"母がナイフで砕いた自分の名前" 第18話
「違うの、お母さん! 私は……私は、自分の浅ましさに絶望してるの!」
母が、見かれた瞳で私を見つめた。
「私はね、お母さんの昔の作品を見つけたとき、興奮したの。『私のお母さんは、こんなに才能のあるだったんだ』『佐伯のに踏みにじられた、な被害者だったんだ』って……それを暴きてて、ケーキのの名を削って、自分が母親を救いすヒロインになりたかっただけなの!」
私は拳を握りしめ、たいを叩いた。
「私、お父さんたちと同じだった。お父さんは『おは佐伯の妻になれ』って、お母さんの名を奪った。そして私は『おは槙野子に戻れ』って、お母さんがかけて守ってきたものを、で踏み荒らした……! 誰も、お母さん自の声なんて聞いてなかった! 娘の私ですら、自分の理の『い女性』をお母さんに押し付けていただけだった!」
母の唇が、さく震えていた。 に持ったゴミ袋が、微かに揺れている。
「お母さんが、名を削っていた理由……杉本先から聞きました。にお父さんがくなって、になって、どうしても指がいてしまったんでしょう? に触りたくて、作りたくて、たまらなかったんでしょう? でも、作れば作るほど、に対する罪の識が襲ってきて……だから、名を削り落とすことで、自分を罰していたんでしょう?」
広告
母の目元が、赤く滲み始めた。 それでも、母は唇を真文字に結び、頑なに線を逸らそうとしていた。
「お母さん……もう、自分を罰しないで」
私はにをついたまま、母の元へ擦り寄った。
「佐伯子でもなくていい。槙野子に戻らなくてもいい。……どっちの名も、背負わなくていいの」
「……え?」
母が、初めて私を真っ直ぐに見つめ返した。その瞳に、微かな揺がる。
「名なんて、かなくたっていいのよ」
私は泣きながら、笑った。
「誰かの妻であることも、誰かの母であることも、偉な芸術であることも……全部、放りしていいの。ただ、が好きで、形が好きで、自分の指先がくままに作って……名のないまま、部に並べておいたっていいじゃない。誰に見せるためでもなく、誰に評価されるためでもなく、ただお母さんが、息をするために作るなら……名なんて、最初かららないんだよ」
「真由……」
「名をかない自由を……どうして自分に許してあげないの? どうして、何かをすることに、そこまでい罰を背負わせるの? お母さんはもう、分に苦しんだよ。も、分に佐伯のと、私たちにを差ししてくれたじゃない……!」
そのだった。
「——母さん」
階段の踊りから、く掠れた声が響いた。
振り返ると、そこに兄のがっていた。 息を切らし、には枚のを握りしめている。
広告
目のには私と同じように濃い隈が浮かび、肩を激しくさせていた。
「……?」
母の体が、目に見えて張った。 ゴミ袋を胸のに引き寄せ、まるで自らの罪を隠すように、ずさりしてドアの隙に体を滑り込ませようとする。
「待ってくれ、母さん!」
が階段を駆けがってきた。 音を響かせ、母のにち塞がる。
は、に持っていた——の振込受領証を、母の目のに差しした。
「これ、受け取れるわけないだろ」
の声は、りではなく、痛切な懇願に震えていた。
「世田のを売ったも、親父の遺産も……全部俺の座に放り込んで、自分は空っぽになって、で消える気だったのか? そんなで、俺が幸せになれるとうのかよ!」
「……あ、あれは、あなたのおよ」
母は顔を伏せ、消え入りそうな声で呟いた。
「私の……私のせいで、あなたの体に消えない傷をつけてしまった。私の浅ましいがままのせいで、あなたを殺しかけた……その詫びよ。私には、円だって受け取る権利はないの」
「いつまで言ってるんだよ!」
