"皿洗いと呼ばれた名料理人" 第3話
作ってくださった方にお礼を言いたい」
その記憶が、ゆっくりとよみがえった。
「あのの閣が、今度の事会にいらっしゃるのですね」
冴子の胸に、静かな決が芽えた。
翌朝、支配はまた厨へやって来た。
「はどうなった?」
いつも以にだった。
ボナールが苛った表で答えようとした、そのだった。
支配が作業台のに置かれたさな皿を見つけた。
「これは何だ?」
そこには、冴子が朝く試作していた茶碗蒸しと、さなおにぎりが置かれていた。昼用に作ったものを、片付けるに残していたのだ。
支配は皿をに取り、目を輝かせた。
「これを作ったのは誰だ? 派なじゃないか」
厨がざわついた。
「僕じゃない」
「私でもないわ」
冴子はし迷ったあと、静かにをげた。
「私が作りました」
支配は驚きながらも、すぐに堵の表を浮かべた。
「そうなのか。よかった。を作れる材がいるじゃないか」
しかし、周囲の反応は違った。
「冗談でしょう。彼女は皿洗いですよ」
「プロのシェフじゃないんだから」
ボナールもで笑った。
「支配、冴子が作るくらいなら、レシピを読んで私が作ります。その方がまだましです」
だが支配は皿を置かなかった。
「べてみてもいいか?」
冴子はうなずいた。
「試作の余りですが、構いません」
支配はおにぎりを1つに運んだ。
広告
その瞬、目を見いた。
「なんだ、これは。こんなに美しいは初めてだ」
厨の空気が変わった。
「どうやってをつけているんだ?」
「米にの汁を混ぜ込んでいます」
「なるほど。とても繊細なだ」
支配はい調で言った。
「ボナール、正式に試作してもらおう。彼女の料理を見て判断する」
ボナールは唇を噛んだ。
「分かりました」
翌朝、冴子はのスタッフより1く厨に現れた。
用した材は、鮮な魚、つやのある米、季節の野菜、質な昆布と鰹節だった。
「本当に丈夫なの?」
マリーが配そうに声をかけた。
昨までの彼女にはなかった表だった。冴子を見す気持ちより、好奇とが勝っていた。
冴子は静かに微笑んだ。
「ありがとうございます。丈夫です」
やがてスタッフが集まり、全員が冴子の元に注目した。
「始めてくれ」
ボナールの声で、調理が始まった。
冴子はまず昆布をに取り、表面を丁寧に拭いた。きな鍋にと緒に入れ、にかける。湯気がちがると、厨に静かなりが広がった。
「汁を取っているのか」
ボナールがつぶやいた。
昆布を取りし、次に鰹節を加える。い削り節が湯のでふわりとい、やがて沈んでいった。
「いい匂い……」
マリーがわず声を漏らした。
冴子は汁をこし、次に米を研いだ。
広告
1粒ずつ切に扱うようにを替え、のひらでそっと洗う。
そのに、包丁で魚をろしていく。
刃が静かに入り、骨に沿って美しくがれた。
「なんて技術だ」
ボナールのから、無識に嘆の声が漏れた。
冴子の調理は静かだった。
く見せようとするきも、速さを誇るきもなかった。だが、1つ1つの所作には無駄がなかった。
汁を使って魚を煮る。はく、鍋のの音は静かだった。醤油、みりん、砂糖、酒。調料は最限だったが、魚と汁がわさることで、いりがちがった。
同に、冴子は茶碗蒸しの準備をめた。
卵を丁寧に溶き、汁とわせる。泡てすぎないように箸をかし、布でこして器に注いだ。
「すごい……全部つながっているのね」
マリーはわずつぶやいた。
汁1つから複数の料理がまれる。すべての料理が別々に作られているようで、実は根の部分でつながっている。
若いシェフたちは、初めての奥さを目の当たりにしていた。
やがて料理が完成した。
魚の煮付け。
茶碗蒸し。
季節の野菜の鉢。
そして、いご飯で作ったさなおにぎり。
飾りは控えめだったが、皿全体には静かな美しさがあった。
「どうぞ」
冴子は静かに皿を差しした。
最初にをつけたのはボナールだった。
彼はスプーンで茶碗蒸しをすくい、に運んだ。
