"母に届かなかった10円" 第10話
母へ。
父へ。
夫へ。
妻へ。
子どもへ。
あるいは、今すぐ声を届けなければならない誰かへ。
女が公衆話の横へ置いていたのは、さな貨枚だけではなかったのかもしれない。
自分と同じ悔を、らない誰かには残してほしくない。
必なに、切なへ声が届いてほしい。
にうかどうか分からなくても、せめて話をかけることだけは諦めなくて済んでほしい。
そんな願いを、女は何も誰にも話さなかった。
ただ毎25の朝。
買い物籠を腕にかけ、財布から10円玉を枚取りす。
周囲をしだけ見回す。
そして公衆話の横へ、そっと置く。
誰の名もかず。
何の説も残さず。
あの、自分ののになかった枚を。
まだ顔もらない誰かのために。
そのも森田は、25になるたびに同じ所を見るようになった。聞を並べる、まだ通りのない駅で、公衆話の横に10円玉があるかどうかを確かめる。それはいつのにか、計を見るのと同じくらい自然な習慣になっていた。
10円玉がある朝、森田は女の顔をいした。母親のことを話したでさえ、女は声で泣かなかった。ただ「あの10円があれば」という言だけを、何も放せずにいた。その静かな悔のさをってから、森田には枚の貨が以よりずっときなものに見えるようになった。
広告
駅には毎、数えきれないほどのがやって来た。朝寝坊してる学もいれば、族と喧嘩したまま会社へ向かう男もいた。買い物帰りの主婦が公衆話へ入り、病院へ連絡していることもあれば、旅鞄を持ったがへ到着をらせていることもあった。
誰も、自分がそのにどんな話をかけることになるのか、朝の点ではらない。
いつものだとってをても、昼には急いで誰かの声を聞きたくなることがある。今すぐ伝えなければならない言葉が、突然まれることもある。
女があのそうだったように。
だからこそ、森田は10円玉を見るたびにった。
この枚は、使われない方が幸せなのかもしれない、と。
急いで族へ話をしなければならない来事など、起きない方がいい。誰かが倒れたというらせも、事故に遭ったという連絡も、帰ってきてほしいという話もない方がいい。
そこに残り、夕方になって子どもが何となく拾って帰るだけなら、それが番平なのかもしれない。
それでも、もし必なが現れたなら。
そのだけは、そこにあってほしい。
女が置いていた10円玉には、そんな矛盾した願いまで込められているように森田にはえた。
何も起きませんように。
でも、何か起きたにはにいますように。
広告
誰にも使われませんように。
でも、本当に必なには届きますように。
女自は、そんな難しいことまで考えていなかったのかもしれない。ただ毎、自分の財布から10円玉を枚していただけだった。
しかしく続けるということは、それだけでつのいになる。
度だけなら気まぐれでできる。
度、度なら習慣にもできる。
けれど何も、同じの朝に忘れず枚を持ってきて、誰にも見られないようそっと置き続けることは、簡単なことではなかった。
母親を失ったあのからが流れても、女は25が来るたびにいしていたのだろう。
駅をったこと。
財布を何度もいたこと。
10円玉を探したこと。
ようやく受話器を取ったには、もう母親の声を聞くことができなかったこと。
忘れようとしていたわけではない。
忘れられない記憶を、誰かの役につ形へしだけ変えようとしていた。
森田には、そんなふうにも見えた。
しいいは、なくならない。
過ぎたも戻らない。
どれほど願っても、あのの公衆話のへ10円玉を枚届けることはできない。
けれど今の公衆話の横になら置ける。
の誰かのためになら、にわせることができる。
女がしていたことは、もしかするとそれだけだった。
過の自分を救うことはできないから、未来のらない誰かへ枚を残す。
母親に届けられなかった声の代わりに、別の誰かの声がにうことを願う。
広告
おすすめ作品
-
完結第15話
二十人分の祝い膳を押しつけられたので、家を出ました
義母から「家族のお祝いだから」と押し付けられたのは、二十人分の料理作りと高額な費用負担。 夫も義妹も、私を一人の家族ではなく、都合よく使える存在として扱っていた。 五年間、我慢し続けた嫁・美咲は、ある決断をする。 それは、義妹の息子の一歳祝いの前日に、すべてを捨てて家を出ることだった。 しかし、静かに準備を進める中で、美咲は夫と義母が隠していた驚くべき事実を知る。 そこには、単なる身勝手な家族関係では終わらない、彼女を縛り続けるための計画が隠されていた。 そして迎えた祝いの日。 親戚二十人が待つ食卓に残されたのは、豪華な料理ではなく、誰も予想しなかった「空っぽの祝い膳」だった。 奪われ続けた人生を取り戻すため、美咲が選んだ静かな反撃とは――。嫁姑|親子関係|修羅場2.2万字5 284 -
完結第16話
血染めの写真と三文字のSOS
夕方のコンビニの床に落ちていた一枚の写真。微笑む少女の横には、まだ乾ききっていない赤黒い生血がべっとりと付着していた。 裏返した瞬間、息が止まる。震える筆跡の住所と、指先の血で擦り付けられた『SOS』の三文字。 妻に捨てられ、八歳の息子と写真館を営む私には分かった。この血は付着して数分も経っていない――今すぐ行かなければ手遅れになる。 警察に通報し駆けつけた古い民家の階段下には、右足を骨折し倒れ伏す母親と、自らの手のひらを切り裂いた六歳の少女がいた。 「……だれ?」 母を庇い、血まみれの手で私を睨み据える少女の瞳が訴えていた、あまりに残酷な真相とは。親子関係|金銭問題2.4万字5 199 -
