないからサインできない』だあ? トラックの駐になって何が悪い! 所に迷惑? 笑わせるな! この町で、誰が俺たちの活を助けてくれたって言うんだ!」
父の肩が、激しい呼吸とともにしていた。 その目には、理性のかけらもなかった。あるのは、の困窮と、借への恐怖と、妹の結婚を破談にさせまいとする迫観だけだ。
追い詰められたは、目のにある番っ取りいしか見えなくなる。
広告
たとえそのの先に、底なしの崖が広がっていようとも。
「……お姉ちゃん」
居の奥、階へ続く階段のから、遥が現れた。 昨着ていたカーディガンのままだった。顔は涙と皮脂で汚れ、腫れがった目で私を見つめている。
「お願いだから、もうやめて……」 遥の声は、擦り切れて掠れていた。 「さっき、修平さんからLINEが来たの。『お母さんが、佐伯の売却の話、本当にんでるのか疑ってる。今週末までに契約の写しを見せられないなら、式の予約は払えないって言われた』って……」
遥が私の元に膝をつき、私のジーンズの裾を掴んだ。 爪がい込むほど、く。
「お姉ちゃん、お願い……私、修平さんと別れたくない。あのにお嫁にけなかったら、私、この町でどうやってきていけばいいの? 『親の借のせいで結婚を断られた娘』って、ろ指差されて暮らすの? ねえ、サインしてよ……おじいちゃんのなんて、ただのじゃない! しかえてないゴミじゃない! なんでそんなもののために、私のをめちゃくちゃにするの!?」
「遥……」
「お姉ちゃんには関係ないもんね! 京に帰れば、誰も私のことなんてらないし、お父さんの借だって関係ないもんね! お姉ちゃんはいいよね、逃げる所があって!」
遥の叫び声が、たい台所に突き刺さる。 母は顔をで覆って泣き崩れ、父は忌々しそうに壁を蹴った。
私は、何も言い返せなかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第19話
棺の中の男を、夫は知らない
親を捨てて逃げた冷酷な男だと親族中から罵倒される義兄の葬儀で、義母は涙を流し、夫を支えの孝行息子だと称えていた。だが焼香台へ進む夫の前に立ちはだかった私は、「あなた、本当に棺の中にいるその人を知っているの」と告げた。夫が隠していたのは、過去五年間、毎月義兄へ送り続け、そのたびに全額突き返されていた六十回分の送金記録だった。血の気を引かせる夫と親戚の前で、私はその明細を祭壇の上に広げた。兄弟姉妹|親不孝|絶縁|親子関係|修羅場2.8万字5 0 -
完結第21話
妹のドレスを二十センチ切った
妹の結婚式を数時間後に控えた深夜二時、私はリビングで特注のウェディングドレスに裁ち鋏を入れた。事故で右足に傷が残る妹に対し、相手の家族は配慮という名目で足を隠す重いドレスを強要し、当日は動かず座り続けるよう言い含めていた。母の怒声が響き、私の頬に平手打ちが飛ぶ。泣き崩れる妹の足元には、前裾だけが二十センチ切り落とされた純白の布が散らばっていた。私は鋏を置き、「今日これを着て出なさい」とだけ告げた。裡切られた|兄弟姉妹|裡の顔|親子関係|修羅場3.1万字5 0 -
完結第21話
母を遠ざける姉の嘘
長野で一人暮らす母の介護を一手に担う姉から「母の体調が悪化するから来るな」と言われ、私は五年間帰省を控え、毎月五万円の仕送りを続けていた。だがある夜、母から五年ぶりに直接電話が入る。「まだ怒ってるの。あんたが私の顔も見たくないと言っていたと姉から聞いた」と母は怯えていた。直後に受話器を奪った姉は「母の被害妄想だ」と言い放つ。不審に思った私は姉に告げず始発の新幹線に乗り、五年ぶりに実家の引き戸を開けた。兄弟姉妹|裡の顔|親子関係|介護3.2万字5 0 -
