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"昭和53年、満員の始発を止めた運転手――その後、坂道で起きた悲劇" 第20話

聞に載らない名

旬、方の記者が島交通を訪ねてきた。の交通変更からしばらくたち、町の混乱がどのように収まっていったのか取材しているという。記者は清徳の話を聞き、「始発を止めた勇気ある運転」として紹介したいと申した。清徳は困った。止めたことだけを取りげれば、同じが別の運転によっててしまった事実が見えなくなる。

「私がさなかったのは事実です。でも、子どもがけがをしました。そのに何をしたかも、緒にいてください」。記者は帳をいたまま顔をげた。「読者には分かりにくくなるかもしれません」。清徳は頷いた。「分かりやすい話にすると、違ったことが残ります」。英雄にも悪者にもだけの名をつけるのは簡単だ。しかし実際のでは、何ものさな判断がなっていた。

苗は記者へ、自分の話帳を見せるか迷った。個々の利用者の用事やまいが分かる記録を、無断でへ渡すわけにはいかない。そこで数字と所を理し直した資料だけを作り、問いわせのかった内容を説した。「事故の、何が変わりましたか」と聞かれ、苗はし考えて答えた。「困っていると言われたに、何に困っているのか最まで聞くようになりました」。

記者はにも話を聞いた。

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は号をした判断を自分の言葉で説し、会社として必な対応を続けていることを伝えた。「事故を起こすつもりでしたのではないでしょう」と記者に言われると、は首を横に振った。「もちろんです。だが、起こすつもりがなかったことと、起こさないために分なことをしたかは別です」。苗はその言葉を聞き、机ので握っていたをし緩めた。

記事がたのは数だった。清徳が像していたよりさく、派な見しもついていなかった。交通変更のバス会社の取り組みと、留所の全確認が続いていることがにかれていた。清徳の名は度だけたが、浩の名はていない。族の望まない形で子どものけがを語る必はなかった。

聞を読んだ節子は、夫へ言った。「あなた、名がさくて残?」。清徳は苦笑いした。「さくていい。うちの仕事は、何も起きなかったには記事にならん方がいい」。節子は聞を畳み、いつもの朝をした。島豆腐を入れた噌汁の湯気がち、窓のから蝉の声が聞こえた。きな歴史の変化も、では卓の隣に置かれた聞枚の来事になる。

そのの夕方、清徳のもとへ珍しい客が来た。号の事故以来、会うのを避けていた浩の父・勝だった。清徳がちがると、勝はを振って座らせた。

「息子が、バスの絵を描いているんです」。袋からされた絵には、体の側にきな扉が描かれていた。歩にはすりと、待っているの元まで描き込まれている。

「これをあんたに見せたいと言ってね」。勝はそう言ったが、顔にはまだ疲れが残っていた。族の暮らしは事故に戻っていない。通院に付き添うも、子どもの遊びを諦めさせる苦しさも続いている。それでも浩が再びバスを描いたことに、清徳は胸がくなった。

「良い絵ですね」と言うと、勝はしばらく黙った、「息子がまたして乗れるバスにしてください」と答えた。清徳は頷いた。励ましでも許しでもない。これからの仕事を求める、親からの言葉だった。

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