その瞬、表が変わった。
優しく、それでいていが広がった。卵のなめらかさと汁の旨がなり、これまで彼がっていた料理とは違うをんでいた。
広告
おすすめ作品
-
完結第15話
不当解雇された高卒技術者の特許逆転劇
精密機械メーカーの技術者・中村誠は、高卒叩き上げであることを理由に、名門大卒のエリート上司・北川部長から「掃除とオイル交換しかできない無能な雑用係」と見下されていた。ある日、大口顧客向けの製品に二百個超の大量不良が発生。北川は自らの設定ミスを隠蔽し、誠を犯人に仕立て上げて責任を押し付ける。深夜に真相を暴くアクセスログのUSBメモリーを確保した誠だったが、直後に車に撥ねられ全治三ヶ月の重傷を負ってしまう。病室から連絡を入れると、北川は「好都合だ、クビにしておく」と嘲笑し電話を切った。だが誠が病室のベッドから特許庁へ出願した一枚の技術書類と、彼が去って完全沈黙した工場の製造ラインが、欺瞞に満ちた組織に前代未聞の崩壊をもたらす――。職場逆転|人生逆転2.5万字5 430 -
完結第14話
高卒エースを掃除係に落とした無能社長
大手玩具メーカーの営業エース・篠田零司は、高卒叩き上げながら十二年間にわたりトップの成績を維持してきた。だが、恩師である先代の矢吹会長が病で倒れ、新社長に就任した倉島哲也から全社報告会で突如「先月の達成率は三十パーセント、部内最下位のお荷物だ」と虚偽の数字で公開処刑される。強烈な学歴コンプレックスと嫉妬を燃やす倉島は、篠田を社長室の雑用係へと追いやったばかりか、彼が一年かけて心血を注いだ総額百億円の大型独占契約を故意に破談へ追い込む暴挙に出る。しかし、篠田の手元には「確定売上高一億四千二百万円」を証明する売上管理ファイルの原本が存在していた。理不尽の極みの中で静かに退職届を差し出した篠田。だが、現場の異変を察知した車椅子の矢吹会長が立ち上がり、握りつぶされた証拠が暴かれたとき、欺瞞に満ちた社長室に前代未聞の鉄槌が下される――。職場逆転|人生逆転2.9万字5 204 -
完結第23話
締め出された新社長
父から印刷会社を継ぎ、代表取締役として誰よりも早く出社した初日の朝、私のカードキーだけが赤く点滅して通用口が開かなかった。清掃員や入社三カ月の新人、配送トラックが次々と通過していく中、古参の会計は「先代の指示で権限を削除した」と告げる。社内では判断を下せる者がおらず、営業と現場の怒号が響き合い、輪転機が完全に停止した。私は閉ざされたガラス扉の脇にパイプ椅子を置き、冷たい缶コーヒーを握りしめた。職場逆転|人生逆転|怒り|親子関係|修羅場3.5万字5 216 -
完結第14話
年商一兆円の父にワインをかけた婚約者
創業家の御曹司との顔合わせ当日。ボロ車で駆けつけた私の父を見た義母は、「貧乏人の娘が」と父の頭から赤ワインを浴びせかけた。婚約者も冷笑し、父を詐欺師呼ばわりしてロビーで土下座を迫る始末。 だが、父は一言も取り乱さず、静かにワインを拭った。 「この縁談はなかったことに」 指輪を投げ返し、父の向かった先は日本中が恐れる巨大財閥の最上階。傲慢な親子が信じていた“金と権力のルール”で、静かな断罪劇が幕を開ける。因果応報|人生逆転|金銭問題|修羅場2.1万字5 129 -
完結第13話
二十七年目の嘘
58歳で急死した夫の遺品を整理していた美智子は、引き出しの奥から27年前の「採用内定通知書」を見つける。当時不合格だと思い込んでいた東京の出版社からのものだった。封筒の裏には夫の筆跡で「辞退連絡済」。夫はなぜ私の人生を勝手に奪ったのか。さらに、夫の出世作となった伝説の住宅企画が、かつて自分が書いた企画ノートそのものだったことを知る。奪われた名前と人生を取り戻すため、妻が下した決断とは。人生逆転|夫婦|真実|第二の人生|親子関係2.0万字5 57