完結第19話
完璧な夫に給料を突き返した朝
毎月二十五日、夫は手取り四十五万円の給料を一円も引かずに私の口座へ振り込み、親戚の前で完璧な夫として称賛されている。だがその裏で、私は息子の塾代を払うために結婚五周年の指輪を買取店へ持ち込んでいた。固定費と夫のカード代だけで毎月赤字が続き、私の独身時代の貯金も底をついた。翌朝、いつも通り振り込まれた四十五万円の通知を見つめた私は、その全額をそのまま夫の口座へ送金し、スマートフォンの画面を伏せた。嫁姑|夫婦|金銭問題|修羅場2.9万字5 20 -
完結第20話
教室の最後列に座る元教員
定年退職した元教員の私は、一度も教えたことのない男子生徒の保護者会に、身元を偽って六年間通い続けていた。教室の最後列から見つめる先には、油まみれの作業着を着た父親が座っている。受付簿の不審な記録に気づいた校長から昇降口で問い詰められた帰り道、桜が散る坂道でその父親が私の前に立ちふさがった。二十四年前の元教え子だったその男は、振り返りもせず、私の背中に向けて「あの席、あと何年座るつもりですか」と低く告げ怒り|真実|親子関係|修羅場3.1万字5 8 -
完結第20話
祖母は十二年年賀状を書いてない
八十歳を迎えた祖母のため、私はいとこたちと過去十二年分の年賀状を集めて記念のアルバムを作った。毎年元旦に届く「元気に暮らしています、トマトがたくさん実りました」という三行は、遠方で暮らす私たちが実家の無事を疑わずに済む確かな証拠だった。だが親戚一同が集まる祝宴の席でアルバムを開いた瞬間、祖母は整った文字を見つめ、十二年間一度も年賀状など書いていないと言い放った。親族の視線が一斉に、実家の近くで暮らす叔母へと向かう。孤獨|親子関係|介護|認知症3.0万字5 12 -
完結第21話
優しい教室で震える息子
息子が突然学校に行けなくなり、担任は「いじめなどなくクラス全員に愛されている」と胸を張った。不審に思った私が息子のランドセルを調べると、底板の裏から三十七枚の給食費受領書が出てくる。我が家は困窮などしていないのに、三ヶ月間、生徒全員が日替わりで息子の昼食代を立て替えていた。私が学校へ確かめに行こうとした瞬間、息子は「言わないで」と叫んで床に泣き崩れ、その紙片を必死に胸へ抱え込んだ。怒り|裡の顔|親子関係|金銭問題3.2万字5 7 -
完結第15話
五人の元彼と三万一千円
結婚式当日の朝、ホテルのフロントに差出人不明の現金書留が五通届いた。中身はすべて、三万一千四百八十円という奇妙な端数のご祝儀だった。面識のない私の歴代の元彼五人からだと気づき、私は血の気を引かせて金庫への保管を頼み込む。だが、不審に思った夫が私の手提げから抜き取ったのは、三週間前に私がその五人へ同額を送金した明細だった。親族紹介まであと十五分、夫は控え室の鍵を閉め、冷たい目で私を見下ろした。夫婦|裡の顔|金銭問題|修羅場2.2万字5 25 -
完結第23話
母の職場で死んでいた私
母の定年退職をサプライズで祝うため、私は東京から新幹線に乗り宴会場へ駆けつけた。お祝いの品を手にして扉を開けた瞬間、母の同僚は手にしたグラスを取り落とし、顔を青ざめて後ずさりした。毎年盆と正月には実家へ顔を出し、仕送りも続けていたはずの私は、母が二十八年勤めた職場では十五年前に事故で亡くなった娘として扱われていた。ステージを駆け下りてきた母は私の手首を強く掴み、そのまま非常階段へと力任せに引きずり出した。親不孝|親子関係|退職金|修羅場3.5万字5 40