"消えた弟と制服の父" 第1話
1991318、群馬県のにある静かなで、2歳の島拓也が自宅の庭から姿を消した。
そのは、砂利の突き当たりに建つ平だった。さなけ垣に囲まれた庭があり、し傾いたブランコがに揺れていた。かつて林業で栄えたは、今ではその名残だけを残し、と畑と細いので静かに息をしていた。
父親の島介は34歳。群馬県警に勤める警察官で、町では真面目でだしなみがよく、信頼できる男としてられていた。妻の涼子は台所で片付けをしており、4歳の女・織と2歳の拓也は、のとをき来しながら遊んでいた。
そのの午、介は昼にいランニングへるつもりだった。
彼は玄関先で靴ひもを結びながら、庭にいる拓也を見た。拓也は濡れた芝のにしゃがみ込み、おもちゃのトラックを慎にかしていた。さな靴が朝を含んだ面に柔らかい跡を残している。
涼子が台所から顔をし、織もすぐにると声をかけた。
介はく返事をした。
「しってくる。数kmだけだ」
涼子は流し台のから顔をげず、いつものことのようにうなずいた。
介は腰のホルスターに公用のニューナンブM60を入れていた。この域では、非番にいであっても、警察官が武器を携帯していることがあった。
広告
それは特別な用というより、彼らの常に染みついた習慣のようなものだった。
彼はの鍵を確認し、拓也に声をかけた。
「織を待っていろよ」
拓也は顔をげ、幼いを器用に振った。
「バイバイ、パパ」
その声を背に聞きながら、介は砂利をりした。
島から続くは、けた畑を抜け、やがて松の並ぶへとつながっていた。介は定のペースでりながら、呼吸をえた。空気には湿ったと松の匂いが混ざっていた。
1kmほどんだところで、彼は溝のくにくを見た。
の野良猫だった。
所の敷で何度も見かけ、数週から彼のゴミ箱を荒らしていた猫だった。介はそのことで保健所に話したこともあったが、のまで野良猫を回収しに来る者はいなかった。
ここでは、くの問題を自分たちで処理するしかなかった。
介は速度を落とした。
彼はホルスターからニューナンブM60を抜き、溝の方へ向けた。
銃声が、静かな朝を鋭く切り裂いた。
くの林から数羽のカラスがびった。介はしばらくきを止め、周囲を見た。何もかないのを確認すると、拳銃をホルスターに戻した。
それは彼にとって、すぐ忘れてしまうほどさな来事のはずだった。
彼は再びりした。
しかし、ランニングは予定よりくなった。
広告
はい所へり、そこから森の濃い方へ向かってがっていった。介は自分が3kmほどんだとじた点で引き返した。
のくの私に戻った、腕計は1215分を示していた。
涼子が縁側にっていた。
彼女はを遮るようにをかざし、庭を見回していた。顔には焦りが浮かんでいる。
「介、あの子と緒じゃないの?」
介は急にを止めた。
「誰と?」
「拓也よ。いないの。見つからないの」
最初、介は妻が勘違いしているのだとった。
庭は彼がかけたとほとんど変わらなかった。ブランコは静止し、おもちゃのトラックは芝ので横倒しになっていた。は、たよりもしだけ広くいているように見えた。
介は息子の名を呼んだ。
「拓也」
返事はなかった。
彼はもう度、声をきくした。
「拓也!」
それでも何も返ってこなかった。
介は縁側の、階段の裏、物置、け垣、古い焚きのの隙を確かめた。涼子は溝に沿ってり、むらをのぞき込んだ。
2はの周りを何度も回った。
声が枯れるまで、息子の名を呼び続けた。
けれど、2歳の拓也はどこにもいなかった。
1255分、島から所轄の警察署へ通報が入った。
「2歳の男児が自宅庭から方。最に目撃されたのは庭。黒髪、黒い目。1でくへたことはない」
通信指令員の声は静だった。
だがその声の向こうで、島のはすでに壊れ始めていた。
1330分までに、パトロール隊が島へ到着した。
広告
おすすめ作品
-
完結第21話
日本一情の深い父の裏の顔
妹がサービスエリアで姿を消して5年。全国を巡り「日本一情の深い父親」と称賛される父から、私は古いワゴン車を譲り受けた。だが車内の清掃中、妹の指定席だったシートベルトが事故の衝撃で「4センチ」伸びきっているのを発見する。さらに奥底から見つかったのは、刃物で切断された妹の防犯ブザーだった。父に問いただすと、かつてない冷酷な声で「今すぐ車を処分しろ」と脅され――。私は父の狂気と真実を暴くため、ある決断を下す。ミステリー|裡の顔|真相|行方不明3.1万字5 75 -
