みかん小説
本棚

"妊婦を狙う老人と十一月の凶刃" 第2話

突きつけられた物体を凝し、それがただの遮音具であることを理解した瞬、老の皮膚が赤黒く染まりがった。だが、謝罪の言葉など毛てくるはずもなかった。引っ込みのつかなくなった怪物は、さらに醜悪な表を作って唾を吐き捨てた。

「……ま、紛らわしいんだよ!! にそんなもん突っ込んでるからだろうが!!」

老は鳴り散らしながら、乱暴にを翻した。

逃げたのだ。自分の非を認める性も羞恥も持ちわせていない特の、喚き散らしながらの退却。涼は荒い呼吸をえようとく息を吐きしたが、血液のに注入された毒のようなりは、そう簡単に散してはくれなかった。栓を握りしめた拳が、微かに震えていた。

老はドスドスとを踏み鳴らし、両の方へと歩いていった。そして、優先席の付でを止めた。

涼は無識のうちに、その背を目で追っていた。栓をしたままのに、輪が線の継ぎ目を踏み越えるガタゴトという質な音が容赦なくび込んでくる。

優先席の端には、代半に見える若い女性が、くフードを被って座っていた。膝のに抱えたトートバッグには、ピンクのさなマタニティマークのチャームが揺れている。女性は顔が悪く、貧血を起こしているのか、浅い呼吸を繰り返しながら目を閉じていた。

広告

老はその女性の真んに仁王ちになると、吊り革を乱暴に引っ張り、わざとらしくきく舌打ちをした。

「おい」

女性は反応しない。体調の悪さに耐えるのに必なのだろう。老はさらに苛ちを募らせたように、履き潰したスニーカーの先で、女性の元を軽く蹴ばした。

「おい、聞いてんのか! 妊婦だからって偉そうに座ってんじゃねえよ! 妊婦はて! 朝からだらしなく座り腐って、楽すると奇形が産まれるぞ!!」

内の空気が、完全に凍結した。

突き刺すような静寂ので、その言葉の異常な残酷さだけが霊した。奇形が産まれるぞ。それは常の苛ちやマナー違反への文句などという次元を遥かに逸脱した、純粋で濃縮された呪詛だった。

座っていた女性は、撃に打たれたように目を見き、顔面から完全に血の気を失わせた。震えるでお腹を庇うように抱きしめ、声もせずにさく鳴を漏らし、ただ震えることしかできない。

その瞬、涼のので、理性を繋ぎ止めていた最の細い属線が、甲い音をてて千切れんだ。

気づいたには、がいていた。

ロングシートのの通を股で歩き、逃げのない狭い空を数秒で踏み越えた。老がさらにをき、怯える女性に向けて次の罵声を浴びせようとしたその刹、涼は老のすぐ背、元に自らの顔を割り込ませるようにして滑り込ませた。

広告

「おみたいな子供が産まれるってこと?」

氷点の声が、老の朶を打った。

老がぎょっとして首を巡らせる。その先数センチの距で、涼は切のを剥ぎ取った酷な瞳で老を見ろしていた。

「……な、なんだ、貴様!」

「おみたいな子供が産まれるからつなってこと? そりゃあやばいな。苦しんで、腹痛めて産んだが子が、ので見ずらずの妊婦を鳴りつけるような、こんなゴミに育つなんてさ。母親からしたら辛すぎるだろ。き獄だな」

「な、なんだと……!? 気狂いか、おは! あっちへけ! 寄るな!」

老は甲い鳴のような声を張りげ、両を振り回した。涼の威圧と、逃げのない正論の暴力に完全に圧殺されていた。周囲の乗客のえ切った線が、今や老だけに集している。

耐えきれなくなった老は、逃げを求める獣のようにキョロキョロと線を彷徨わせると、連結部分の自ドアのボタンを滅茶苦茶に連打した。扉がにくや否や、躓きそうになりながら隣の両へと転がり込んでいく。

逃がす気はなかった。

涼の胸の奥で、どす黒い炎が猛烈な勢いで燃え盛っていた。平の夜、理尽なクレーマーの鳴り声を何も受話器越しに聞かされ、をげ続けた々の記憶。自分をすり減らし、誰も助けてくれず、ただ理尽な悪のに沈黙することだけをいられてきた過のすべてが、目のの醜い老という「形を持った悪」

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: