"昭和29年、夫を亡くした私から船が奪われた" 第5話
「だから鍵を預かった」
井はそう言った。
「正自が決めたことだ。徳蔵が勝に取ったわけじゃない」
志津はすぐ反論できなかった。自分のらない借があったことも、徳蔵が代をしていたことも事実だった。正が妻に話さないまま、兄へを任せる約束までしていた能性を、完全には否定できない。
だがのにあるを見た、志津の呼吸が止まった。
《につき族承済》その横に、《崎志津》とかれている。
さらにさな赤い印まで押してあった。
志津はを持ったまま井を見た。
「私は、こんなものに判を押していません」
「忘れたんじゃないか」
「忘れません」
「のことだぞ」
「だから覚えています」
志津が使う印は、正の丸印とは別だった。結婚に父が作ってくれたさな印で、央に《志津》と彫ってある。郵便局の貯をろすにも使うため、普段は台所の戸棚の缶に入れていた。
に押されているのは、違いなくその形に見えた。
「このをへ持って帰ります」
「原本はせん」
「なら写します」
井は渋ったが、志津は引かなかった。帳の机を借り、文字の位置から印の形までできる限り写した。き終えるまで、井は度も志津と目をわせなかった。
帰宅すると、志津は戸棚から自分の印を取りした。朱肉をつけ、いへ押す。
広告
丸い縁のがし欠けているところまで、承諾の印とよく似ていた。
信夫が横からのぞき込んだ。
「母ちゃんの判子?」
「そうみたい」
「押したの?」
志津は首を振った。
9、発が壊れた頃のことを必にいした。正が3ほどへられず、計が苦しかったことは覚えている。漁協から修理代を借りるため、正に頼まれて何枚かのへ名をいたこともあった。
ただし、それは台所でのことだった。
「ここに名をけ」と言われたは、修理代の借入申込だったはずだ。印も度だけ正へ渡した。志津は魚を干す作業に追われ、を最まで読まなかった。
もしその、別のにも印が使われていたのなら。
誰が使ったのか。
正なのか、井なのか、それとも徳蔵なのか。
翌、志津はもう度漁協へき、修理代の借入も見せてほしいと求めた。井はしばらく拒んだ末、枚の貸付台帳をした。
借入額は3万2000円。
保証――崎徳蔵。
志津はそこで初めて、徳蔵がただ兄としてを貸していただけではないことをった。正が返せなければ、徳蔵が漁協へ支払わなければならないまであったのだ。
ところが、その台帳の返済欄には奇妙な記載があった。
正がくなるまで、毎揚げから返済が引かれている。それなのに残は、志津の計算より1万数千円もかった。
広告
志津が指摘すると、井は「利息や諸掛かりもある」と答えた。
「では、その内訳を見せてください」
井は答えなかった。
志津が台帳を閉じようとした、のから枚のい控えが滑り落ちた。
《漁使用者変更届》
使用者の欄には、すでに《崎徳蔵》とかれていた。
そして提予定は――正がでくなった翌、つまり葬儀のになっていた。
志津はを握ったまま顔をげた。
夫のを待ってから作ったではない。
正がまだきていた点で、誰かがすでに「正のを徳蔵へ移す準備」をしていたのだ。
志津はその夜、ほとんど眠れなかった。正が自分からを徳蔵へ渡そうとしていたのなら、夫婦で築いたとっていた15そのものが違って見える。方で、正のらないところでが準備されていたのなら、もっと別の問題になる。
朝になると、志津は井や徳蔵を問い詰める代わりに町へ向かった。バスを乗り継ぎ、県の先にある産関係の窓を探した。役所へで入ることなどほとんどなかったためがすくんだが、窓で「夫がんだので漁の登録をどうすればいいか」とだけ聞いた。
担当の男は、志津が女だからと追い返しはしなかった。正のと相続関係を示す類が必になること、主がしたには定期内に相続側からたな登録続きをするがあること、漁の所と実際にどの漁業を営めるかは別に確認が必なことを説した。