"自由を返した春" 第4話
田さんの声がふとをよぎった。
毎緒にいられて、いいですね。
紀子は器を卓に置いた。
そして何も言わなかった。
夜、押し入れのに戻ると、段ボール箱はまだそこにあった。
紀子は箱にを置いた。
これは持っていく。
そう決めた。
過全部を捨てる必はない。
けれど、もう過のできる必もない。
紀子は箱を自分の荷物の方へ静かに移した。
その作で、何かつが確かに終わった気がした。
がけるに、続きはしずつんでいった。
婚届に署名した、紀子はったより落ち着いていた。
ペンを持つは震えなかった。
名をき終え、印鑑を押す。
朱肉の赤がのにくっきりと残った。
その赤い印を見た瞬、ようやく胸の奥にさな痛みがった。
本当に終わるのだ。
夫はを封筒に入れた。
「わかった」
それだけを言い、鞄へしまった。
のに特別な言葉はなかった。
ありがとうも、すまなかったも、なかった。
それがの終わり方だった。
がけ、紀子はしい部を決めた。
図館から歩いて分。
古いけれど清潔なワンLDK。
向きの窓から午だけが入る。
台所は狭かったが、で使うには分だった。
内見の、産の若い担当者がし申し訳なさそうに言った。
「し狭かもしれませんね」
紀子は窓辺にち、差し込むを見ながら首を振った。
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「いいえ。分です」
本当にそうった。
今までのは広かった。
けれど、その広さので紀子はいつも誰かのためにいていた。
このさな部なら、自分のためだけにけばいい。
そう考えると、議とが軽くなった。
引っ越しは半ばに決まった。
荷物はなかった。
自分の、数冊の本、アルバム、調理具、弓のさい頃の絵、そして美優が使う子ども用のエプロン。
それだけを選んで段ボールに詰めると、箱にもならなかった。
暮らしたから持っていくものが、こんなにない。
そのことにし驚き、しだけ笑った。
引っ越しの夜、紀子は最の夕を作った。
鮭の塩焼き。
ほうれんのおひたし。
豆腐の噌汁。
蔵庫に残っていたものを使っただけだった。
夫は黙ってべた。
紀子も黙ってべた。
しばらくして、夫がぽつりと言った。
「うまいな」
紀子は箸を止めなかった。
「こういうの、じゃなかなかえないからな」
しを置いて、夫は続けた。
「これが最か」
紀子は顔をげなかった。
「そうね」
ただ、それだけを答えた。
翌朝、紀子はいつも通り半に起きた。
コーヒーを淹れる。
カップはつだけした。
台所につと、体が勝に分の準備をしようとしたが、紀子はを止めた。
もう分は必ない。
そう自分に言い聞かせるように、カップをつだけテーブルへ置いた。
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引っ越し業者が来る、弓から話があった。
「お母さん、今だね」
「うん」
「美優がね、しいおばあちゃんに遊びにきたいって」
「来ていいよ。狭いけど」
「広さなんて関係ないよ」
その言葉に、紀子はし笑った。
話を切り、窓のを見た。
の空はよくれていた。
玄関には段ボールが積まれている。
このに来た、弓はまだ歳だった。
庭の犀も、あの頃はまださかった。
紀子は最に玄関からのを見た。
い廊。
卓。
台所。
ソファ。
何度も拭いた。
何度もったキッチン。
それらは確かに紀子のの部だった。
けれど、もうここに残る必はなかった。
紀子は振り返らず、扉をけた。
たい空気が肺の奥まで入ってくる。
い息が、ゆっくり空に溶けた。
その朝、紀子は暮らしたをた。
しい部での暮らしが始まって、しばらく経った。
最初の朝も、紀子は半に目を覚ました。
体はまだ同じに起きる。
見慣れない井をしばらく見つめ、ここが自分の部だといす。
初めの数は、その覚にしがかかった。
けれど今はもう、目覚めてすぐに分かる。
ここは紀子の部だ。
誰かの妻としてではなく、誰かの世話係としてでもなく、紀子自のための所だった。
起きがり、台所につ。
コーヒーメーカーのスイッチを入れ、カップをす。
つだけ。
窓をけると、たい空気が入ってきた。
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