"消えた背番号1" 第2話
ある、監督が武志を監督へ呼んだ。
50代のは厳しい指導でられていたが、選たちの庭事までよく見ている男だった。
「武志。おにプロのスカウトが来ている」
武志は黙ってうなずいた。
「契約の話もている。選抜で活躍すれば、条件はもっと良くなる」
「はい」
「おののことは、俺もっている。プロへけ。それがおのだ」
武志はくをげた。
「ありがとうございます」
しかし、監督をたも、その表はれなかった。
選抜会まで、あと2週。
それまで母親が倒れないように。
妹が学を諦めないように。
弟が空腹をしないように。
武志が祈っていたのは、勝利よりも族の無事だった。
野球部には、もう1注目されている投がいた。
背番号10、藤原健。
武志と同じ3で、も体格もよく似ていた。藤原の速球もとしては分に速く、であれば違いなくエースになれる実力があった。
しかし、この学には宮崎武志がいた。
学代から、藤原は武志と同じ域で野球を続けてきた。
学でも武志がエースだった。
学でも武志が背番号1をつけた。
そしてでも、藤原が与えられたのは控え投の背番号だった。
藤原は裕福な庭で育った。
父親は元で会社を経営し、具や征費に困ったことはない。
広告
しいグローブが必だと言えば買ってもらえたし、練習には温かい事が待っていた。
それでも、野球だけはい通りにならなかった。
どれほど練習しても、武志の球には追いつけない。
ある夕方、全体練習が終わったも、藤原は1でグラウンドに残っていた。
武志が町へ向かったのを確認してから、藤原はマウンドにった。
何度も腕を振り、全力でボールを投げ込んだ。
パシーン。
捕役の輩が受けるたび、音が響いた。
しかし、武志の球を受けたとは違った。
軽い。
自分でも分かっていた。
「どうしてだ……」
藤原はボールを握り締めた。
「どうして、俺の球は軽いんだ」
武志を嫌っているわけではなかった。
誰よりも努力していることもっていた。朝に聞を配り、夜まで働きながら練習を続ける姿を見れば、簡単に憎むことなどできなかった。
むしろ尊敬していた。
それでも、胸の奥には消えないがあった。
なぜ、いつも武志なのか。
なぜ、自分ではないのか。
そのは、最初は針の先ほどのさなものだった。
しかしの選抜会がづき、武志の写真ばかりが聞に載るようになると、次第にきくなっていった。
あるの練習、藤原は武志に声をかけた。
「武志、選抜、緒に勝とうな」
「ああ」
「おが先発して、俺がろを抑える。それなら優勝できる」
広告
武志はし笑った。
「おが投げる会なんて、ないかもしれないぞ」
軽い冗談だった。
藤原も笑った。
「ひどいこと言うなよ」
だが、その笑顔は引きつっていた。
おが投げる会なんてない。
それは誰もがっている事実だった。
武志が崩れない限り、藤原の番はない。
その夜、藤原は布団に入ってからも、何度もその言葉をいした。
武志に悪がなかったことは分かっている。
それでも、胸に刺さった言葉は抜けなかった。
その夜、武志がに帰ると、母親が台所で激しく咳き込んでいた。
「母さん、丈夫か」
母親は振り返り、無理に笑顔を作った。
「丈夫よ。今も練習、お疲れさま。ご飯、すぐにできるから」
武志は母親の痩せた背を見つめた。
以よりも肩の骨が浮きている。咳もごとにひどくなっていたが、病院へく回数を増やす余裕はなかった。
居のテーブルには、病院の領収が何枚もなっていた。
武志は見ないふりをした。
見れば、自分の力ではどうにもできない現実を突きつけられるからだった。
そこへ妹が入ってきた。
「お兄ちゃん」
「どうした」
妹はうつむいたまま言った。
「私、にかなくてもいいよ。卒業したら働く」
武志は即座に首を横に振った。
「駄目だ」
「でも、おがないでしょう」
「俺が何とかする」
「どうやって」
「プロにく。契約が入れば、母さんの治療費も、おの学費も払える」
妹の目に涙が浮かんだ。
武志は18歳だった。
まだ誰かに守られてもいい齢だった。
広告
おすすめ作品
-
完結第21話
日本一情の深い父の裏の顔
妹がサービスエリアで姿を消して5年。全国を巡り「日本一情の深い父親」と称賛される父から、私は古いワゴン車を譲り受けた。だが車内の清掃中、妹の指定席だったシートベルトが事故の衝撃で「4センチ」伸びきっているのを発見する。さらに奥底から見つかったのは、刃物で切断された妹の防犯ブザーだった。父に問いただすと、かつてない冷酷な声で「今すぐ車を処分しろ」と脅され――。私は父の狂気と真実を暴くため、ある決断を下す。ミステリー|裡の顔|真相|行方不明3.1万字5 75 -
