みかん小説
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"妊婦を狙う老人と十一月の凶刃" 第9話

それが、あのれな怪物の迎えた唯の結末だった。

の最初の曜。

涼は再び、あの朝のに乗っていた。

今はトラブル対応の休勤ではなかった。放置していた休暇をまとめて消化することになり、母の回忌の法のために、実のある方の町へ向かうための乗だった。

内は、あのと同じように閑散としていた。

涼は座席の央にく腰掛け、コートのポケットから、あの黒いシリコン製の栓を取りした。

指先でその柔らかな弾力を弄びながら、窓を眺める。

窓のでは、の朝の鋭いが、のビル群を黄に染めげながら昇り始めていた。

涼は栓を元へづけ――そして、静かにポケットへと戻した。

の穴を塞ぐのを、やめた。

輪が線を叩く質なリズム。 くの座席で微かに囁きう老夫婦の声。 内アナウンスの無質なチャイム。 駅のホームから微かに届く、聞をめくる音。

世界のあらゆるノイズが、濁流のように鼓膜へと流れ込んできた。

の奥に張り付いていた真空の膜が弾けんだかのような、唐突で暴圧な覚だった。指先で摘まみされた黒いシリコン製の栓は、体温を吸ってわずかに温かく、涼の掌ので所なげに転がっている。

輪がレールと擦れい、微細なを散らす属の軋み。

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吊り革同士が接触して鳴る乾いた質素の音。誰かのスマートフォンが微かに震えるバイブレーションの周波。ビニール袋が擦れう微細な摩擦音。湿ったウールのコートが吸い込んだの埃の匂いとともに、おびただしい数のの息遣いが、容赦なくひとつの空に充満していた。

うるさくて、煩わしくて、混沌としていて、どこに悪が潜んでいるかも分からない、条理なの音だった。

誰かが舌打ちをする。別の誰かが溜息をつく。聞を乱暴に畳む音、咳払いに込められたかすかな苛ち、座席を詰める気配のない隣の肘の圧迫。それらはすべて、かつての成瀬涼にとって、自らの精神を鋭利に削り取る凶器そのものだった。界を遮断しなければきられなかった。栓をねじ込み、分いコンクリートの壁の向こうに潜むようにして、の気配をいの底の来事として処理しなければ、胸の奥に燻るどす黒い種がいつ自分自を焼き尽くしてしまうか分からなかったのだ。

だが、今、々しく朶を打つその協音は、議なほど涼の神経を逆撫でしなかった。

それは同に、誰もが痛みを抱えながら、それでも歯をいしばってきているという、紛れもない命の証でもあったからだ。

誰もが聖君子ではない。

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誰もが満たされてなどいない。寒空の、報われない労働へ向かう者もいれば、庭という名の牢獄から束のの逃を図る者もいる。誰もがそれぞれの濘にを取られ、膝を擦りむき、それでもきるためにというたい鉄の箱に詰め込まれて運ばれている。苛ちも、疲労も、にはに向けられる理尽な棘ですら、彼らがこのの世界で窒息しないよう、必に酸素を吸い込もうともがいている証拠にならなかった。

「……誰だっていい、か」

涼は元に、自嘲ではない、ごく微かな笑みを浮かべた。

あの、あのので老に言い放った言葉。

『気を付けろよ、こっちはおと違って誰だっていいんだからな』

あの瞬の記憶が、網膜の裏側で鮮烈なを帯びて蘇る。

朝の凍りつくような内。徹夜のクレーム対応で擦り切れていた涼の神経を、唐突に踏みにじった見ずらずの老の罵声。「音楽がうるさい」という完全な言いがかりから始まったその暴力は、栓を突きつけられて言い訳を失うや否や、優先席に座るの女性へと標を変えた。

『妊婦はて! 楽すると奇形が産まれるぞ!』

あの言葉を聞いた刹、涼ので何かが音をてて崩壊した。 あれは単なる老の狂気ではなかった。かつて、者を踏み躙り、妻を責めさいなみ、息子を絶望の淵へと追い詰めて自殺させたあの怪物が、自らの罪のさに耐えかねて界へと撒き散らした、最も純度のい呪詛だった。

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