"夫の遺品から出た三十年目の嘘" 第8話
鏡に映る自分の姿を見た麻美は、涙を浮かべながらも、まるで幼子のように純粋で、眩しいほどの笑顔を見せた。 その笑顔を見た瞬、静子の胸の奥にあった最の痛みが、完全に消えっていった。
野寺のを辞した、はすっかり夕暮れに包まれていた。 空は茜から群青へと移り変わり、たい晩のがの葉をサワサワと揺らしている。 扉のまで見送りにっていた麻美は、首元のペリドットにを添えながら、静子の姿が見えなくなるまで何度も何度もをげていた。
駅へと続く緩やかな坂を、静子はゆっくりと歩いた。 来るのあの鉛のような取りとは違い、今の取りは驚くほど軽やかだった。 バッグのにあのい箱はもうない。けれど、静子の胸のは、の結婚活のでじたことがないほどの、満ちりた温かさで満たされていた。
野寺のの製扉が、カチャリと静かな音をてて閉まった。 その微かな属音を背に聞きながら、静子は暮れなずむ坂の途でを止めた。 振り返ると、まだ玄関先の灯の淡いオレンジののに、麻美が佇んでいた。両で胸元のペリドットを包み込むように押さえ、何度も、何度も々とをげている。その首元で、灯と夕暮れの残を浴びた緑の宝が、まるで呼吸をしているかのようにさく、誇らしげに瞬いていた。
広告
静子は胸元にを添え、さく礼を返した。 もう丈夫だ、という確信が胸の内に満ちていた。あの娘は、父親を失った歳のから今までの、決してきりで凍えていたわけではなかったのだ。夫が灯し続けたさくとも消えることのない誕の灯が、彼女の魂を温め、守り、歳という成熟したの今まで導いてきたのだ。
角を曲がり、麻美の姿が見えなくなったところで、静子はく、く息を吐きした。 吐きした息が、晩のたい空気に触れてうっすらとく染まり、夜の気配を帯びたのに溶けていく。 坂をる静子の取りは、数、あのベルベットの箱をバッグの底に忍ばせてこのをってきたとは、まるで違っていた。 あのは、まるで鉛の塊を両に括り付けられたかのようにく、歩を踏みすたびに臓が軋み、喉の奥が乾ききっていた。夫の裏切りを暴いてしまうかもしれないという恐怖、の夫婦活が音をてて崩壊していくことへの絶望、そして何よりも、自分以の見らぬ女にあの無骨な夫が甘やかな贈り物を捧げていたのだという嫉妬と屈辱が、のようにを濁らせていたのだ。
だが今、バッグのは空っぽだった。 のひらに残る、あのベルベットの毛並みの触だけを連れにして歩くは、驚くほど軽やかだった。
広告
空気が澄み渡り、肺の隅々までき渡る涼な酸素が、照っていたをよくましてくれる。 坂の両側にち並ぶ々からは、夕餉の支度をする包丁のトントンという気よい音や、換気扇から漂いる甘辛い煮物の匂い、テレビのニュース番組のくぐもった音声が漏れ聞こえていた。どこにでもある、ありふれた族の営み。その常の温もりが、今はたまらなくおしく、尊いものにじられた。
緒にいて、夫のことは何でもっているとい込んでいた。 無で、がなくて、頑固で、し退屈な男。 若い頃の健は、決して女性をばせるような気の利いた台を吐ける男ではなかった。見いで会った最初のからそうだった。ホテルのラウンジで向かいったも、健は仕てのい紺のスーツを着て背筋を板のように伸ばし、されたコーヒーのカップをじっと見つめたまま、ほとんどをかなかった。 「趣は……特にありません。休は、本を読むくらいです」 「仕事は……役所の課です。な仕事ですが、やの維持管理をしています」 それだけだった。静子が何か問いかければ「はい」「ええ」とく答えるだけで、冗談のつも言わない。帰り際に駅の改札まで送ってくれたも、ただ「元に気をつけて」
