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"母がナイフで砕いた自分の名前" 第10話

には、野菜の入った買い物カート。 息は乱れておらず、音すらさせずに背に現れた母は、幽霊のように青い顔で私を見ろしていた。

その瞳には、の激昂とは違う、絶対零度の気が宿っていた。

「お、お母さん……」

私はがろうとしたが、がもつれて畳にをついた。 指先に、削り取られたがまとわりつく。

母はカートを廊に置くと、ゆっくりと部へ入ってきた。 そして、私のから、あの青い着物の女の形を、乱暴に奪い取った。

「触らないで」

母の声はく、乾いていた。

「汚いで、触らないでちょうだい」

「汚いって……お母さん、これ、全部お母さんが作ったの? 父さんがんでから、ずっとで?」

「関係ないでしょう」

母は形を胸に抱きしめ、私から隠すように背を向けた。 その張った肩が、痛々しいほど細かく震えている。

鍵を盗んで勝に入り込んで……警察を呼ぶわよ。今すぐていって」

「警察呼んだっていいよ!」

私は叫んでいた。抑え込んでいたが、決壊したダムのように溢れした。

「どうして隠すの?! こんなに凄いものを作っておいて、どうして名を削るの?! 見てよこれ、が割れるまで削って……何なのこの『許してください』ってメモは! お母さんは誰に謝ってるの?! 父さんなの?! もう父さんはんだんだよ! 佐伯のだって、もうお母さんを縛るものなんて何もないじゃない!」

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母の背が、ピクリと直した。

「お母さん、昔、陸の展覧会で賞を取ったでしょ? 私、世田の納戸で見たよ! 『槙野子』ってかれた誌も読んだ! お母さんは自分の名で、自分のきていきたかったんでしょ?! 佐伯のにそれを踏みにじられて、ずっと悔しかったんでしょ?!」

私はがり、母の肩を掴もうとした。 だが、母は弾かれたように私を振り払った。

バシッ、と乾いた音が響く。 私のの甲に、母の爪が当たり、赤い線がった。

ったようなを利かないで!」

母が振り返った。 その顔は、涙でぐしゃぐしゃに歪んでいた。 の歳が刻んだ顔の皺が、苦痛と羞恥で引き攣れている。

誌を読んだ? 昔の賞状を見た? それで私の何が分かった気になってるの?! な被害者? を奪われたれなお母さん? 馬鹿にするのもいい加減にしなさい!」

「馬鹿になんてしてない! 私はただ、お母さんに誇りを取り戻してほしいだけ——」

「誇り?!」

母が甲い嘲笑を漏らした。 その乾いた笑い声が、狭い部に反響してを突き刺す。

「これが誇りに見えるの?! この汚い業の塊が、誇りに見えるっていうの?! あんたには、これが綺麗な形に見えるのね……おめでたい子。本当に、何もらないおめでたい子!」

母は胸に抱いていた青い着物の形を、く掲げた。

「やめて!」

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私が叫ぶよりもく、母はそれを畳のに叩きつけた。

ボキッ、と鈍い破壊音がした。 針の骨組みが歪み、幾にもねられた美しいの着物が裂け、繊細に作られていた女の首が、自然な角度に折れ曲がった。

「お母さん、何するの……!」

私がに落ちた形を拾おうとすると、母はその形を容赦なくで踏み躙った。 ミシリ、と乾いたが潰れる音が部に響く。

「いらないのよ、こんなもの!」

母は叫んでいた。 呼吸が乱れ、肩を激しくさせながら、狂ったように元の形を踏み砕く。

「捨てても捨てても、指が勝くの! あのんで、になったら、夜が勝を探すのよ! 呪いよ、これは……私が、必に殺してきた化け物が、あのんだ途端にしてきたのよ!」

母は両で顔を覆い、そのに崩れ落ちた。 指の隙から、濁った涙がボロボロとこぼれ落ちていく。

「名なんて……けるわけがないでしょう……」

母のから漏れたのは、血を吐くような呻き声だった。

「槙野子なんて……とっくにんだのよ。あの名すだけで、吐き気がする……胸が張り裂けそうになるのよ! あんな、あんな呪われた名……度と見たくもなかったのに!」

「呪われた名……? どうして……」

私の声は震えていた。 わけが分からなかった。 佐伯のに虐げられ、奪われたはずの旧姓が、なぜ「呪い」

なのか。 なぜ母自が、その名をこれほどまでに忌み嫌っているのか。

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