完結第11話
九時三十四分の地下鉄、消えた暴行犯
午前九時三十四分、地下鉄の車内で若い男が突如狂乱し、中年客の顔面を骨が軋むほど殴打した。床一面に飛び散る鮮血。だが、隣に座る同じ社章をつけた上司は、ただ口をあわあわと震わせ「腰を抜かして」座り込むだけだった。乗客たちと男を取り押さえ、駅員にすべてを通報した俺。しかし翌日、警察の発表も新聞の三面記事も、この凄惨な事件を「最初から存在しなかった」かのように完全に黙殺していた。なぜあの凄惨な暴力は一行も報道されず、駅の防犯カメラ映像すら消去されたのか。数年後、俺はある大手企業の役員名簿の中に、あの朝、冷たいホームの柱にすがってガタガタと震えていた「あの上司」の顔写真を見つけ、息を呑んだ――。ミステリー|真実1.6万字5 101 -
完結第19話
三十二人目の卒業写真
教職を退いた夜、三十年前に送り出した最初の教え子たちが開いてくれた送別会で、私は三十一人分の感謝の手紙を受け取った。だが自宅で数え直すと、名簿にない三十二通目の白い封筒が混ざっていた。便箋には「全員が卒業しました。私一人を残して」とだけ記されていた。翌日、私が困惑して生徒たちに当時の記憶を尋ねると、誰もが存在を否定し、深夜の受話器の向こうから「あの子のこと、墓場まで隠し通すつもりですか」昭和|ミステリー|因果応報|真相2.8万字5 176 -
完結第25話
一度も抱かれなかった娘
出産翌日に姿を消した妻の代わりに、私は男手一つで娘を育ててきた。「母親は抱っこも拒んで逃げた」と言い聞かせ続けて五年。カルテの保管期限が切れ、産院に呼び出された私の前に置かれたのは、妻が失踪直前に提出した母子同室申請書と一枚のガーゼだった。申請書の最下段には私の拒否印が押されており、持ち帰った鞄からこぼれ落ちた布を拾い上げた五歳の娘は、ピンクの刺繍を指でなぞりながら私を見上げた。夫婦|真相|行方不明|親子関係3.8万字5 142 -
完結第21話
十年前に死んでいた夫
病に倒れた夫を十三年間看取り、質素な火葬を終えた私は、医療記録の精算のため大久保総合病院の窓口へ向かった。だが職員から告げられたのは、データベースに夫の名はなく、提示した診察券は十年前に死亡した二十代の別人の番号だという宣告だった。半乱心で戻ったアパートを捜索するも、夫名義の保険証も免許証も通帳すら一枚も見当たらない。十三年間私の隣で息をしていた男の痕跡が、この世のどこにも存在しない現実に立ち尽くした。ミステリー|夫婦|介護|修羅場3.1万字5 2982 -
完結第12話
左足だけの靴箱
隣室の吉岡さんが部屋で亡くなった。付き合いのなかった老人の遺品整理に立ち会った彩香は、業者から「故人の遺言」として段ボール箱を手渡される。中に入っていたのは、彩香が過去5年間に自宅の玄関から消えたはずの「左足の靴」12足。そして、それと対になる新品の右足の靴。靴底をめくると、そこには夫が「深夜残業」と偽っていた日付のタクシー領収書が隠されていた。妻が知ることになる、5年前の事故と夫の病的な贖罪の真相とは。ミステリー|夫婦1.8万字5 47 -
完結第19話
全員が揃えた同じ嘘
小学五年の秋、担任の女性教諭が突然退職し、学校は精神の病気だと説明した。だがその日の放課後、私を含めたクラス二十三人の児童は、それぞれの家庭で「先生は午後三時に帰りました」と全く同じ嘘を親に答えた。口裏を合わせた覚えはない。半年後、唯一何も言わずに転校していった無口な少女が、私の机の引き出しに一枚のメモを残した。そこには『先生は三時のとき、まだ地下室にいました』と記されていた。ミステリー|裡の顔|真相|行方不明2.8万字5 95 -
完結第11話
亡き義母の口座を洗う女
3年前に7年間の壮絶な介護の末に他界し、この手で骨壺に納めたはずの義母。だが解約し忘れていた古い通帳を繰り越すと、死後も毎月「生前給与」が振り込まれ、毎週水曜の深夜に即座に引き出されていた。深夜のコンビニで張り込んだ私が見たのは、義母の服を着て義母と全く同じ体の癖を持つ見知らぬ女。死者は生きているのか。真実を追う私は、隣で眠る夫が隠していた、狂気と冷酷に満ちた「生前名義ビジネス」の底なし沼へと引きずり込まれていく。ミステリー|嫁姑|夫婦1.6万字5 51