広告
おすすめ作品
-
完結第26話
特上寿司と、消えた妻の半年
3月31日22時、激務を終えて帰宅した私の席にあったのは、冷え切った白米一杯だけだった。目の前で1万8900円の特上寿司を頬張る夫と義母は、「反省したらおかずをあげる」と大笑いする。家計の大半を私が支えているにもかかわらず、9ヶ月間も「罰」として食事を奪われ、夫は横で嘲笑っていた。だが二人は知らない。私が半年かけて集めた出前明細の履歴と、義母が隠し持っていた一枚の申告書の存在を。「じゃあ、外で食べてきます」――二度と振り返らずにドアを閉めた夜、経理の私が仕掛けた冷徹な清算が幕を開ける。嫁姑|夫婦4.0万字5 601 -
完結第34話
妻の葬儀の夜、義母が外した指輪と娘の写真
妻・美保の葬儀が終わった夜、修二の結婚指輪を外したのは、亡き妻の母・麗子だった。「もう美保に隠す必要はないでしょう」と唇を寄せたその瞬間、娘・咲から1枚の写真が届く。そこには半年前の病院で抱き合う修二と麗子、そしてガラス越しに2人を見つめる病衣姿の美保が写っていた。 闘病中の妻を支える献身的な夫を演じながら、修二はいつしか自分の弱さを理解してくれる義母へ逃げ込み、越えてはならない境界を越えていた。しかも麗子は「美保も知っていた」「私がいなくなったら修二さんを1人にしないでと頼まれた」と主張し、その証拠となる録音まであるという。 だが翌朝、咲が告げたのは「お母さんの声を最後まで聞いて」という一言。 亡き妻が本当に残した言葉を前に、2人が都合よく信じてきた“許し”が崩れ始める――。夫婦|修羅場5.1万字5 634 -
完結第18話
余命半年と嘘をつき、愛人と隠し子を選んだ夫
「俺はあと半年しか生きられない」――夫・健一から突然、肺がんによる余命宣告を告げられた恵子。しかしその夜、1人で人生を考えたいと言って出かけた夫は、隣町のスナックで若い女性・みほと会っていた。 幼馴染・香織が録音した会話から、健一が既婚者であることを隠してみほと関係を持ち、存在しない「軽井沢の豪邸」で一緒に暮らそうとしていることまで判明する。さらに健一は、妊娠中のみほとの子を「隠し子」と認め、「遺産は愛人と子供に渡すから、お前は我慢しろ」と恵子へ言い放つ。 だが恵子は夫の病気そのものを疑い始める。やがて健一が“証拠”として見せた診断書に、決定的な綻びが見つかる――。怒り|不倫2.7万字5 3289 -
完結第22話
夜勤の救急外来に運ばれた夫と義姉
深夜2時、救急外来で夜勤中の看護師・佐藤み咲のもとへ、交通事故で重傷を負った男女2人が搬送されてきた。シーツの下にいたのは、夫・拓也と義姉・麗子。しかも2人は、決して「姉弟愛」では説明できない姿で倒れていた。 み咲は5年間、看護師という仕事を見下す夫と、「子供も産めない」と侮辱する麗子、その2人を庇い続ける義母・里子に耐えてきた。 それでも彼女は感情を捨て、看護師として2人の命を救うことを選ぶ。 だが、惨状を目にした義母まで「全部あなたのせい」とみ咲を罵倒した瞬間、最後の迷いは消えた。 何年も残してきた暴言の記録と証拠を武器に、奪われ続けた人生を取り戻す反撃が静かに始まる――。夫婦|修羅場|不倫3.3万字5 3988 -
完結第14話
月二十五万を貪る偽装役員一家の転落
