みかん小説
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"棺の中の男を、夫は知らない" 第6話

画面には『母さん』の文字が点滅していた。

「……るな」 浩平が、自分に言い聞かせるように呟いた。 「たら……戻れなくなる」

私は何も言わず、助席から夫の張った背を撫でた。 は、鈍に曇った空の荻窪へとした。

吉祥寺の実から、でわずか数分。 見慣れた央線の架をくぐり、狭いへと入っていく。 級な宅がち並ぶ吉祥寺の駅とは打って変わり、のその画は、昭の面濃く残した古いが密集していた。

ナビが示した目は、細いの突き当たりにあった。

『栄荘』

ペンキの剥げ落ちたトタン板に、錆びた文字が浮かんでいる。 築は優に超えているであろう、モルタル塗りの階建てアパート。 階段の鉄骨は茶く腐し、共用廊には古びた洗濯が何台か放置されていた。

りた瞬、浩平のがピタリと止まった。

「……ここなのか」

彼の声は、怯えきっていた。 見覚えのある景だったのだ。 このアパートのは、浩平が代、自転で通学の抜けとして使っていただった。 実から歩いて、なら分。 自転なら分もかからない。

その所に、兄はもの、息を潜めて暮らしていた。

階段をるたびに、ギイ、ギイと軋む音が裏から骨へと伝わってくる。

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階の突き当たり、。 ドアノブのには、警察が貼った黄い規制線のテープが剥がされた跡が、々しく残っていた。

私はバッグから、警察から渡された真鍮の鍵を取りした。 鍵穴に差し込み、回す。 カチリと、属音が静かな廊に響いた。

ドアをゆっくりと押しける。

を突いたのは、臭ではなかった。 古い畳の乾いた匂いと、微かな鹸のり。そして、湿布のツンとした匂いだった。

は、異様なほどに静まり返っていた。

踏み込みの狭い玄関から続くのは、畳半のがひと部だけ。 呂はなく、さなステンレスの流し台と、の卓IHヒーターがあるだけだった。 部を見渡した瞬、私の喉の奥がぎゅっと締め付けられた。

物がないのだ。

あまりにも、何もない。

の隅に、く擦り切れた敷布団が組、綺麗に畳まれて置かれている。 部央には、板のさな座卓がつ。 そのに、使い古されたマグカップと、数本のボールペンがてられた缶。 壁際には、さな段のカラーボックスがあり、数冊の文庫本と、ラジオが置かれているだけだった。

テレビも、パソコンも、エアコンすらない。 井からぶらがった裸球の紐が、隙に揺れてかすかに揺れている。

「……嘘だろ」

浩平が、靴を脱ぐのも忘れて玄関のたたきにへたり込んだ。

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「何だよこれ……何なんだよ……! 兄貴は……の子会社で正社員として働いてたんだぞ!? 貯だってあったはずだし、くときだって……!」

歳の男が、ものを過ごした部とは到底えなかった。 それはまるで、自分のの痕跡を極限まで削ぎ落とし、いつ消えてもいいように準備された、独のような空だった。

その、階から音ががってきた。 トントンと、サンダルを引きずるような音がづき、け放たれたドアのった。

「……誰だい、勝に入り込んで」

現れたのは、腰の曲がった代半ばほどの老婆だった。 エプロンをつけ、髪をひっつめに束ねている。 その目はい警戒とに満ちていた。

「あんたたち、警察のかい? それとも業者? 困るんだよね、あんなに方をされちゃ。うちも商売なんだから、事故物件になっちまったら次の借りがつかないじゃないか。敷じゃりないよ、特殊清掃の費用も……」

まくしてる老婆の言葉に、浩平は顔を青くして縮こまった。 私はがり、老婆に向かってげた。

「突然押しかけて申し訳ありません。さんでいらっしゃいますか? 私は、佐伯達也の弟の妻です。……こちらが、実の弟の浩平です」

「弟……?」

老婆の目が、スッと細められた。 彼女の線が、玄関に座り込む浩平の顔に注がれる。

数秒の沈黙の、老婆の張っていた表が、目に見えて歪んだ。

「……あんたが、浩平さんかい」

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