"半月傷の弟" 第2話
蒼太はいつものようにをホテルにつけ、部座席のドアをけた。
乗ってきたのは、40代半ばほどの男性だった。
落ち着いた物腰で、無駄のない装をしていた。価そうだが派ではない腕計、きちんと磨かれた靴。神経質そうではないが、周囲を見る目には経営者らしい鋭さがあった。
蒼太は特別な印象を抱かなかった。
「き先は神戸方面でよろしいですか」
「はい。ポートアイランドのくまでお願いします」
男性はく答えた。
がきし、朝の梅田を抜けていく。
信号待ちでバックミラーを見た、蒼太は男性と目がった。
その瞬、相の表がわずかに変わった。
驚き。
戸惑い。
そして、信じられないものを見たような緊張。
蒼太はすぐに線を戻した。
内には沈黙が落ちた。
速へ向かうに入り、エンジン音だけが規則に響く。
やがて、部座席の男性が静かな声で尋ねた。
「運転さん、お名を伺ってもいいですか」
蒼太は瞬だけを置いた。
「蒼太です」
「……蒼太さん」
男性は確かめるように繰り返した。
「本当に、その名なのですか」
その問い方は、ただの世話ではなかった。
蒼太はハンドルを握るに、わずかに力を込めた。
「戸籍はそうなっています。ただ、し事がありまして」
蒼太は、いつもに説してきた経歴を簡潔に話した。
広告
18歳のに滋賀県で事故に遭い、記憶を失ったこと。
元が分からず、族も現れなかったこと。
政続きで戸籍が作られたこと。
という姓は、便宜に与えられたものであること。
話している、男性は度もを挟まなかった。
ただ、蒼太の横顔をじっと見つめていた。
目がづいた頃、男性はようやく自分の名を名乗った。
「森田敬吾といいます。神戸で物流会社を経営しています」
蒼太はバックミラー越しにさく頷いた。
すると敬吾は、し声を落として続けた。
「23に、弟を失いました」
内の空気が変わった。
「18歳でをて、そのまま戻らなかった。名は森田優。失踪当の齢、期、そして滋賀方面での目撃報……今のお話と、なる部分がいんです」
蒼太は息を詰めた。
森田優。
その名は初めて聞いたはずなのに、の奥に妙にく残った。
目に着いても、蒼太はすぐに料メーターを止めることができなかった。
森田敬吾は部座席に座ったまま、窓のに線を向けていた。神戸のは朝のに包まれていたが、内だけがのから切りされたように静かだった。
「偶然にしては、致することがいとっています」
敬吾はそう言った。
に流されないよう、言葉を選んでいるのが分かった。
「もちろん、似ているという理由だけで結論をすつもりはありません。
広告
私はこれまで何度も期待して、何度も違っていた経験があります」
蒼太は黙って聞いていた。
タクシーの運転席に座り、ルームミラー越しに見える男の顔を確認する。
確かに、自分と似ている。
目元の形。
筋。
顎の線。
齢差のある兄弟だと言われれば、そう見えなくもなかった。
しかし、それだけでをひっくり返すことはできない。
「資料があります」
敬吾は静かに言った。
「失踪届の控え、兵庫県警の捜査報告、私探偵の調査記録、速沿いの聞き込み図。両親は、弟の失踪から半、調査の帰りに事故でくなりました。それでも私は、捜索を完全にはやめませんでした」
蒼太は言葉を失った。
失踪。
両親の事故。
23の捜索。
それは、蒼太が軽々しく触れていい話ではなかった。
敬吾は続けた。
「弟には、肩甲骨のくに半型の傷がありました。学の、自転で転んだの傷です」
蒼太の胸の内側で、何かが沈んだ。
彼にも同じ所に傷がある。
肩甲骨のあたり。
鏡で確認しなければ見えにくい位置に、半型の古い傷跡が残っていた。
事故、医師からは幼期の怪だろうと説された。まれつきではないかもしれないとも言われたが、記憶がない以、確かめる術はなかった。
蒼太は、無識に肩へ識を向けた。
「……あります」
声がし掠れた。
「私にも、その所に傷があります」
敬吾の表がわずかにいた。
それでも彼は断定しなかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第21話
日本一情の深い父の裏の顔
妹がサービスエリアで姿を消して5年。全国を巡り「日本一情の深い父親」と称賛される父から、私は古いワゴン車を譲り受けた。だが車内の清掃中、妹の指定席だったシートベルトが事故の衝撃で「4センチ」伸びきっているのを発見する。さらに奥底から見つかったのは、刃物で切断された妹の防犯ブザーだった。父に問いただすと、かつてない冷酷な声で「今すぐ車を処分しろ」と脅され――。私は父の狂気と真実を暴くため、ある決断を下す。ミステリー|裡の顔|真相|行方不明3.1万字5 75 -
