"焼け跡の花束" 第2話
現は町れにある縁の叔父夫婦のへを寄せ、3の従兄と緒に暮らしていた。
源蔵がので温かい湯をませると、健は最初、子の端へ座って黙っていた。されたふかし芋にもを伸ばさず、何かをもらえばで代わりを求められるとっているようだった。
「べていいんだ。代はいらない」
源蔵が言っても、健はすぐには信じなかった。しばらくしてから芋を半分に割り、方を着のポケットへ入れた。
「残すなら、包んでやろうか」
「叔父さんのの末っ子にあげる」
源蔵は聞で芋を包んだ。自分も空腹であるはずなのに、健はさな従兄の分を先に取っておこうとしていた。
健の父・隆は野にある械で働いていた。昭19に徴兵され、方へ送られたまま消息が分からなかった。終戦も帰還者名簿に名はなく、族には戦病した能性がいと伝えられていた。
母の澄と6歳の妹・君子は、昭203の空襲でくなった。健は母と妹と共に防空壕へ向かう途ではぐれ、翌朝までで川辺に隠れていたため助かった。
があった所へ戻っても、町は面の焼け野原だった。母も妹も見つけられず、所の者からくなったと聞かされても、健にはその事実をすぐに理解できなかった。
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「お母ちゃんは、別の所に逃げたかもしれない」
健は何も焼け跡を歩き、避難所や炊きしの列を探した。しかし、自分と同じように族を捜すばかりで、母の名をる者はいなかった。
縁の叔父が健を引き取ったのは、空襲から約2かだった。叔父夫婦にも3の子供がいて、料も寝る所も分ではなかったが、で暮らすよりはよいと考えたのである。
健は押し入れの段へ布団を敷き、族がべ終わったに残ったものをべた。叔父は悪いではなかったが、配だけで5の子供を養う余裕はなく、健へ「おの分が増えたせいで、皆が腹を減らす」とこぼすことがあった。
叔母はもっと骨だった。健が茶碗へを伸ばすと、「働かない者が番先にべるんじゃない」と言い、学へ持たせる弁当を用しなかった。
健は朝くをて、川沿いのや空きでを摘んだ。叔父夫婦には、学へくに薪を拾っていると説していた。
「毎朝、を置くがあるなら、の伝いをした方がいいんじゃないのか」
源蔵が尋ねると、健は俯いた。叔父のでは、を摘んでいることを話していなかった。
「見つかったら、やめろって言われる」
「それでも続けるのか?」
「子さんが、忘れないでって言ったから」
その名をにしただけ、健の目にわずかなが戻った。
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源蔵はが話したくなるまで待つことにし、それ以問い詰めなかった。
健がをようとすると、源蔵は使い古した提げ袋を渡した。を聞のまま持ち歩けば折れてしまうため、妻の縫い物具が入っていた布袋を空にしたものだった。
「を入れるのに使いなさい。叔父さんには、の伝いをしてもらった礼だと言えばいい」
「何も伝ってない」
「では、からのを掃いてくれ。それで貸し借りなしだ」
健は袋を両で受け取った。ありがとうとは言わなかったが、をる直にくをげた。
翌朝から、健はを置いた、朝倉商のを箒で掃くようになった。源蔵は芋や麦飯をしだけ用し、働いた分の朝として渡した。
施しではなく仕事の対価だと説すると、健も受け取った。には、同されることより、自分が誰かの役にっているとじられることの方が必だった。
源蔵はそのことに気づき、健へ余計な優しさを押しつけなかった。ただ毎朝をけ、が来れば「おはよう」と声をかけた。
ある朝、健はいつもより鮮やかな黄のを持ってきた。源蔵がの名を尋ねると、は初めてし笑った。
「子さんが好きだった。レンギョウっていうんだ」
その笑顔を見た源蔵は、健が語ろうとしない戦争の々を、いつか聞かなければならないとった。
焼け跡へを置く理由のには、恩への謝だけでなく、が今もで抱えているい痛みがあるようにじられた。