完結第11話
九時三十四分の地下鉄、消えた暴行犯
午前九時三十四分、地下鉄の車内で若い男が突如狂乱し、中年客の顔面を骨が軋むほど殴打した。床一面に飛び散る鮮血。だが、隣に座る同じ社章をつけた上司は、ただ口をあわあわと震わせ「腰を抜かして」座り込むだけだった。乗客たちと男を取り押さえ、駅員にすべてを通報した俺。しかし翌日、警察の発表も新聞の三面記事も、この凄惨な事件を「最初から存在しなかった」かのように完全に黙殺していた。なぜあの凄惨な暴力は一行も報道されず、駅の防犯カメラ映像すら消去されたのか。数年後、俺はある大手企業の役員名簿の中に、あの朝、冷たいホームの柱にすがってガタガタと震えていた「あの上司」の顔写真を見つけ、息を呑んだ――。ミステリー|真実1.6万字5 101 -
完結第19話
三十二人目の卒業写真
教職を退いた夜、三十年前に送り出した最初の教え子たちが開いてくれた送別会で、私は三十一人分の感謝の手紙を受け取った。だが自宅で数え直すと、名簿にない三十二通目の白い封筒が混ざっていた。便箋には「全員が卒業しました。私一人を残して」とだけ記されていた。翌日、私が困惑して生徒たちに当時の記憶を尋ねると、誰もが存在を否定し、深夜の受話器の向こうから「あの子のこと、墓場まで隠し通すつもりですか」昭和|ミステリー|因果応報|真相2.8万字5 176 -
完結第25話
一度も抱かれなかった娘
出産翌日に姿を消した妻の代わりに、私は男手一つで娘を育ててきた。「母親は抱っこも拒んで逃げた」と言い聞かせ続けて五年。カルテの保管期限が切れ、産院に呼び出された私の前に置かれたのは、妻が失踪直前に提出した母子同室申請書と一枚のガーゼだった。申請書の最下段には私の拒否印が押されており、持ち帰った鞄からこぼれ落ちた布を拾い上げた五歳の娘は、ピンクの刺繍を指でなぞりながら私を見上げた。夫婦|真相|行方不明|親子関係3.8万字5 142 -
完結第21話
十年前に死んでいた夫
病に倒れた夫を十三年間看取り、質素な火葬を終えた私は、医療記録の精算のため大久保総合病院の窓口へ向かった。だが職員から告げられたのは、データベースに夫の名はなく、提示した診察券は十年前に死亡した二十代の別人の番号だという宣告だった。半乱心で戻ったアパートを捜索するも、夫名義の保険証も免許証も通帳すら一枚も見当たらない。十三年間私の隣で息をしていた男の痕跡が、この世のどこにも存在しない現実に立ち尽くした。ミステリー|夫婦|介護|修羅場3.1万字5 2982 -
完結第12話
左足だけの靴箱
隣室の吉岡さんが部屋で亡くなった。付き合いのなかった老人の遺品整理に立ち会った彩香は、業者から「故人の遺言」として段ボール箱を手渡される。中に入っていたのは、彩香が過去5年間に自宅の玄関から消えたはずの「左足の靴」12足。そして、それと対になる新品の右足の靴。靴底をめくると、そこには夫が「深夜残業」と偽っていた日付のタクシー領収書が隠されていた。妻が知ることになる、5年前の事故と夫の病的な贖罪の真相とは。ミステリー|夫婦1.8万字5 47 -
完結第19話
全員が揃えた同じ嘘
小学五年の秋、担任の女性教諭が突然退職し、学校は精神の病気だと説明した。だがその日の放課後、私を含めたクラス二十三人の児童は、それぞれの家庭で「先生は午後三時に帰りました」と全く同じ嘘を親に答えた。口裏を合わせた覚えはない。半年後、唯一何も言わずに転校していった無口な少女が、私の机の引き出しに一枚のメモを残した。そこには『先生は三時のとき、まだ地下室にいました』と記されていた。ミステリー|裡の顔|真相|行方不明2.8万字5 95 -
完結第11話
亡き義母の口座を洗う女
3年前に7年間の壮絶な介護の末に他界し、この手で骨壺に納めたはずの義母。だが解約し忘れていた古い通帳を繰り越すと、死後も毎月「生前給与」が振り込まれ、毎週水曜の深夜に即座に引き出されていた。深夜のコンビニで張り込んだ私が見たのは、義母の服を着て義母と全く同じ体の癖を持つ見知らぬ女。死者は生きているのか。真実を追う私は、隣で眠る夫が隠していた、狂気と冷酷に満ちた「生前名義ビジネス」の底なし沼へと引きずり込まれていく。ミステリー|嫁姑|夫婦1.6万字5 51