外資系コンサルティングファームで働く小笠原萌子は、お見合いで大手企業勤務のエリート・東野広夢と結婚した。しかし新婚早々、夫の経歴が全て嘘で、定職すら就いていない無職だと発覚する。さらに広夢は「大企業の役員に抜擢された」と両親に大嘘を吹き込み、見栄を張る義父母は都心のタワマン家賃二十五万円や、百万円の旅行代を萌子の給料から平然と搾取し始めた。夫の度重なる深夜帰宅に不審を抱いた萌子が財布を探ると、そこには見知らぬ甘い香りと、黒地に金箔押しされた高級シティホテルの会員カードが。探偵の分厚い報告書によって夫のキャバクラ通いと裏切りが露呈したとき、萌子は離婚を決意する。だが、金の蛇口を止められた元夫と義家族の強欲は暴走し、SNSでの悪質なデマ拡散、そして新居への土足侵入へとエスカレートしていく。すべてを奪おうとする寄生虫たちに、萌子が下す冷徹な鉄槌とは――。嫁姑|夫婦2.4万字5 696 -
完結第11話
「子どもを産めない」と捨てられた妻の逆転
結婚前は優しく誠実だった夫・誠。 しかし結婚後、彼の本性は少しずつ姿を現していった。 子どもを望めない妻を「役立たず」と罵り、家では暴言を浴びせながら、自分は若い女性との時間を楽しむ。 かな子は「自分が悪いのだ」と耐え続け、愛した人との生活を守ろうとしていた。 だが、ある夜、夫の裏切りを示す決定的な証拠を見つける。 そして離婚を決意したかな子のもとに、長年知らされていなかった父からの連絡が届く。 そこで明かされたのは、彼女自身も知らなかった巨大な財産と、人生をやり直すための力だった。 すべてを失ったと思っていた妻が、実は何も持たない弱者ではなかったと知った時――。 誠の傲慢な要求と、隠されていた真実が次々と崩れ始める。 愛だと信じた結婚の終わりから、かな子の本当の人生が始まる。夫婦|第二の人生|不倫1.6万字5 565 -
完結第32話
不妊を理由に別れた元妻が、機内で双子を抱いていた
5年前、妻・小百合に「ほぼ不妊」という診断が下された瞬間、俺は後継ぎを求める父の言葉に従い、彼女へ離婚届を突きつけた。あの選択は正しかった――そう信じて生きてきた俺の前に、ファーストクラスで小百合と、自分に瓜二つの幼い双子が現れる。 真相を追ううち、俺は恐ろしい事実に辿り着く。不妊診断そのものが偽りであり、小百合は両親まで脅され、何も言えないまま俺の前から消えていた。そして、その全てを裏で仕組んだのは、俺が誰より尊敬してきた父だった。 さらに、本当に問題を抱えていたのは小百合ではなく俺自身で、双子は離婚直前に宿った俺の子供だと判明する。 妻を捨て、子供たちの5年間まで奪ってしまった俺は、もう父の作った「正しい人生」に従うつもりはない。失った家族と向き合い、父が守り続けてきた巨大な権力と秘密に、自分の手で決着をつけると決めた――。夫婦|熟年離婚4.9万字5 8512 -
完結第10話
妹が断った牡蠣漁師は、港の社長だった
「貧乏な漁師なんて絶対に嫌」――妹・美咲が鼻で笑って断った縁談を、35歳の私・香織が代わりに受けることになった。幼い頃から何でも妹を優先され、「我慢できる姉」として生きてきた私にとって、それは初めて自分で選んだ人生だった。 相手の総一郎は、古い家と軽トラックで暮らす不器用な牡蠣漁師。ところが島では誰もが彼に頭を下げ、格式高い老舗料亭まで最上級の敬意を払う。やがて大嵐で加工場が壊れ、会社が存続の危機に陥る中、私は書店員時代に培った「名前と物語を届ける力」で直売所を立ち上げる。そんな矢先、総一郎の本当の立場を知った母と美咲が現れ、「その縁談は本来、美咲のものだった」と言い出す。そして料亭に掛けられた、値段も生産者名もない古い「牡蠣」の木札が、夫にも知らされていなかった過去へとつながっていく――。夫婦|修羅場1.4万字5 837