が叫んだ。 その声は、廊の壁を震わせ、朝の静寂を引き裂いた。
は、着ていたコートのを乱暴にけ、シャツのボタンを引きちぎるようにした。 そして、襟元を力任せに引きげた。
ののから首筋にかけて広がる、赤黒く引き攣れた、ケロイドの痕。
ののひらほどもある、々しい傷跡が、朝のいのに晒された。
広告
おすすめ作品
-
完結第20話
長女にだけ渡された鍵
父の四十九日。「お前が一番しっかりしている」と病床の父から金庫の鍵を託された長女の私は、弟と妹の前で鉄の扉を開けた。だが中にあった私の通帳は残高一万円で、二百八十万円あった預金は弟の名義で全額引き出されていた。問い詰める私に弟は「親父に頼まれた」と父の直筆の手紙を突きつけ、妹も父と交わした別の密約を叫び始める。そこへ男が現れ、父が実家を担保に借りた五百万円の借用書を突きつけてきた。裡切られた|兄弟姉妹|相続|金銭問題|修羅場3.0万字5 0 -
完結第19話
棺の中の男を、夫は知らない
親を捨てて逃げた冷酷な男だと親族中から罵倒される義兄の葬儀で、義母は涙を流し、夫を支えの孝行息子だと称えていた。だが焼香台へ進む夫の前に立ちはだかった私は、「あなた、本当に棺の中にいるその人を知っているの」と告げた。夫が隠していたのは、過去五年間、毎月義兄へ送り続け、そのたびに全額突き返されていた六十回分の送金記録だった。血の気を引かせる夫と親戚の前で、私はその明細を祭壇の上に広げた。兄弟姉妹|親不孝|絶縁|親子関係|修羅場2.8万字5 0 -
完結第21話
妹のドレスを二十センチ切った
妹の結婚式を数時間後に控えた深夜二時、私はリビングで特注のウェディングドレスに裁ち鋏を入れた。事故で右足に傷が残る妹に対し、相手の家族は配慮という名目で足を隠す重いドレスを強要し、当日は動かず座り続けるよう言い含めていた。母の怒声が響き、私の頬に平手打ちが飛ぶ。泣き崩れる妹の足元には、前裾だけが二十センチ切り落とされた純白の布が散らばっていた。私は鋏を置き、「今日これを着て出なさい」とだけ告げた。裡切られた|兄弟姉妹|裡の顔|親子関係|修羅場3.1万字5 0 -
完結第28話
離婚11日後、私に9億8000万円が当たった
「子供を抱えて一人で生きていけると思うのか」――13年間連れ添った夫・達也は、離婚の最後まで私を見下していた。娘の教育資金80万円を無断で投資に使いながら、「家族の金だ」と開き直った男。私は娘・日向を守るため、傷だらけの結婚生活に終止符を打った。だが離婚からわずか11日後、何気なく買った宝くじが約9億8000万円の高額当選を果たす。 人生を変える大金――それでも私は誰にも秘密を明かさなかった。ところが娘を連れて頼った実家では、母から「達也さんに謝りなさい」と門前払いされる。味方だと思っていた家族さえ、私の意思より世間体を選んだのだ。 もう二度と、誰かに人生を支配させない。金に頼って復讐するのではなく、自分の意思で生き直すと決めた私。だが、約10億円という秘密が知られた時、元夫と家族の本当の顔が暴かれ始める――。修羅場|熟年離婚4.1万字5 267 -
完結第24話
目覚めた部下にクビを問われた
地方旅館の火災で客を救い出し重傷を負った部下が目を覚ました。だが彼女の記憶は直近の二年分が抜け落ち、着任初日の私が冷酷に解雇を迫った日のまま止まっていた。会社は避難扉が開かなかった責任を彼女の記憶喪失に乗じて背負わせようと、退職金の支払いを口実に過失を認める書類への署名を病室で迫る。何も思い出せない部下は震える手でペンを握り、かつて自分を追い詰めたはずの私を怯えた目で見つめた。職場逆転|真実|裡の顔|修羅場3.7万字5 6