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"妊婦を狙う老人と十一月の凶刃" 第10話

涼は老を追った。連結部の扉を蹴破るような勢いで隣の両へと追い詰め、元に自らの言葉を流し込んだのだ。

『おみたいな子供が産まれるってこと? そりゃやばい。苦しんで産んだのがこんなゴミなんて辛すぎる』 『あなたのお母さんどんな気持ちでしょうね。こんなけない姿見たらんでもにきれないんじゃないですか』

老は怯え、錯乱し、次の駅のホームへと転がり落ちるように逃げった。 あの、閉まりゆく扉の隙から吐き捨てた「誰だっていい」という台。

当の涼は、それを自らの内に潜む無差別な暴力の衝だとっていた。

もうどうなってもいいという自暴自棄。に対する底なしの投げやりさ。母親が自ら命を絶って以来、涼の胸のでずっと澱のように沈んでいたのは、世界に対するえ切った憎悪だった。誰も助けてくれない。理尽を耐え忍ぶ者はに、声のきい卑怯者がき残る。そんな腐りきった社会ならば、自分もまたその部として、きずりの誰かを連れに破滅しても構わない――あの朝の言葉は、そうした暗いニヒリズムの刃として放たれたはずだった。

だが、今、の朝のを浴びながら振り返ると、涼はそこに、かつてとはまったく異なる景を見していた。

自分は、誰にでもなれるのだ。

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は、最初から「何者か」として固定されているわけではない。 理尽な悪に押し潰されてんでいく犠牲者にもなれれば、誰かを呪い殺す怪物にもなれる。

かつての涼の母は、者だった。方の閉鎖なで、父の横暴と親族からの酷な線に耐え続け、度も声をげることなく、台所のたいので静かに息を引き取った。母は「耐えること」こそが唯の誠実さだと信じ込んでいた。だが、その沈黙は悪を肥化させ、最終に彼女自をこの世から消しる結果しかまなかった。涼はずっと、母のそのさを呪い、同にそんな母を救えなかった自分自を許せずにいた。

方で、あのので会った沼田という老は、者の典型だった。自らが犯した罪から目を背け、者を嬲り、理尽なりをにぶつけることでしか自尊を保てない、醜悪な怪物。

犠牲者になるか、怪物になるか。 かつての涼の界には、そのつの選択肢しかしなかった。踏み躙られる側につのが嫌なら、自らがを研ぎ、者を肉塊に変える側のになるしかないと、どこかで諦めていたのだ。

しかし、現実は違っていた。

あの朝、都産婦科ので、果物ナイフを握りしめて結に襲いかかろうとした老の腕をねじ伏せた。

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警察署の寒々しい相談で、結が涙を流しながら「この子を命がけでして育てていきます」とを向いた。

涼ののにあったたい氷が、微かに溶けしていた。

自分は、犠牲者になる必も、怪物になる必もない。 理尽に怯える見ずらずの誰かのために、を被ってを剥く、名もなき盾にだってなれるのだ。

それは正義のヒーローのような潔なものでは決してない。 称賛を求めるわけでも、謝を期待するわけでもない。ただ、理尽な暴力が理尽なまま通り過ぎようとするその刹に、無関係な第者としてすっとに割って入り、徹な現実を突きつけるだけの。

『こっちは誰だっていい』

その言葉の真は、今や涼ので完全に反転していた。

私利私欲のためではなく、守るべきプライドやにしがみつくためでもなく、「何者でもない自分」だからこそ、何の恐れもなく理尽のにち塞がることができる。族でもない、恋でもない、ただ同じ代、同じの空気を吸い、同じの片隅に乗りわせただけの「誰か」。その名もなき誰かが、たった言、理尽に抗う言葉をにするだけで、絶望の淵にたされたが再び息を吹き返すことがあるのだ。

掌のの栓を、涼はコートのポケットの奥くへと滑り込ませた。

もう、度とそれを取りすことはないだろう。

に、の音が段と甲く共鳴し始めた。 ガタゴトという規則な振が速度を増し、輪が線の曲線をなぞるたび、体が軋みながらきく傾く。

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