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"母の葬儀を拒んだ叔父と、消えた教育資金350万円" 第6話

職員の方は必類の束を揃え、申請のき方まで丁寧に指導してくれました。国や学が用している支援の仕組みをり、私は目ののが再びかれたようないがしました。

入学続きを無事に済ませたそので、私は駅の求貼りを見て回り、つのアルバイトに応募しました。

平の夕方から夜にかけてはファミリーレストランの厨で働き、週末の朝は駅ビルの清掃に入りました。

活は極限まで切り詰めました。昼は学の講義を最列で聞いて必にノートを取り、夕方から夜まではち仕事でを棒にしました。

眠は毎ほどしか取れませんでしたが、音を吐く気にはなりませんでした。

あの、たい座敷で最まで自分たちだけでやれと吐き捨てた正尾叔父の顔が、疲れた私の背を何度も押し続けました。

見返してやるという浅ましい復讐ではありません。母と私が選んだき方が決して違っていなかったことを、私自のを全うすることで証したかったのです。

夜のアルバイトを終え、誰もいないアパートへの帰り、の空がみ始めていました。

たい夜のをで歩きながら、私はをしっかりと見据えていました。誰にも頼らず、誰の施しも受けず、私は私の力でこのをき抜いていくのだと確信していました。

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がむしゃらに駆け抜けた学のは、私にとっての確固たる台となりました。

昼は法学部の講義で民法や商法を徹底に学び、夕方から夜まではアルバイトの現で汗を流しました。

授業料の免除制度と付型奨学の支えを受けながら、私は度も単位を落とすことなく首席にい成績で卒業のを迎えました。

卒業、私は業務システムを発・提供する堅のIT企業へ就職しました。配属されたのは、物流センターや製造現へのシステム導入を担当する現支援の部署でした。

スーツのに作業着のジャンパーを羽織り、全靴を履いて、はからは州まで全国各の倉庫やをび回りました。

母がかつて町で帳簿をつけながら私を育ててくれた記憶が、現で働くたちの苦労に寄り添う原力になっていました。

「この画面の文字をもっときくして欲しい」「伝票の打ち込み回数をつでも減らしたい」という作業員の方々の切実な声に、私は臭くを傾け続けました。

件定義から運用の定着まで切妥協しない私の姿勢は社内からい評価をいただき、入社目にはプロジェクトマネージャーとして数規模の案件を率いるまでになっていました。

しかし現の課題をくるにつれ、既の規模システムではが届かない企業の非効率さを何とかしたいといういが募っていきました。

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歳を迎えた。私は発畑のエースだった同期のエンジニアと、営業統括をしていた先輩のと共に独を決しました。

「藤崎さんが旗を振るならどこまでもついていくよ」

そう言って背を押してくれたの仲と共に、私たちはさな雑居ビルので事業をちげました。

最初のは像を絶する苦闘の連続でした。名度も実績もない無名企業だったため、企業からの払いは常茶飯事でした。

自らスーツを着てび込み営業に回り、夜は机を並べて顧客からの問いわせ対応や具の修正作業に追われました。

創業期目のには、の取引先からの入が突然遅延し、社員たちの料を支払うための資がショート寸に追い込まれる危にも見われました。

当の私には頼れる親戚も、資を融通してくれる実もありません。

歳の、畳ので膝をついたに痛したあの徹な現実が、私の音を許しませんでした。頼るべきものは血縁の甘えではなく、目のの仕事に対する誠実さだけでした。

私は寝るを惜しんで事業計画をき直し、取引先へ誠誠のをげて回り、公な創業支援を取り付けて危を乗り越えました。

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