"昭和28年、妻が消える炭鉱町" 第1話
昭、福岡県筑豊。あいを埋めるように並んだ炭鉱宅では、朝のサイレンが鳴るよりからのく音がしていた。坑内へりる男たちの靴が砂利を踏み、の共同炊事では女たちが弁当箱へ麦飯を詰める。空気には煮炊きの煙と湿った炭の匂いが混じり、洗ったばかりのいシャツでさえ夕方にはく煤けた。
歳の本澄子は、炭鉱直営の購買所で働いていた。棚には米、噌、醤油、鹸、煙、子どもの飴玉まで並び、料になると現を持たないのために掛売りの帳面がくなる。炭の暮らしをりたければ、坑より購買所へ来ればいいと澄子はっていた。どのに病がいるのか、誰の子どもの靴がさくなったのか、夫婦喧嘩をした翌朝に誰がで噌を買いに来たのかまで、黙っていても見えてしまう。
妙なことが始まったのは、の料の翌朝だった。
第棟の田辺キヨが消えた。
の夕方、キヨは購買所で米と鹸を買い、「はれたら布団を干す」と笑っていた。それなのに翌朝、へくと布団も着物も茶碗も残ったまま、キヨだけがいなかった。夫の栄吉は子どもへ朝飯をべさせながら、「実へ帰った」と所へ説した。
には松永ミツ。
には川崎トメ。
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いずれも料の翌朝だった。
「またかね」
購買所の配客が呟いても、社宅の世話役をしている古賀は決まって同じ顔をした。
「女には女の事がある。実へ帰ったんじゃろ」
けれど澄子には、それがどうしても腑に落ちなかった。
本当に実へ帰るのなら、なぜ替えの肌着枚持っていかないのか。子どもを残し、財布も置いたまま、料の翌朝にだけ妻がいなくなるのは偶然なのか。もっと気なのは、残された夫たちが誰として妻を探そうとしないことだった。
駅へる者もいない。
親戚へ報を打つ者もいない。
ただ様に、「帰った」「そのうち戻る」と言い、いつからそうなることをっていたように働きへていく。
そして。
料の夕方、澄子の兄嫁である節子が購買所へ来た。
「澄ちゃん、お米と鹸つ。それから、あの子どもの靴、まだ取ってある?」
節子は歳で、澄子の兄・茂とのに歳の武と歳の子がいた。よく笑うで、どれほど計が苦しくても子どものでは眉に皺を寄せない。から武のの靴底が剥がれ始め、節子は料がたらしい靴を買うと言っていた。
「茶い方なら残してありますよ」
「よかった。、朝番で来るね」
節子はそう言って帰っていった。
その晩、澄子も兄ので夕飯をべた。
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鯵の干物をで分け、節子は武へ「からしい靴よ」と言った。茂は黙って噌汁をすすっていたが、普段から数のない男だから、澄子は気にも留めなかった。
翌朝。
節子は購買所へ来なかった。
昼になっても姿がなく、気になった澄子は休憩に第棟の兄宅へった。
玄関には武の破れた靴がある。
台所には昨夜洗った茶碗が伏せてある。
節子の財布は鏡台の引きし。
着物も寝巻きも、そのままだった。
「兄ちゃん、節子さんは?」
茂は作業着のボタンを留めながら答えた。
「実へ帰ったんだろ」
澄子はを疑った。
「何言いよると。節子さんの実、にお父さんがくなってから誰もんでないやない」
茂の指が止まった。
ほんの瞬だった。
けれど妹には分かった。
兄は驚かなかった。
困った顔もしなかった。
ただ、言ってはいけないことを言われたの顔をした。
「兄ちゃん」
「仕事に遅れる」
「節子さん、どこにおると?」
茂は澄子を見なかった。
そのまま玄関をていった。
残された武が、さな声で聞いた。
「母ちゃん、靴買いにったん?」
澄子は答えられなかった。
その瞬、から胸のにあった疑いが、初めて形を持った。
妻たちが勝に消えているのではない。
なくとも夫たちは、何かをっている。
そして、自分の兄もそのだった。
節子がいなくなって目、澄子は購買所の帳簿理を任された。
末がづくと、掛売り帳と炭鉱事務所から回ってくる与控除表を照する。