みかん小説
本棚

"七通の退職届と八十件の着信" 第2話

母はにい病を患って先っており、私は娘だった。頑固でな父をにしておくわけにもいかず、結局私は信用庫を辞め、正式に森精の員となったのだった。

父は典型な昔気質の職で、余計な私語をにすることは滅になかった。

けれど、擦り切れた作業着のポケットに両を突っ込みながら、ある決まった言葉だけは、まるで祈りでも唱えるかのように何度でも繰り返した。

「うちは企業みたいに、余るほどのもなけりゃ、代わりがいくらでもいるようなもいない。だからこそ、をちゃんと育てなきゃ、会社なんて瞬で終わるんだ」

末がづき、私が事務所のデスクで眉に皺を寄せながら分い帳簿と卓を叩いていると、械油の匂いを漂わせた父が決まって背から覗き込んできた。

「朋子、数字ばっかり見るなよ。会社をかしてるのは数字じゃない。のなんだからな」

私は卓を叩くを止めず、顔もげずにそっけなく言い返したものだった。

「経営なんですから、数字を厳しく見るのは当たりでしょう。仕入れも件費も、全部数字でわなきゃ会社は潰れちゃうのよ」

すると父は、焼けした目尻の皺をめ、満そうにさく笑った。

「ま、そのうち分かるさ」

父はそれだけ呟くと、油で黒ずんだ背を丸め、甲い切削音が響くへと戻っていった。

広告

事務所の片隅にあるスチール棚には、父が若い頃から用している古い冊の学ノートが切そうにてかけられていた。表は械油が染み込んで茶く波打ち、背表の布テープは擦り切れていた。父は折、作業のを止めて事務所に入ってくると、そのノートを事そうにき、鉛で何かをき留めていた。何をいているのか尋ねても、父はただ「そのうちな」と悪戯っぽく笑うだけで、決してを見せてはくれなかった。

会社はがかしているという父の癖は、信用庫で何百社もの徹な決算や貸借対照表を精査してきた当の私には、代錯誤で甘っちょろい傷のようにしか聞こえなかったのだ。

には、父の次にく勤めている男がいた。

それが、の川正だった。

歳で森精に入社し、勤続。まさに父と脚で、このさな町をここまできく育ててきたという烈な自負を持っていた。

実際、職としての腕は確かだった。設計図面を目見ただけで、属の塊のどこから刃物を当て、どの角度で削りめれば歪みがないのかが瞬に分かる。汎用旋盤からフライス盤までを自に操り、若い本職たちは、川が削りした鏡のように滑らかな属面を指の腹で撫でては、「さすがだ」

広告

と嘆のため息を漏らしていた。

で番の古株である岩佐さんは歳で、齢だけなら川よりもだったが、常に歩引いた位置から川をて、その顔を窺っていた。

には、次元の複雑な形状を度の段取りで削りせる、最鋭の「軸加」が台導入されていた。作物を傾けたり回転させたりしながら、ミクロン単位の精度を叩きす価な械だ。そのうちのし古い「号」は、完全に川の専用となっていた。川は自分の持ちに縄張りを張り、の職には指本触れさせようとしなかった。

そして川は、私が入社した最初のから、私を決して名で呼ばず、皮肉を込めて「お嬢」と呼び続けた。

父がくなるのののことだった。

森精にとって最の取引先である精密器メーカー「産栄計測」から、品質保証課の野由さんがの程監査を兼ねて見学に訪れた。

軸加の号のを通りかかった際、野さんは械から取りされたばかりの、複雑なアルミ削りし部品に目を留めた。袋をはめた指先でそのエッジを慎に確かめると、傍らにっていた作業着姿の若い職にしたように声をかけた。

「この部品、非常に美しい仕がりですね。面の粗さも完璧です。

これを担当されたのはあなたですか?」

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: