"楽譜鞄の13年" 第8話
「覚えています」
「どのように起きたことでしたか」
「事故でした。私がうっかりピアノの蓋に触って、蓋が閉まって、さやかの指が挟まったんです」
「本当に事故でしたか」
美は目をそらした。
「どういうですか」
「あなたが図にやったのではないですか」
美は激しく首を振った。
「違います。事故です」
は、を置いてから別の質問をした。
「松本さやかさんの遺骨が発見されました。因は蓋骨骨折です。をくぶつけてくなった能性がい」
美は何も言えなかった。
「1991514の夕方、正確に何があったんですか。今度は、すべて話してください」
い沈黙の、美はゆっくりをいた。
「私が……嘘をついていました」
「どんな嘘ですか」
「あの、私はさやかを押しただけじゃないんです」
取調の空気が張り詰めた。
美は震える声で続けた。
「あの、私は建物の裏でさやかを待っていました。練習を終えててくるをっていましたから」
「なぜ待っていたんですか」
「コンクールを辞退してほしかったんです」
美は泣きながら、抱えていた嫉妬を語り始めた。
自分も同じ学でピアノを学んでいた。
だが、妹は才で、自分は平凡だった。
親も教授も、周囲の学も、いつもさやかを見ていた。美はどれほど練習しても、妹のから抜けせなかった。
広告
「特に1988のから、もう耐えられなかったんです」
「1988のこととは」
美は両で顔を覆った。
「私が、わざとやったんです。ピアノの蓋で、さやかの指を打ったこと」
は黙って聞いていた。
美は語った。
チャイコフスキーコンクールでさやかが2位になった、族も教授も彼女を称賛した。美は同じようにピアノを学んでいたが、学内コンクールでも入賞できなかった。
ある、でさやかが練習していた。
美は横に座り、その完璧な指のきを見ていた。嫉妬がこみげた。
さやかが瞬、楽譜に線を落とした、美はピアノの蓋を閉めた。
さやかの指のに。
さやかは鳴をげた。
美は驚いたふりをして蓋を持ちげ、駆けつけた両親ので泣きながら謝った。
事故だったと。
「さやかさんは、あなたがわざとやったとっていましたか」
美は頷いた。
「っていたといます。さやかは私を見ました。あの目を忘れられません。裏切りとりが混じった目でした」
「ご両親には」
「言いませんでした。さやかは何も言わなかったんです。ただ、私をざけるようになりました」
そして1991514。
美は、建物裏でさやかを待った。
「コンクールにないでって言いました。あなたのせいで族が壊れている。親があなたにばかり集しているって、鳴りました」
広告
さやかはたく言った。
「お姉ちゃんは、嫉妬しからないだ。才能のないには分からないとう」
その言葉で、美はを忘れた。
「私は、さやかにびかかりました。を掴んで、指をねじったんです」
のが止まった。
「指を怪させようとしたのですか」
美は頷いた。
「はい。あの完璧な指を、もう使えなくしたかった。そうすれば、コンクールにられないから」
さやかは鳴をげ、美を押しのけようとした。
美も、さらにく押した。
その瞬、さやかはろによろめいた。
背には排溝のコンクリート構造物があった。さやかはそれを避けようとしてを滑らせ、転びながら部をコンクリートの角にぶつけた。
鈍い音がした。
美はその音を、今でも忘れられないと言った。
さやかはそのに倒れた。
から血が流れていた。
美は瞬、何が起きたのか理解できなかった。しゃがみ込み、妹の肩を揺さぶった。
「さやか、起きて」
返事はなかった。
目は閉じられ、息をしているのかどうかも分からなかった。
「救急は呼びましたか」
が尋ねると、美は首を横に振った。
「それが、番悔していることです。怖すぎて、何もできませんでした」
周囲を見回すと、幸い誰もいなかった。
が暮れかけていた。
美は逃げた。
妹をそのに置いたまま。
取調で、は信じられないという表を浮かべた。
「妹さんを見捨てて逃げたんですか」
美は俯いた。
「はい。私は臆病でした。自分が罪を犯したになるのが怖かったんです」
広告
おすすめ作品
-
完結第21話
日本一情の深い父の裏の顔
妹がサービスエリアで姿を消して5年。全国を巡り「日本一情の深い父親」と称賛される父から、私は古いワゴン車を譲り受けた。だが車内の清掃中、妹の指定席だったシートベルトが事故の衝撃で「4センチ」伸びきっているのを発見する。さらに奥底から見つかったのは、刃物で切断された妹の防犯ブザーだった。父に問いただすと、かつてない冷酷な声で「今すぐ車を処分しろ」と脅され――。私は父の狂気と真実を暴くため、ある決断を下す。ミステリー|裡の顔|真相|行方不明3.1万字5 75 -