完結第11話
九時三十四分の地下鉄、消えた暴行犯
午前九時三十四分、地下鉄の車内で若い男が突如狂乱し、中年客の顔面を骨が軋むほど殴打した。床一面に飛び散る鮮血。だが、隣に座る同じ社章をつけた上司は、ただ口をあわあわと震わせ「腰を抜かして」座り込むだけだった。乗客たちと男を取り押さえ、駅員にすべてを通報した俺。しかし翌日、警察の発表も新聞の三面記事も、この凄惨な事件を「最初から存在しなかった」かのように完全に黙殺していた。なぜあの凄惨な暴力は一行も報道されず、駅の防犯カメラ映像すら消去されたのか。数年後、俺はある大手企業の役員名簿の中に、あの朝、冷たいホームの柱にすがってガタガタと震えていた「あの上司」の顔写真を見つけ、息を呑んだ――。ミステリー|真実1.6万字5 101 -
完結第19話
三十二人目の卒業写真
教職を退いた夜、三十年前に送り出した最初の教え子たちが開いてくれた送別会で、私は三十一人分の感謝の手紙を受け取った。だが自宅で数え直すと、名簿にない三十二通目の白い封筒が混ざっていた。便箋には「全員が卒業しました。私一人を残して」とだけ記されていた。翌日、私が困惑して生徒たちに当時の記憶を尋ねると、誰もが存在を否定し、深夜の受話器の向こうから「あの子のこと、墓場まで隠し通すつもりですか」昭和|ミステリー|因果応報|真相2.8万字5 176 -
完結第25話
一度も抱かれなかった娘
出産翌日に姿を消した妻の代わりに、私は男手一つで娘を育ててきた。「母親は抱っこも拒んで逃げた」と言い聞かせ続けて五年。カルテの保管期限が切れ、産院に呼び出された私の前に置かれたのは、妻が失踪直前に提出した母子同室申請書と一枚のガーゼだった。申請書の最下段には私の拒否印が押されており、持ち帰った鞄からこぼれ落ちた布を拾い上げた五歳の娘は、ピンクの刺繍を指でなぞりながら私を見上げた。夫婦|真相|行方不明|親子関係3.8万字5 142 -
完結第21話
十年前に死んでいた夫
病に倒れた夫を十三年間看取り、質素な火葬を終えた私は、医療記録の精算のため大久保総合病院の窓口へ向かった。だが職員から告げられたのは、データベースに夫の名はなく、提示した診察券は十年前に死亡した二十代の別人の番号だという宣告だった。半乱心で戻ったアパートを捜索するも、夫名義の保険証も免許証も通帳すら一枚も見当たらない。十三年間私の隣で息をしていた男の痕跡が、この世のどこにも存在しない現実に立ち尽くした。ミステリー|夫婦|介護|修羅場3.1万字5 2982 -
完結第12話
左足だけの靴箱
隣室の吉岡さんが部屋で亡くなった。付き合いのなかった老人の遺品整理に立ち会った彩香は、業者から「故人の遺言」として段ボール箱を手渡される。中に入っていたのは、彩香が過去5年間に自宅の玄関から消えたはずの「左足の靴」12足。そして、それと対になる新品の右足の靴。靴底をめくると、そこには夫が「深夜残業」と偽っていた日付のタクシー領収書が隠されていた。妻が知ることになる、5年前の事故と夫の病的な贖罪の真相とは。ミステリー|夫婦1.8万字5 47 -
完結第19話
全員が揃えた同じ嘘
小学五年の秋、担任の女性教諭が突然退職し、学校は精神の病気だと説明した。だがその日の放課後、私を含めたクラス二十三人の児童は、それぞれの家庭で「先生は午後三時に帰りました」と全く同じ嘘を親に答えた。口裏を合わせた覚えはない。半年後、唯一何も言わずに転校していった無口な少女が、私の机の引き出しに一枚のメモを残した。そこには『先生は三時のとき、まだ地下室にいました』と記されていた。ミステリー|裡の顔|真相|行方不明2.8万字5 95 -
完結第11話
亡き義母の口座を洗う女
3年前に7年間の壮絶な介護の末に他界し、この手で骨壺に納めたはずの義母。だが解約し忘れていた古い通帳を繰り越すと、死後も毎月「生前給与」が振り込まれ、毎週水曜の深夜に即座に引き出されていた。深夜のコンビニで張り込んだ私が見たのは、義母の服を着て義母と全く同じ体の癖を持つ見知らぬ女。死者は生きているのか。真実を追う私は、隣で眠る夫が隠していた、狂気と冷酷に満ちた「生前名義ビジネス」の底なし沼へと引きずり込まれていく。ミステリー|嫁姑|夫婦1.6万字5 51