完結第19話
深夜2時、隣家の物置で赤ん坊を抱く4歳児
心臓の不整脈で消防士を辞め、故郷の民宿「緑海荘」へ戻った27歳の相馬蒼太。 ある深夜2時、隣家から突然途切れた赤ん坊の泣き声に異変を感じて駆けつけると、物置のような暗い部屋で、全身に青あざを負った4歳のひなが、痩せた妹メイを必死に抱いていた。 「泣いたらまた叩かれるんですか?」――その一言に、蒼太は2人を必ず守ると決意する。民宿へ連れ帰り、常連客の旅行ライター・りんや両親と共に食事と温かな寝床を与え、児童相談所へ連絡。 しかし保護の朝、ひなは「お兄ちゃんと離れたくない」と蒼太の服を握りしめる。初めて見る海の前で、ようやく声を上げて泣いた少女を前に、蒼太とりんは“助ける”だけでは終われない未来を選び始める――。親子関係|修羅場2.8万字5 251 -
完結第23話
義母が突然、結婚指輪をくれた
夫が亡くなった日、義母は「もう家族じゃない」と私と娘を雨の中に追い出した。それから二年、一度の連絡もなかった義母が娘の小学校入学を控えた夕暮れ、四十年間外さなかった結婚指輪を私の指に無理やり嵌めて頭を下げた。翌日、親族が集まる祝いの席で和解を受け入れようとした私の前で、義母は冷たい笑みを浮かべ、夫が生前に娘の氏の変更書類を用意していたのではないかと問い詰めてきた。私の手の中で箸が止まった。裡切られた|祖父母と孫|嫁姑|親子関係|修羅場3.5万字5 127 -
完結第21話
母がナイフで砕いた自分の名前
母の七十歳の祝いで、私は家族に尽くし続けた母に自分の人生を取り戻してほしい一心から、ケーキのプレートに書かれた夫の姓を削り落とし、母の旧姓を書き直した。これで母は喜んでくれるはずだった。しかし母は青ざめ、「誰が戻りたいなんて言ったの」と私を睨みつけると、ナイフを掴んで自分の名前を何度も突き刺し粉々に叩き割った。家族全員から責め立てられた私は、母の部屋で底面を無残に削り取られた大量の人形を見つける。怒り|兄弟姉妹|真相|親子関係|修羅場3.1万字5 137 -
完結第19話
棺の中の男を、夫は知らない
親を捨てて逃げた冷酷な男だと親族中から罵倒される義兄の葬儀で、義母は涙を流し、夫を支えの孝行息子だと称えていた。だが焼香台へ進む夫の前に立ちはだかった私は、「あなた、本当に棺の中にいるその人を知っているの」と告げた。夫が隠していたのは、過去五年間、毎月義兄へ送り続け、そのたびに全額突き返されていた六十回分の送金記録だった。血の気を引かせる夫と親戚の前で、私はその明細を祭壇の上に広げた。兄弟姉妹|親不孝|絶縁|親子関係|修羅場2.8万字5 88 -
完結第21話
妹のドレスを二十センチ切った
妹の結婚式を数時間後に控えた深夜二時、私はリビングで特注のウェディングドレスに裁ち鋏を入れた。事故で右足に傷が残る妹に対し、相手の家族は配慮という名目で足を隠す重いドレスを強要し、当日は動かず座り続けるよう言い含めていた。母の怒声が響き、私の頬に平手打ちが飛ぶ。泣き崩れる妹の足元には、前裾だけが二十センチ切り落とされた純白の布が散らばっていた。私は鋏を置き、「今日これを着て出なさい」とだけ告げた。裡切られた|兄弟姉妹|裡の顔|親子関係|修羅場3.1万字5 94 -
完結第25話
祖父が私に遺した最後の拒否権
亡くなった祖父の果園を三千二百万円で売却するため、東京で働く私は十年ぶりに実家へ呼び戻された。生活苦に喘ぐ父と妹の結婚資金のため、名義を持つ父は契約を急いでいたが、司法書士が出したのは「長孫である私の書面同意がなければ売却は無効」という祖父の遺言だった。早く終わらせようとペンを握った私は、ふと買い手企業がここを何にするつもりなのか尋ねた。山を削り大型トラックの夜間中継所にすると聞かされた瞬間、私は手元のペンを静かに机へと置いた。祖父母と孫|相続|親子関係|金銭問題3.7万字5 111 -
完結第21話
母を遠ざける姉の嘘
長野で一人暮らす母の介護を一手に担う姉から「母の体調が悪化するから来るな」と言われ、私は五年間帰省を控え、毎月五万円の仕送りを続けていた。だがある夜、母から五年ぶりに直接電話が入る。「まだ怒ってるの。あんたが私の顔も見たくないと言っていたと姉から聞いた」と母は怯えていた。直後に受話器を奪った姉は「母の被害妄想だ」と言い放つ。不審に思った私は姉に告げず始発の新幹線に乗り、五年ぶりに実家の引き戸を開けた。兄弟姉妹|裡の顔|親子関係|介護3.2万字5 166 -
完結第20話
教室の最後列に座る元教員
定年退職した元教員の私は、一度も教えたことのない男子生徒の保護者会に、身元を偽って六年間通い続けていた。教室の最後列から見つめる先には、油まみれの作業着を着た父親が座っている。受付簿の不審な記録に気づいた校長から昇降口で問い詰められた帰り道、桜が散る坂道でその父親が私の前に立ちふさがった。二十四年前の元教え子だったその男は、振り返りもせず、私の背中に向けて「あの席、あと何年座るつもりですか」と低く告げ怒り|真実|親子関係|修羅場3.1万字5 122