完結第11話
九時三十四分の地下鉄、消えた暴行犯
午前九時三十四分、地下鉄の車内で若い男が突如狂乱し、中年客の顔面を骨が軋むほど殴打した。床一面に飛び散る鮮血。だが、隣に座る同じ社章をつけた上司は、ただ口をあわあわと震わせ「腰を抜かして」座り込むだけだった。乗客たちと男を取り押さえ、駅員にすべてを通報した俺。しかし翌日、警察の発表も新聞の三面記事も、この凄惨な事件を「最初から存在しなかった」かのように完全に黙殺していた。なぜあの凄惨な暴力は一行も報道されず、駅の防犯カメラ映像すら消去されたのか。数年後、俺はある大手企業の役員名簿の中に、あの朝、冷たいホームの柱にすがってガタガタと震えていた「あの上司」の顔写真を見つけ、息を呑んだ――。ミステリー|真実1.6万字5 101 -
完結第19話
三十二人目の卒業写真
教職を退いた夜、三十年前に送り出した最初の教え子たちが開いてくれた送別会で、私は三十一人分の感謝の手紙を受け取った。だが自宅で数え直すと、名簿にない三十二通目の白い封筒が混ざっていた。便箋には「全員が卒業しました。私一人を残して」とだけ記されていた。翌日、私が困惑して生徒たちに当時の記憶を尋ねると、誰もが存在を否定し、深夜の受話器の向こうから「あの子のこと、墓場まで隠し通すつもりですか」昭和|ミステリー|因果応報|真相2.8万字5 176 -
完結第25話
一度も抱かれなかった娘
出産翌日に姿を消した妻の代わりに、私は男手一つで娘を育ててきた。「母親は抱っこも拒んで逃げた」と言い聞かせ続けて五年。カルテの保管期限が切れ、産院に呼び出された私の前に置かれたのは、妻が失踪直前に提出した母子同室申請書と一枚のガーゼだった。申請書の最下段には私の拒否印が押されており、持ち帰った鞄からこぼれ落ちた布を拾い上げた五歳の娘は、ピンクの刺繍を指でなぞりながら私を見上げた。夫婦|真相|行方不明|親子関係3.8万字5 142 -
完結第21話
十年前に死んでいた夫
病に倒れた夫を十三年間看取り、質素な火葬を終えた私は、医療記録の精算のため大久保総合病院の窓口へ向かった。だが職員から告げられたのは、データベースに夫の名はなく、提示した診察券は十年前に死亡した二十代の別人の番号だという宣告だった。半乱心で戻ったアパートを捜索するも、夫名義の保険証も免許証も通帳すら一枚も見当たらない。十三年間私の隣で息をしていた男の痕跡が、この世のどこにも存在しない現実に立ち尽くした。ミステリー|夫婦|介護|修羅場3.1万字5 2982 -
完結第12話
左足だけの靴箱
隣室の吉岡さんが部屋で亡くなった。付き合いのなかった老人の遺品整理に立ち会った彩香は、業者から「故人の遺言」として段ボール箱を手渡される。中に入っていたのは、彩香が過去5年間に自宅の玄関から消えたはずの「左足の靴」12足。そして、それと対になる新品の右足の靴。靴底をめくると、そこには夫が「深夜残業」と偽っていた日付のタクシー領収書が隠されていた。妻が知ることになる、5年前の事故と夫の病的な贖罪の真相とは。ミステリー|夫婦1.8万字5 47 -
完結第19話
全員が揃えた同じ嘘
小学五年の秋、担任の女性教諭が突然退職し、学校は精神の病気だと説明した。だがその日の放課後、私を含めたクラス二十三人の児童は、それぞれの家庭で「先生は午後三時に帰りました」と全く同じ嘘を親に答えた。口裏を合わせた覚えはない。半年後、唯一何も言わずに転校していった無口な少女が、私の机の引き出しに一枚のメモを残した。そこには『先生は三時のとき、まだ地下室にいました』と記されていた。ミステリー|裡の顔|真相|行方不明2.8万字5 95 -
完結第11話
亡き義母の口座を洗う女
3年前に7年間の壮絶な介護の末に他界し、この手で骨壺に納めたはずの義母。だが解約し忘れていた古い通帳を繰り越すと、死後も毎月「生前給与」が振り込まれ、毎週水曜の深夜に即座に引き出されていた。深夜のコンビニで張り込んだ私が見たのは、義母の服を着て義母と全く同じ体の癖を持つ見知らぬ女。死者は生きているのか。真実を追う私は、隣で眠る夫が隠していた、狂気と冷酷に満ちた「生前名義ビジネス」の底なし沼へと引きずり込まれていく。ミステリー|嫁姑|夫婦1.6万字5 51